広報桑原がアクシスの仲間にインタビューする「Axisヒトモノガタリ」
引き続き、出向先勤務をするシステム事業部のシステムエンジニアに
話を聞きました。
今回、話を聞いたのは勤続20年を誇る大先輩。今も鳥取県内各社で
稼働するシステム開発に携わった経験を活かして、現在は出向先の
システム保守・運用を主に担当しながら、プロジェクトマネージャーとして
若手の育成にも携わっています。
今回は学生時代の転身から、自身のシステムエンジニアとしての
半生を振り返ります。
システムエンジニア 玉川 英生
システムエンジニアとして、外資系企業オフィスで勤務。営業支援システムのプロジェクトマネージャーとして活躍すると共に、システム開発や保守において若手の育成にも力を入れている
希望条件の合致以上に魅かれた「創造性の追求」
教員を目指して進学した玉川だったが、道半ばでその道を諦めることになり、就職活動のスタートが遅くなった。就職自体が厳しかった時代、就職先は未定のまま卒業を迎えた。そんな中で将来性を考え、情報系の仕事を目指し、専門学校に入学した。
「IT業界+地元」と就職先を考えていたこともあり、自然とAxisの採用試験を受けることになった。決め手を尋ねると、希望業界であること以上に企業理念に共感したことが大きいという。中でも「創造性の追求」は今でも一番のお気に入りだ。「創造性の追求」を「正解がない中でよく考えなさい」と捉えていて、そこが好きだという。さらに、挑戦を続けるアクシスの姿勢が、企業理念を体現していると感じている。チャレンジできる環境こそが玉川にとって仕事のしやすい環境なのだ。
そんな玉川も、長い社会人人生の中で一度、体調を崩して1週間ほど休んだことがあった。お客様や、会社にも迷惑になると落ち込んだが、当時の上長に「なんでそんなに頑張っちゃったの?そこまで責任を負わなくていいよ」と声をかけられた。その言葉に「もっと伸び伸びやってよかったのか・・」と、仕事に対して前向きに捉えられるようになったという。
10年不向きだと思い続けたシステムエンジニア の仕事
入社後10年は、システムエンジニアに向いていないと思うことの方が多かったと玉川は言う。所属していたソリューション事業部(現:サテライト3部)では、地元企業のシステム開発に携わっていた。シビアなお客様も多く、技術面での知識不足を埋めることが難しく、情報系出身の同僚について行くだけでやっとの日々だった。「苦戦していました」と苦笑いをした瞬間が印象的だった。
そんな玉川にとって、社長が変わったことが一つの転機だった。「技術ができる人だけではなく、文系の人のスキルも大切」という文化が社内に生まれ、自分自身の価値を認識することができたと言う。
システム開発の要は、最初の要件定義。お客様のニーズや課題を多面的に聞き、把握して提案することが不可欠だ。その点で技術的な知識やスキル以上に、コミュニケーション力、ヒアリング力が必要になる。実は情報系、理系出身者が最初のハードルがここにある。「その意味では文系のチカラも必要です。文系だから難しい、と考えている人には是非チャレンジして欲しい」と、玉川は語った。
お客様の反応を知ることで得られた、仕事の面白み
玉川は外資系企業に出向し、営業支援システムのプロジェクトマネージャーとして、勤務している。保守窓口であることからユーザーの声を直接聞ける環境であり、システムに関する不具合や日々のサポートが主な業務である。「助かりました!」とお客様の声をすぐに、直接聞けることにやりがいを感じているそうだ。
以前はお客様の反応を知れる機会が少なく、対応の良し悪しも、その後も知る由もないまま日々坦々と業務する日々があったという。今では保守対応の良し悪しをすぐに、直接知ることができるようになり、この仕事の面白さを実感している。「ある意味、この年齢でようやく仕事はどういうことなのか、何のためにやっているのかが、遅ればせながら分かってきた感じがしています。」と話す玉川の表情に仕事の充実感が伝わってきた。玉川は、お客様の反応をメンバーにフィードバックすることも大切にしている。自身が迷い、悩んだ経験があるからこそ、チームメンバーには、同じ熱さで喜び、悔しさや悩みを共有し、取組めるチームを作りたいと語る玉川の姿勢や想いを知ると、そこで成長できる機会を得ている若手メンバーの今後が楽しみになった。
ー話を聞いた人ー
玉川 英生さん
システム事業部 1課課長
1997年 新卒入社
兵庫県出身
システム事業部のシステムエンジニアとして、外資系企業オフィスで勤務。営業支援システムのプロジェクトマネージャーとして活躍すると共に、システム開発やシステム保守において、若手メンバーの育成にも力を入れている