初めに
「私の履歴書」は日経新聞の最後のページにあり、各業界著名人の経歴や生い立ちを「ご自身が連載」しているコーナーです。
自分自身の考えをアウトプットする場として、私自身の経歴や生い立ち踏まえながら「私の履歴書」を社内連載します。
弊社が描いてる未来
まず弊社の目的/ビジョンは下記です。
【ウォルト(ディズニー)の名に恥じぬ「感動」を創る企業に、株式会社WALTEXはなる】
目的=感動の創出。
「感動」を広辞苑で引くと下記が出ます。
「感動」とは「ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。
「深い感動を覚える」「名曲に感動する」
この言葉は「相手」に「心から喜びや幸せを感じてもらいたい、喜ばせたい」という思いと、
「感動を与えるレベルのアウトプットを出したい」という「志・思い」から来てます。
マーケティング用語で整理すると
WHO:相手に(全人類を想定)
WHAT:感動を与える(心の底から喜びや幸せを感じて貰える)プロダクト・サービスを
HOW:各種事業で届ける
※会社のビジョン/目的整理なので、敢えて抽象的にしてます。
感動の定義は「自分自身が感動をするポイント」をベースに考えております。
例えば僕は「楽しい、幸せ、成長、自由、貢献」などに感動を感じるタイプです。
感動のポイントは千差万別なので、自社のメンバーが「自分自身が納得する感動」を考えて当てはめてもらう「空白」を持たせてます。
なぜこの目的?原体験について
原点は19歳の時にディズニーシーで夢を叶えて貰ったのがきっかけです。
そもそも僕は大学生になるまでディズニーが嫌いでした…笑
時系列でディズニーに対するブランドイメージを表すと下記です。
ネガティブイメージ期
①
幼少期に家族3世代でディズニーに行った時、3男の僕は身長制限でアトラクションに全く乗れず、楽しんでる兄達とは対称に祖父と祖母と一緒に座って待つしかありませんでした。
「何も乗れない面白く無い場所」というのがディズニーの最初のブランド体験イメージです。
②
その後、小学校3年の正月の今も仲良しで幼馴染のTから「ビーバーブラザーズのカヌー体験」を、楽しそうに友人達と乗ってる年賀状が届きました。
ここはとても自分がアホなのですが、その楽しそうな写真を見て嫉妬した僕は、
「ディズニーは嫌いだ!」
というネガティブなブランドイメージを持ったまま数年過ごします。
※僕の中で当時の遊園地=近所の西武園が全てだと思ってた所に、
可愛らしいボート/川下りを今からするであろうオール/弾けるTの笑顔に
「楽しそうでずるい!!」と心底思いました笑
ブランドイメージ転換期
高校2年の遠足行事にて「ディズニーシー」に行ったのがきっかけで、一気にブランドイメージが変わりました。
それまで「遊園地=西武園(西武園も今でも好きです)」だった自分にとって、ディズニーシーは「まさに夢の国」だったのです。
・入ってすぐ、目の前に広がる広い空と火山に圧倒されたメディテレーニアンハーバー
・タイタニックを想起するSSコロンビア号の大きさ
・アメリカからヨーロッパ、僕の好きなジャングルまで多彩なテーマエリア
・インディージョーンズやレイジングスピリッツの刺激的で楽しいアトラクション
・(最も良い思い出)夜暖色のやわらかい色に一面染まってライトアップされたメディテレーニアンハーバーの美しさ
(特にミステリアスアイランド→エントランスを見下ろす場所からの景色が大好きです)
ここで一気にブランドイメージがー(マイナス)から+に転換され、「また来たい」のリピーターレベルまで引き上げられました。
強力なポジティブイメージの獲得
大学生になって僕は初めて彼女が出来ました。
そのきっかけ+初デートの場所が「ディズニーシー」でした。
学生時代から数々の人に「友人にしか見えない」と振られ続けた僕に取って、一つの「夢が叶った瞬間」でした。
良くCMで流れてたディズニーのブランドメッセージ「夢が叶う場所。東京ディズニーリゾート」は「本当じゃないか!夢が叶った!ディズニーすごい!」というブランドイメージに変わりました。
