第2章|商いは、足で覚えるものだった
尚雅堂の創業当時、商いは今よりずっと身体的なものだった。祖父は、サンプルを大量に詰め込んだ鞄を持ち、夜行列車に乗って東へ向かった。月に一度か二度、月曜日に京都を発ち、金曜日の夜に戻ってくる。そんな出張を繰り返していたという。当時の夜行列車は、今のような快適なものではない。木製で、角度のきついベンチが並んだ車両に揺られながら、一晩を明かす。後年、祖父は脊柱管狭窄症を患うが、祖母は「あれが原因やと思う」と言っていた。営業先では、とにかく歩き、話し、サンプルを見せた。注文が決まると、その内容を電話で祖母に伝える。電話料金が安くなる夜八時以降を狙って、だ。祖母は、その電話を必死にメモに取っていた...