物語の始まりは、リーマンショック前年の2007年1月。「東京の物件は売ろう。過熱していない地方の物件、建物用途に狙いを定めよう」という島田社長の先見により、売り出されていた箱根のリゾートホテルに向かったのは、当時営業だったシマダアセットパートナーズ株式会社代表の佐藤悌章さんでした。
世界の大富豪が欲しくなる物件。
「この建物、この景観、この立地はすごい!他にないと思いました」
佐藤さんは、勢いに満ちた口調で言います。
「なぜなら、あそこは山の景観が全部見渡せる上、外から誰にも覗かれないんですよ。作られたのがまさにバブル景気の時代なので、建物も立派。社長は『これはきっと世界の大富豪が買うだろう』」
と、太鼓判の押された物件を手に入れ、さてこれからどうするか。すぐに売り出すのか否か。意見が交わされるなか、最終的に下されたのは「とりあえず、社員で使おう」と。
「『温泉もある。箱根駅伝も目の前を走る。正月にみんなで見に来られたら楽しそうだな』という社長の経営判断でした(笑)」
そうして始まった改修工事。なにせ根底にあるのは「自分たちのため」。既存のふた部屋をつなげ約130㎡のスイートルームを作ったり、そこに24時間好きなときに源泉を楽しめる露天風呂をしつらえたりと、好き放題。
そして10年ほど経った頃、とある一部上場企業の会社から「買いたい」というオファーが。契約までこぎつけたものの、直前で破棄となってしまいます。
「これは神の思し召しだと。どこにも手放さずに自社でホテルとして稼働させよう」という、さらなる経営判断のもと、改めて使い道についての議論がなされたのです。
土地の声を聞く、建物の声を聞く。
経営陣を交えさまざまな話を重ねていくうち、「bar hotel」というひとつの造語が生まれました。佐藤さんは言います。
「うちの文化でもある『土地の声を聞く、建物の声を聞く』をしたのが大きくて。なんかこう、凛とする感じがあるんです。ここに合う空間って何だろうと考えると、子どもや若い人たちが来る感じではない。大人たちに、どう楽しんでもらうか。大人の隠れ家。そこから走り始めて、よくあるホテルではなく、barをメインに。barに泊まるをコンセプトにしようと行き着いたんです」
こだわったのは、期待を煽るあの部分。
改修する上でこだわったのが、エントランスのアプローチ。
「いかに期待感を膨らませるか、あとは視認性や実用的はどうかも含めて、エントランスは、すごく大事な要素です」
実際のかたちへと導いた担当者、一級建築士の田ヶ原由佳さん。
「ここは建物の配置に特徴がありまして。国道1号線から8メートル降らないと、建物自体が見えないんです。本当に、ここに建物があることすら知らない人が多い。この場所の魅力を生かしながら、歩くにつれ、見えるものも変わっていく。その視線の抜け方を、すごく丁寧に考えて設計していきました」
森の中を抜け、ひっそりと誘われるように建物の中へ。あたかも非現実の世界に入り込むような高揚感とともに。
「もともとエントランスを入ってすぐに、ラウンジの空間があったんです。そこから中に入ると、山が斜面に沿って立つ建物だからこその、すごく綺麗な景色が見渡せるんです」
そして新しく設えた、13mの長さのバーカウンター。その背後に見える山並みを見渡せるよう入れ替えたガラス面。「その眺め自体をポイントに、設計していきました」
常識を覆す
「18時チェックイン」ができた理由。
「bar hotel」という突飛かつ、夢のようなアイデアのもと、練り上げられるオンリーワンな要素は、何も眺望や空間だけでなく、「チェックインは18時〜チェックアウトは14時」というシステムにおいてもしかり。当時支配人の小林さんは言います。
「開業前は運営メンバー、同業者からも『不可能だ』と言われました。清掃などの問題もさることながら、箱根のようなリゾートは、必ず食事がつく。我々はbar hotelなので夕食ではなくフリーフローをつけるコンセプト。そういう意味でも無理だろうと」
ただ小林さんの「ホテル&レジデンス六本木」で鍛えられた、「不可能を可能に、ピンチをチャンスに変える」手腕は、ここでも発揮します。
「まずこれを成功させるためには、オペレーションから考え直せばいいのではないかと。スタッフは前もって宿泊者に電話をして『夕食はどうされますか?』という話までするんです。21室の施設だからこそできることですよね」
この常識を覆す試みは現在は業界内でも広がり、さらに副次的なよい影響ももたらしました。
「清掃スタッフは、基本人手不足なんですね。ただここの場合、チェックイン、チェックアウトの時間がずれるので、他のホテルで清掃業務を終わった後に入ってもらうことができるんです」
barに泊まる。
この揺るぎないコンセプトがあったからこそ、常識にとらわれず、思い切った試みができる。ひとつの手綱にして、イノベーションを起こす。それをつくづく実感したプロジェクトでした。