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【インタビュー記事#1】代表取締役 軽部 治

みなさんこんにちは、三栄工業株式会社です!

今回は、弊社で働くメンバーを紹介する「インタビューシリーズ」の第1弾をお届けします!

  • 三栄工業株式会社では、どんな人が働いているのか知りたい!
  • 三栄工業代表取締役である軽部さんがどんな想いで「建-CUBE」のサービスを作ったのか知りたい!

そんな方はぜひ、この「インタビューシリーズ」の記事をご覧ください!

【今回のインタビュイー・軽部 治さんの紹介】

  • 名前:軽部 治 (かるべ おさむ)さん
  • 役職:代表取締役
  • 生年:1984年
  • 部活:野球
  • 家族:奥さんと3人の子供たち
  • 趣味:お寿司を食べること
  • 性格:とにかく優しい
  • 好き:体育会系
  • 嫌い:梅干し



自由奔放に育った子ども時代

< まずは、簡単に自己紹介をお願いします! >

軽部さん:三栄工業株式会社の代表取締役をしております、軽部 治(かるべ おさむ)です!

よろしくお願いします!

< こちらこそよろしくお願いします!早速なのですが、まずは軽部さんがどのような子ども時代を過ごされてきたのかについてお話しいただけますか? >

軽部さん:そうですね、子どものころの私は、とにかく自由奔放に育ちましたね!

というのも、私は茨城県の霞ヶ浦(かすみがうら)という場所に生まれたのですが、とにかく田舎だったんですよね。

山や川がすごく身近にあって、遊ぶ場所も方法も、全部自分たちで考えていました。

※イメージ

それに加えて、私の両親は自営業で忙しかったので、良くも悪くも親から「ああしろ」「こうしろ」などと言われることがなかったんですよね。

なので、子どもの頃は自分の好きなことを好きなようにやっていましたね。

< なんだかすごく羨ましいなって感じますね(笑)>

軽部さん:なので、両親にはすごく迷惑をかけてしまいましたね(笑)

例えば、親が学校に呼び出されて怒られるなんてこともよくありましたし、家庭や学校でもめちゃくちゃ怒られました。

今振り返ると、とにかく失敗することが多い子ども時代だったなと思います。

でも、「自分でやっては失敗して覚えて、やっては失敗して覚えて」という経験があったからこそ、今の経営の失敗とかも乗り越えられたっていうのはあるかもしれないですね。

過去に2億円無くしてしまった時も、反省はしましたが心は折れませんでしたね(笑)

< 2億円ですか!?そんなことがあったんですね(笑) >

軽部さん:はい(笑)

詳しい話はyoutubeなどでもお話ししていますので、お時間ある時にぜひ見てみてください。

詳細はこちらのyoutube動画で!>>https://www.youtube.com/watch?v=CWh43Fp9JPc

軽部さん:また学生時代には、野球に打ち込んでいましたね。

兄の影響で始めたんですが、すごく楽しくてハマってしまいましたね!

加えて私はそこそこ運動神経が良かったほうだったので、中学生の頃は「野球でトップ目指せるんじゃないか!」と思って調子に乗っていたこともありました(笑)

そう思って野球の強豪校に入ったのですが、周りのレベルが高く、練習について行くことだけに精一杯になってしまいました。

そこで「上には上がいる」ということを実感し、人生で初めて大きな挫折を経験したんですよね。

< なるほど、そんなことがあったんですね・・・。 >

軽部さん:この挫折が、割と自分の中では大きなことで、結局大学入学後も、高校の頃の挫折を引きずったまま過ごしてしまったんですよね・・・。

でも、「このままじゃダメだ」と思って、お金の勉強とか経営の勉強に挑戦したんです。でも結局上手くいかなくて。

そうこうしているうちに、就職活動をする時期になってしまって、なんとか「就活だけはやりきりた い」と思ったんですよ。そこで、野球で培った持ち前の根性だけを頼りに就職活動をして、株式会社大林組(以下、大林組)に入社することができました。