ハマると没頭する僕は、これをきっかけにディズニーの主要なディズニー映画作品を制覇し、ディズニーリゾートにも年に複数回訪れリピーターになりました。
ディズニーブランド全体に対する愛着&信頼感+購入頻度+購入数から「ロイヤルカスタマー」と勝手に自称してます。
※オリエンタルランドさん側がロイヤルカスタマーをどう定義してるか不明ですので、あくまで勝手にです笑
ポジティブイメージが昇華。創業者ウォルトディズニーを尊敬する。
自分の夢を叶えて貰ったディズニーへの感謝。
沢山のディズニー作品を見て感動し、リゾートに来てまた感動する。
これを繰り返す内に元々歴史好きな僕は
「そもそもディズニーを最初に作った人達凄すぎじゃないか?」
という思考に入り、創業者のウォルトディズニーに興味を持ちました。
大学の図書館で「ウォルトディズニー」で検索し、
ライトな文庫版~分厚い伝記~関連する書籍を読み漁りました。
▼印象に残った本
ウォルト・ディズニー すべては夢みることから始まる
ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版
創造の狂気 ウォルト・ディズニー
・最初に作った会社の倒産、オズワルドの版権を奪われるなど多くのピンチ。
・得意領域の異なる兄ロイディズニーと共に二人三脚で会社を拡大。
・ナイン・オールドメンを代表する優秀な人材の獲得と彼らを活かす組織作り。
・「親子で楽しめるテーマパークが無い」という課題と不満に気づいたベンチ。
・競合調査を基に、映画の枠を越えて作り上げた世界最高峰のテーマパーク。
・創業者が亡くなった今もDNAを受け継いだ人材(組織)がディズニーブランドをアップデートする「繁栄し続ける組織の構築」。
知れば知る程、ウォルトディズニーの思考は自分の中の理想/なりたい像として埋め込まれて行きました。
閉園間際のディズニーランドを歩いてた時、直感でやりたい事に気づく
ある時ランドで遊んだ閉園間際に周りを見渡すと、エントランスに向かって笑顔で帰る人達を沢山見ました。
その時勝手にランドを経営する側の気持ちになって
「楽しく遊んで頂きありがとうございます。また来て下さいね」
とキャストの気持ちになった所、すごく楽しく嬉しい気持ちになりました。
これが仮に僕がリゾートを運営する側の立場で、
僕が運営に関わってるパークで遊んで頂き、
満足したゲストを見送るシチュエーションだと捉えた時に、
「あ、この仕事がしたい」と直感的に思いました。
当時カリフォルニアに自身が全て手掛けたパークを建設したウォルトは、エントランスにある消防アパートの窓から訪れるゲストを良く眺めていました。
「自分が創ったパークで、笑顔のゲストを見るのが楽しかった」ようで、それに似たイメージを自分も感じる事が出来た瞬間でした。
⇩2017年にカリフォルニアにソロインパした時の消防アパートの写真
窓にあるランプの所からウォルトは良く眺めていたそう。
今でもその気持は鮮明に覚えており、この思いが弊社の目的/ビジョンの原点になってます。
2つに1つの道を定めた就活
①いつかはエンタメ関連の仕事。特にテーマパークに関わる仕事がしたい。ディズニーで働けたら最高。
②でも起業もしたい。自分で道を切り開きたい。
で悩んでいた僕は整理して下記方向性を出しました。
・新卒チケットがある今が、オリエンタルランドに挑戦出来るチャンス(中途はすごくハードルが高いと聞いてた為)
・①まずオリエンタルランドを本命で受けて、受かったらウォルトディズニーの為に一生を捧げる勢いで働こう。
・②①が無理なら自分で創ろう。起業する為に力が付く会社に就職しよう。
結果、案の定オリエンタルランドは大人気企業の為、2次選考で落ちました笑
そこから②の決心を固め、自分でテーマパークを創る事を目標に起業に必要なスキルが身につく会社を探し始めました。
そこで偶然出会い、マーケティングの道を開いてくれたのがオプトでした。
※②に続きます。