漆を使った修理はいつから?
漆を使ったモノのお直し・接着は、日本では縄文時代から見つかっています。
石の槍の先に漆がついていたのが発見されているそうです。
また、中国でも同じ頃に漆で接着していた形跡がありました。
どちらが最初なのかは分かりませんが、日本にも中国にも生えている漆の木。
この漆の木の樹液に接着効果があると、昔の人は気づいたのですね。
日本では、漆で接着や修理をするだけでなく、その部分に弁柄色(朱色のような色)で装飾した形跡もあり
少しオシャレにしたい、という遊び心も芽生えていたのかもしれません。
ちなみに弁柄は酸化鉄でできており、土から採ることができます。
今でも漆やさんで弁柄粉を買って、漆に混ぜて「弁柄漆」として使用しています。
「金継ぎ」が始まったのはいつ?
縄文時代はまだ漆に色をつけるくらいでしたが、金粉で装飾するようになったのはいつからなのでしょうか?
お茶が流行り出した室町時代に、金継ぎも流行り出したと考えられています。
茶器は非常に効果なものでしたので、それが欠けたり割れたりしたら、
金継ぎでお直しして、長く、より芸術的に伝承されていったのですね。
また、金粉を作れる技術は、中国ではなく日本で先に始まったそうで
漆を塗った上から金粉を蒔いて器を修理・装飾する「金継ぎ」は、日本発祥の文化といっても良いのではないかと思います。
本当は怖い、金継ぎ
金継ぎと聞くと、華やかで芸術的な、お金持ちの嗜みのように聞こえるかもしれませんが
安土桃山時代や戦国時代には、ちょっと違った様相があったようにも感じます。
お殿様の大切な器を家来が割ってしまったら、死んで罪を償うような「恥」とみなされていたようで、
金継ぎに関する歴史が分かる文献は、非常に少ないです。
そんな中、「筒井筒(つついづつ)」という有名な歴史の残っている作品があります。
ある日、秀吉が愛したお茶碗を茶屋の家来が壊してしまいました。
それを金継ぎして細川幽斉が狂歌を詠み、秀吉の怒りをしずめ、
家来が命拾いをしたことが、歴史として今も残っています。
金継ぎして、それが美しく心に響くものでなかったら、家来は秀吉に殺されていた…(((´・Д・`)))
お情けをいただくための、命懸けの金継ぎによるお直し。
また戦国時代には「呼び継ぎ」もありました。
違う器の破片を組み合わせて、新しいデザインの器に蘇る、パッチワークのようなもの!
(ただし、本体となる器は6割〜7割くらい残っていて、後の3〜4割を別の器の破片にするのが主だと思います。)
この呼び継ぎは、明日戦をするかもしれない、殺し合うかもしれない両国の長が、
和平の商談のお茶会で呼び継ぎした茶器でお茶を飲み、仲直りの証として用いられたり。
私たちの今の世界も、呼び継ぎして仲良くなれば良いなと思います^^
金継ぎ以外の器の修理技法
金継ぎは、実は漆塗りさん(漆器を作ったり、お寺や壁に漆を塗る職人さん)が
冬にちょっと本業が減ってきたから、小遣い稼ぎで器を直そうか、という感じでやられているのが多かったようです。
そして江戸時代には、もっと安く陶器を直す方法として、「焼き継ぎ」という方法も生まれました。
これは、割れ・欠けた陶器に粘土を塗って、窯で焼成して、復活させるものです。
今でもこの技法はできますが、
何百度にもなる高温の窯で焼くと、元の器の色が変色してしまうことがあるので
全ての器にできるわけではないですし、あまりされていません。
新しい金継ぎと金継ぎブーム
金継ぎは昔はそれほど有名だったわけではなく
木製の器である漆器産業が盛んだったので、その陰でちょっと陶器を直してます、くらいのお直し方法でしたが
漆器産業が衰退して、陶器がどんどん一般人に出回ってきてから
金継ぎは途絶えることなく、じわじわときていました。
そして平成に入り、金継ぎを趣味でやる人が増えてきました。