※大林組は、日本を代表する大手建設会社のひとつ。

< そうだったんですね。ちなみに就職活動をする上で魅力的な企業が多くあったかと思うんですが、その中で大林組を選んだ決め手は何ですか?>

軽部さん:正直、強いこだわりはありませんでした。ただ、野球で培った根性を生かすなら、現場仕事かなと考えたときに、どうせなら業界のトップを目指さないと意味がないと思って、大林組を選びました。

これじゃ遅すぎる・・・。大手を退職した理由とは

< そうなんですね。でも、現場仕事の業界のトップ企業となると、ものすごくしんどそうですよね・・・。入社してから一番大変だったことは何でしょうか?>

軽部さん:そうですね、一番は「やる気はあるのに思い通りに動けず、周りに迷惑かけてしまい、なかなか認めてもらえなかったこと」です。

というのも当時は、「仕事は見て盗むもの」という風潮が強かったので、周りに教えてくれる人が全くいませんでした。なので、仕事の見つけ方も、社会人としてどう動くべきなのかもわからず、最初の3ヶ月間ぐらいは毎日怒られてました。

そういった状況で、どうすれば認めてもらえるのかを考えることに苦労しましたね。

< それは大変でしたね・・・。その状況をどうやって乗り越えることが出来たのでしょうか?>

軽部さん:先ほどもお話ししたように、当時は「仕事は見て盗め」というような風潮が強かったのですが、その中でもある一人の歳の近い先輩が親身になってサポートしてくださったんですよね。

そのおかげで、やるべきことが少しずつわかってきて、自発的に動けるようになってきたんです。そのあたりから仕事がだんだん面白くなってきましたね。

<  軽部さんにとってその先輩は、仕事の恩人ですね!>

軽部さん:そうなんです!

そのうちに、自分が地道に仕事に向き合っている姿を見て先輩や職人さんが認めてくださり、徐々に現場を任せていただけるようになりましたね。

<  なるほど!そこから大林組でどんどん活躍されていくわけなんですね!>

軽部さん:いや実は、そこから少しして、大林組を辞めることに決めたんです.

< えぇ!!どうして辞めちゃったんですか?!>

軽部さん:理由は2つあります。

まず1つ目は、大林組のような大きな組織の中で自分がトップに立つまでには、かなり時間がかかってしまうと感じたことです。

< 確かに大きな組織は人が多い分、トップに立つことは簡単ではないですし、順調に行っても時間がかかりますよね・・・。>

軽部さん:そうなんですよ。もう1つの理由は、当時三栄工業の代表だった父が脳梗塞で倒れてしまったことです。

それで実家に戻った際に、三栄工業で大規模な工事案件を任される話が上がったので、地元に戻り三栄工業に入社する決断をしました。

大林組と家業の大きすぎたギャップ

< なるほど、そうして家業に戻られてから、現在に至るまではどんな感じで進んで来られたんですか?>

軽部さん:そうですね、まず家業に戻って感じたのは、「何も決まってないな」ということです。

というのも、大林組は業界のトップ企業ですから、福利厚生や人事制度、教育制度などがしっかり整っていて、すべてがマニュアル化されていました。

それに対して三栄工業は、会社というより「とりあえず職人たちが集まる場」みたいな感じでした。

携帯電話すら支給されておらず、道具も揃っていない・・・、全然違う世界でした。

< 前職との大きなギャップを感じられたわけですね。>

軽部さん:はい、このままじゃダメだと思ったので、大林組で学んだことを活かして少しでも組織を良くしなければと思いました。そして、当時代表をしていた父親と相談した上で、入社からわずか2年目で私が社長になったんです。

< それは驚きですね。若くして社長になられたということですが、上手くいったのですか?>

軽部さん:正直職人さんたちからの目は厳しかったです。「何も分かっていない若造に何ができるんだ」って感じで。ただ、その信頼を得るために、まずは自分が誰よりも働こうと決めました。

