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第2章|商いは、足で覚えるものだった

尚雅堂の創業当時、商いは今よりずっと身体的なものだった。祖父は、サンプルを大量に詰め込んだ鞄を持ち、夜行列車に乗って東へ向かった。月に一度か二度、月曜日に京都を発ち、金曜日の夜に戻ってくる。そんな出張を繰り返していたという。当時の夜行列車は、今のような快適なものではない。木製で、角度のきついベンチが並んだ車両に揺られながら、一晩を明かす。後年、祖父は脊柱管狭窄症を患うが、祖母は「あれが原因やと思う」と言っていた。営業先では、とにかく歩き、話し、サンプルを見せた。注文が決まると、その内容を電話で祖母に伝える。電話料金が安くなる夜八時以降を狙って、だ。祖母は、その電話を必死にメモに取っていた...

第1章|尚雅堂という名前から始まった話

ふと思い立ち、尚雅堂という社名の由来を祖父に聞いたことがある。返ってきた答えは、実にあっさりとしていた。「高尚優雅や」その瞬間、ああ、京都の人間の嫌な部分が出とるな、と少し苦笑したのを覚えている。祖父は文具問屋で働いていた人間で、その会社の社長の弟とともに、共同創業者という形で会社を立ち上げた。事業自体はそれなりにうまくいっていたようだが、仕事に対して厳しい祖父は、自分の考えややり方とのズレを良しとしない性格だったらしい。孫である私から見た祖父は、ごく普通の、むしろ優しいおじいちゃんだった。おもちゃを買ってくれ、美味しいものを食べに連れて行ってくれる。怒っている姿を見た記憶はほとんどない...