特に、東北大震災で多くのものが壊れてしまってから、金継ぎがまた少し一段と広まったように思います。
そして現代の技術を駆使して「簡易金継ぎ」という新たなお直し方法も登場しました。
簡易金継ぎが生まれた背景には、
やはり漆が固まるのに時間と一定の条件が必要で難しいことから
なんとか簡単に金継ぎをできないか?と考え抜かれた結果だと思います。
コロナ禍、金継ぎ大ブーム
そして令和2年春。突然のコロナ感染症の広がりに、皆外出を制限される事態となり
今までの生き方や働き方を見つめ直すきっかけとなりました。
外に出なくても楽しめること、新しい趣味として
家にある壊れた器を自分で直す「金継ぎ」が、メディアでどんどん紹介され、大ブームに。
インスタ映えするその美しさで、SNSでどんどん拡散されていきました。
平成ではほとんどの人が知らなかった「金継ぎ」というワードを
今や20代女子が「金継ぎかわいー!」といってくれる世の中に。
そのブームの影に、簡易金継ぎによって、簡単にできるというイメージが広まったこともありました。
しかし簡易金継ぎをきっかけに、漆を使った本物の金継ぎも、どんどん認知されていき
もっと金継ぎを深めたい!という方が、東京金継ぎ教室 つぐつぐにも足を運んでくださいます。
また、昔は金継ぎは陶器だけに行う修理方法でしたが、最近はガラスに金継ぎができる職人さんが出てきました。
ガラス金継ぎはとても難しいのですが、私も実際にガラス金継ぎをされている職人さんから直接習い、習得しました。
(お教室でガラス金継ぎを教えているところは非常に少ないと思いますが、東京金継ぎ教室 つぐつぐでは、この難しいガラス金継ぎを体験することが可能です。)
海外に広まる金継ぎ
平成に入ってからの金継ぎは、日本より海外の方からの注目度が高かったのでは?とも思います。
通常海外では、修復というと、傷を目立たなく直すのが主流ですが
傷をあえて目立たせて芸術に変えてしまう逆転の発想と、日本の「もったいない」精神が
多くの外国人を魅了しています。
2020年に予定していたオリンピックは、コロナの影響で1年延期になりましたが
2021年、日本には渡航できないけど、リモートで見るオリンピックの開催により
日本の伝統文化が改めて注目を集めていっています。
そして、「金継ぎキット」を購入する外国人が、急増しています!!(自社データより)
しかし、多くの外国人は、金継ぎは漆を使って手間暇かけて行うものであることを知らず
壊れていない器をわざとハンマーで壊し、合成接着剤とエポキシでくっつけて、最後に金属粉の入った合成漆を割れ面に塗って仕上げるもの…だと思っています。
私は金継ぎキットを最初に販売した2020年5月から、海外にきちんとした伝統の金継ぎを広めたい!という思いがあり
手順書は全て日本語と英語併記で、英語のYouTubeも配信していました。
2021年は海外からもっと金継ぎが注目されると思うので、
この素晴らしい日本の伝統文化を配信していけるように、頑張りたいと思います(๑˃̵ᴗ˂̵)و.
金継ぎの歴史と技法の違い - まとめ
1万年以上前の縄文時代から漆を使った修復が始まり
茶の湯の盛んな15世紀室町時代には、金粉で装飾する金継ぎが流行り
現在は日本だけでなく海外にも注目される金継ぎ。
これからも多くの人に愛され、古くて新しい日本の文化として浸透していくことかと思います。
いろいろな種類の金継ぎ技法がありますが
手間暇かかるけれど自然の素材と力だけで修理をしていたその尊い方法を
あえて愛しんで楽しんでいただけるよう、今後も金継ぎを世界に配信していきたいと思います(๑˃̵ᴗ˂̵)و.
【金継ぎの歴史について詳しく教えてくださった金継ぎストさんのインタビュー記事はこちら】
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