< 具体的にはどのようなことをされたんですか?>軽部さん:毎朝5時に出社して、まずトイレ掃除や床拭きから始めました。その後は現場作業にも入り、職人さんに「どうか学ばせてほしい」と頭を下げてお願いしました。現場監督の仕事も並行してやりながら、とにかく泥まみれになって働きましたね。

これを1年、2年と続けているうちに「こんなにやるなら・・・」と少しずつ職人さんたちからの信頼を得られるようになりました。

< 職人さんたちの信頼を得たことで、会社の状況も変わってきたんでしょうか?>

軽部さん:信頼を得ることで自分の声に耳を傾けてくれる人が増え、少しずつですが会社としての組織作りを進められるようになりました。

ただ、当時はまだ組織作りの方法もよく分かっていなくて、試行錯誤しながらでした。それでも、みんなで少しずつ前に進めたのはとても大きかったと思います。

< ありがとうございます。まずは背中で見せるってとっても大事なんですね。>

年商2億から10億へ―会社成長の秘密

< 実は軽部さんにどうしてもお聞きしたいことがあるんです!Xのプロフィールを見たのですが、年商を2億から10億にしたって本当ですか?!>

▼Xのプロフィール画面

軽部さん:本当ですよ!

< ぜひ詳しいお話しをお聞きしたいです!一体どれぐらいの期間かけて、売り上げをこれだけ大きく伸ばしたんですか?>

軽部さん:そうですね、26歳の頃から現在までと考えれば、約13年間ぐらいですかね!

山あり谷ありの13年でした。最初は順調に進み、5億円まで達成したんですが、その後に停滞期が訪れて、5億円から6億円に進むために、かなりの時間を要したんです。

というのも、その時期は営業しなくても仕事がもらえるし、成長を意識しなくても食べていける状態が続いてたんですよね。

< なるほど、現状に満足してしまっていた時期があったわけですね。>

軽部さん:そうですね。

ですがこの停滞期に気づいたことは、「現状維持は衰退である」ということです。

なぜなら、周りの他の会社が成長しようと頑張っている中で、現状維持に留まっていたら抜かれてしまいますからね。

常に右肩上がりを目指している状態が現状維持です。

他の会社よりも1歩2歩先を行こうとするなら、より多くの努力が必要です。現状に満足するなんてもっての他だと思いました。

< そのように考えられてからは、どのような方法で成長を目指したのですか?>

軽部さん:停滞期を抜けるために取り組んだのは、仕組み化と制度作りでした。

まず仕組み化についてですが、それまでは「この人だからできる」という仕事が多かったので、新しく人を雇っても仕事を任せられず事業規模が拡大しないというのが課題の一つでした。

しかしそこから、マニュアルを作成するなどして「誰でもできる」ように仕組み化して行ったことで、新しく雇った人を早い段階で戦力にすることができるようになったんです。

< なるほど、そうなればどんどんと事業の規模を拡大していけますね!>

軽部さん:その通りです!加えて制度作りは、就業規則、福利厚生、評価再度の設計などに取り組んでいます。

また、会社の理念を決めることで、会社としての方向性を明確にし、社員のモチベーションをあげることができました。

この仕組み化と制度作りが、再成長の大きな要因だったと感じています。

< そういった流れで、10億円規模まで達することができたわけですね!大成功ですね!>

軽部さん:ですが、10億円規模でも社会に与えられるインパクトはまだまだ小さいと感じています。茨城県内では一定の実績がありますが、全国的にはまだ知られていないのが現状です。

目指すべきは、100億円の規模まで成長し、より多くの人に自社のサービスを届けることです。そうやって私たちの社会への貢献度を上げていきたいと思っています。

具体的な社会貢献の一つとしては、職人さんをしっかり育成する仕組みを作ることです

建設業界全体の底上げを目指し、その結果として社員の年収や協力企業の利益も増えていくと考えています。

< その「職人さんをしっかり育成する仕組み」が、「建-CUBE」なわけですね!>

「建-CUBE」立ち上げの経緯とは?

