プロフィール
氏名:田口紀成(たぐちただあき)
出身:茨城県
最終学歴:明治大学大学院基礎理工学専攻
新卒入社企業(2002年~2009年):株式会社インクス(製造業ベンチャー)
2社目(2009年~現在):株式会社コアコンセプト・テクノロジーCTO
その他の所属: 畑村創造工学研究所 危険学プロジェクトメンバー(2007年~)、理化学研究所客員研究員(2014年~)
私の経歴を一言で表すならば、「モノづくり系ITエンジニアができあがるまで」です。
これからも「ものづくり系ITエンジニア」として生きていく予定です。
どのようにしてこのような想いを抱くに至ったか、
過去を振り返りながら、お話します。
生きる事 = ?
私は茨城県の兼業農家の出身です。
祖父・祖母が農業を営み、父が会社員でしたが、
休日になると父も農業用の機械をいじっている事が多かったです。
農家の生活は、いたってシンプルです。
農作物を作って売る、です。
父の仕事も機械を売る、修理する、といった事が仕事だったので、
生きる事=ものをつくって売る事
という理解は社会人になった今でも根強く残っています。
プログラマに目覚めるきっかけ
この記事を執筆している今の私は41歳です。
私くらいの年齢の人達にとって、「ファミコン」が最初のコンピュータ(ゲーム機)であることが多いのではないかと思います。
そのあとに「スーパーファミコン」を買って、その次に「セガサターン」か「プレイステーション」。
私はどうであったか、というとご多分に漏れず、最初は「ファミコン」でした。
小学1年のときに従兄に「ファミコン」を教わり、小1のお年玉で買いました。最初に買ったゲームはエキサイトバイク。よく覚えてます。
その後からが少し違います。
小学4年のときにやはり従兄起因なのですが、ファミコンを教えてくれた従兄とは別の従兄から「MSX2」をお下がりでもらいました。
「MSX2」にももちろんゲームはありましたが、大きな違いはプログラミングできたということ。
「マイコンベーシック」というマニアックな雑誌を片手にプログラムを組んで動かして遊んでいました。
プログラマとしての私のキャリアがスタートしました。
DTMと装置の制御
高校生になったときにPC98を買ってもらい、DTM(デスクトップミュージック)に嵌りました。
私のPC98、最初に乗っていたOSはなんとWindows3.0Bです。
今でこそWindowsは良く認知されていますが、当時のWindowsは本当にWindowsって
言っていいの?っていう出来で・・・
それはさておき。
「装置を制御する」プログラミングについてはDTMの経験が大きく関係しているように思います。
MIDI音源という装置を制御するのですが、インターネットのない時代ですから本当に苦労しました。
マニュアルには意味不明な小さな文字がたくさん並び、マニュアル特有のわかりにくさも相まって
思ったとおりに音を鳴らすところまで時間がかかりました。
プログラミングとは少し違うのですが、装置を制御するという感覚をここで得たように思います。
例えばシリアル通信である、ということがどういう影響を及ぼすのか、ということ。
音がずれるんです、微妙に。びっくりしました。最初はなんで?と思いましたがあたりまえです。
シリアル通信でバッファリングせずにリアルタイムに処理しているのだから。
大学時代はサークル活動が中心でした。
もちろん、卒業に必要十分な勉強はしましたが。
サークルはオーディオ系のサークルなんですが、私自身は相変わらずDTMを楽しんでいました。
アルバイトして、お金をためて、新しいPCを組み、新しい音源を買い・・・
変わったことといえば、映画を撮って、その中で楽曲を担当した、ということでしょうか。
それ以外はきわめて普通の大学生だったと思います(オタクとして)
最初の就職
インクスという製造系のベンチャー会社に入社しました。
決めた理由は簡単です。
・初任給が高い!