< そもそも「建-CUBE」がどのようなサービスなのか教えていただけますか?>

軽部さん:「建-CUBE」は、建設業に特化した職人育成のためのオンライン教育コンテンツです。

これがあれば、なかなか職人の教育にリソースが割けない建設会社でも、人材育成を行うことができるようになります。

>>詳しくはこちら

軽部さん:私自身、これまで人材育成にリソースを割けておらず「お客様からのお仕事を受けたいのに、職人不足のため受けることができない」という状況に何度も直面してきました。

それがものすごく歯痒くて・・・。

そしてこの人材育成・人材不足の問題は、三栄工業のみならず他の建設会社も抱えている問題なんです。そこで「誰もがやれないことをやる」私たち三栄工業が、この問題を解決すべく動き出すことを決めました。

< 職人不足は建設業界全体の問題なんですね。であれば、もっとリソースがありそうな大企業がやった方が良いのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう?>

軽部さん:そう思いますよね。ですが、大手ゼネコン(ゼネラルコントラクター=総合建築企業)の仕事はあくまでも工事を外部に発注してその管理をすることがメインなんです。つまり、自社で職人を抱えているわけではないので、現場で働く職人たちへの理解が十分でないという課題があるんです。

それを考えたとき、業界の問題を根本解決できるサービスを創り出せるのは、大手ゼネコンと取引を行っており、業界では珍しく自社で職人を抱えている私たち三栄工業なんです。

< なるほど、そこで三栄工業さんが先陣を切ることを決めたわけですね。「誰もがやれないことをやる、業界のド真ん中企業へ。」というVISIONに恥じない行動力ですね。>

▼三栄工業のブランドキャンバス。中心にはインパクトのあるビジョンが大きく掲げられている。


世界に激震を与えるサービスを目指して

<「建-CUBE」のサービス展開にあたって、軽部さんはどのような展望を思い描いていますか?>

軽部さん:私が最終的に目指しているのは、この【建-CUBE】を建設業界の中で一つのインフラとして確立することです。つまりは、「【建-CUBE】を卒業して認定を受けた職人さんなら安心して仕事を任せられるね」と言われるような世界を実現したいです。

これは、私が50歳になるまでに達成したい大きな目標です!

そして資金や人脈が揃えば、どこかのタイミングで海外進出もしたいと考えています。

具体的な目標は、5年以内ですね。

例えば海外の発展途上国に持って行ったとしたら、日本の建設技術や職人のクオリティに感動してくれる方も多いんじゃないかなと思っています。

日本にとどまらず、海外にも激震が走るようなサービスを作りあげたいと思います!

< 建物が人々の生活に欠かせない以上、建-CUBEは世界を救うコンテンツになり得るということですね。ものすごくワクワクしてきました!>

軽部さん:あとは先ほどもお話ししましたが、この「建-CUBE」のサービス展開を皮切りに、三栄工業の規模をより拡大させて、社会に大きく貢献できる企業になりたいですね。

利益が増えることで、会社としてより多くの挑戦ができるようになります。例えば、YouTubeやSNSを使った発信もその一環です。1億円の時には余裕がなかったことも、10億円規模になってきてやっと実現できました。

▼実際のyoutube収録の様子。数万回再生されている動画もあり、多くの方に視聴いただいています。

これからもより多くのことに挑戦することで社会に価値を提供し、日本・世界にとってなくてはならない企業を目指していきたいですね!

最後に一言

< では、最後に軽部さんからこのインタビュー記事を読んでくださっている求職者の方に向けて一言いただけますか? >

軽部さん:現時点で入社してくださったあなたは、経営企画のスタートアップメンバーに他なりません。

また今回の「建-CUBE」はあくまでも通過点で、今後さらなるサービスの展開も考えています。

皆さん、世界の建設業界で使われる新しいインフラコンテンツを私達三栄工業と一緒に作りましょう!

そしてそこから様々なサービスの展開へと繋げ、世界を動かす仕事をしましょう!

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いかがでしたでしょうか?

他の社員についてのインタビュー記事も、今後どんどん配信していきます!

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