いや、それもそうなんですがもっと大切なことがあります。
・都内でエンジニアリングができる
・光造形という新しいモノづくりをビジネスにしている
今でこそ私はITエンジニアですが、就職当時は蒲田の工場で働こう、と考えていました。
極端な事を言えば、モノづくりのまさにモノを作る、という事ができれば、
就職先はどこでも良かったんです。
モノを作って売る、これが生きる事の基本だと考えていたからですね。
唯一こだわりたかったのは、都内であること。
大学生の頃から、都内に居る事が
沢山の人に会える事、
何をやるにしてもチャンスが多い事
を実感していました。
大学時代までITに強みを持っていた私ですが、
IT関連の企業への就職活動は全く行いませんでした。
私にとっては遊びの延長ですし、当時はプログラマ30才定年説、というオカルトまで広まっていて
危ない感じがしていたからです。
なんといっても モノを作って売る、という感じがしない。
つまり生きていける感じがしないんです。
そんな私が結局ITエンジニアになる事を選んだのは、
インクスという会社で、ITがモノづくりの方法を全く変えてしまっている姿を目の当たりにしたからです。
なるほど、ITにはこんな力があるのか、と理解した瞬間でした。
インクスに入社間もないころに、山田眞次郎社長が「Speed is money」というキャッチフレーズとともに
製造業務改革コンサルティングを展開し始めていました。
あぁ、ITとはまさに「Speed is Money」だなと思ったんです。
似た言葉に「Time is Money」とありますが、これは私は完全ではないと考えています。
なぜなら時間がお金にかわるのではなく、価値がお金に変わるから、です。
Speedとは、価値を時間で割った値です。
つまり「Speed is Money」とは価値提供の速度をお金にするんだ、という意思であると直感したんです。
ここに、ITの価値を実感しました。
最初の仕事を決める時、最後の最後まで迷ったのですが、
「ものづくり系ITエンジニア」になることを決めました。
今
今の私は相変わらず「ものづくり系ITエンジニア」です。
役員というポジションにあり経営も大切な役割ですが基本は変わりません。
営業もするし、必要とあらば設計もする、コーディングもする。
朝は早めに起きて、プログラミングしていることも多いです。
さて。
未だに「ものづくり系ITエンジニア」である私ですが、
仲間を育てることも大切な役割のひとつであり、
社会人としてのミッションを以下のように設定しています。
ITエンジニアとして一生生きていくために必要なスキルが何なのかを定義し、
それを仲間に伝え、習得・実践してもらうこと、です。
いくつか例を示します。
プログラミング言語は色々なものを浅く学習するより、まずは深く1つの言語を獲得すべきと考えています。
もちろん、プログラミング言語に差はあります。しかし1度何かしらのプログラミング言語をマスターすれば、
他のプログラミング言語をマスターしたプログラミング言語の差分として会得することができるようになり
学習効率がいいです。
ひとりで進められる仕事などほとんどありません。仕事をすることにおいては、
エレガントなアルゴリズムを時間かけて考案する事より、
明快で仲間に伝わりやすいコードを短時間で作り上げる事の方が重要、と考えています。
意外に聞こえるかもしれませんが、一生ITエンジニアをやろうとするならば、営業・提案スキルは必要です。
なぜなら価値を認めてもらい、お金を払ってもらう必要があるからです。
エンジニアであっても、お客様対応を通じて、営業・提案のスキルを磨いてもらうようにしています。
押しつけがましいこれらの例はすべて私の経験に基づく現時点の理解です。
これらが間違っていて、今後否定することすらあり得ますが、
今のところうまくいっている事も事実です。
結び
コアコンセプト・テクノロジーではITエンジニアになりたい仲間を鋭意募集中です。
どんな方でもいいわけではありませんが、
「将来こういう人間になりたい」という意思を尊重し、採用するようにしています。
将来を見据えている人にとっては今の仕事が適切でない方もいるのではないでしょうか。
もちろん、コアコンセプト・テクノロジーが適切であるとは限りませんが、
折角なので、私たちコアコンセプト・テクノロジーのメンバーが大切にしている考え方を
知っておいてください。
それは「市場ニーズのある人材を育てること」です。
つまり会社にとって必要な存在であるだけでなく、広く市場に受け入れられ、価値のある
人材を育てるということです。
あなた方の「将来こういう人間になりたい」が市場に受け入れられ、価値のあるものであれば、
きっとコアコンセプト・テクノロジーでの経験は良いステップになると思います。