チョコレートを買いに来て、フェアトレードを謳っているものとそうでないものがあったとしたら、多少割高でもフェアトレードのものを選ぶことはあると思います。規格外の果物や野菜等がフードロスの名目で売っていたら思わず手が伸びてしまうんじゃないでしょうか。こういうのを倫理的(エシカル)消費と呼びますよね。
では、自分の会社で材料や副資材を調達するときはどうでしょうか。協力会社に外注するときはいかがでしょう。調達する材料がエコかどうか、発注先の会社の事業が公明正大でフェアかどうか、果たしてそれが割高でも購入しようという意志決定の要素になり得るのでしょうか。
側島製罐では社運を賭けた挑戦として「低CO2鋼材を使ったエコ缶」を今年開発して販売をスタートしました。リサイクル率が90%を超える缶に更に製造工程でのCO2削減という付加価値を加えた、世界初の超エコ缶だと自負しています。自分たちも材料の調達価格が上がるというリスクテイクで覚悟も示しています。しかし、残念ながらこれまでのところ問い合わせは0件、直接的な仕事の引き合いには全く至っていません。先述した通り、やはりいくら世界初のエコ製品だと言っても、「缶がエコだから、それで?」という程度のインパクトしかなく、法人の意思決定の壁を超える理由には足り得ないと現時点では分析しています。もちろんこれは想定内で、こんなニッチな産業の小さな会社の取り組みだけで、一朝一夕に世の中のマインドに変革を起こせるとは思っていません。ただ、僕らがこれから挑戦しようとしているのは、こうした製品を通じた啓蒙活動を続けて、倫理的消費をBtoBの領域で実現していこうというものです。そのために、薄利多売の世界で事業の生命線である”価格競争力”を手放すことになるわけなのですが、今回はそんな僕らの覚悟と実現したい世の中のあり方について書いていきたいと思います。
熾烈な価格競争でジリ貧の一途を辿る薄利多売の「缶」
前提を少しお話すると、缶は”専用量産装置”で製造される大量生産モノです。缶を作るための専用の機械があり、その機械に「金型」と呼ばれる型をセットすることで、同じ形の缶を大量生産できる仕組みになっています。色んな形を作る汎用性は低い代わりに、同じ形状を作り続けるのは得意なわけですね。新聞や段ボールなども近い仕組みですね。
昔は大量生産大量消費を前提としていて、世の中には大ロットのオーダーが溢れていたので、この専用量産装置はとても理に適っており経済性も高かったわけなのですが、現代のように小ロットが求められるようになると、専用量産装置でのビジネスモデルも厳しくなっていきます。小ロットで色んな形の缶を作るためには製造装置にセットされている金型を都度替える必要があるのですが、その金型を交換している作業時間は全てロスになってしまいます。機械を動かしてる時間=製造時間であるため、どこのメーカーも「同じ缶をたくさん作り続ける大ロットの仕事が欲しい!」と躍起になり、結果としては大ロットの取り合いという熾烈な価格競争が起きてきたわけです。そうなるとスケールメリットを効かせて材料を大量に購入できる規模が大きい会社ほど有利になるわけなのですが、最近では中国の大規模な缶メーカーが圧倒的な価格優位性を武器に日本にも食指を伸ばしてきていて、国内では小~中規模の缶メーカーが年々淘汰されているのが現状です。業界では中規模の弊社も他人事ではありません。今まで通り、「言われた通り缶を作って納める」という事を続けていてもジリ貧だというのは、2000年以降で20年連続で売上が下がり続けて1/3まで落ち込んでいた弊社の歴史でも証明されています。
個人よりも遥かにハードルが高い法人の倫理的消費
個人でエシカルな消費をするかどうかは倫理観や消費によって得られる体験と価格の天秤によって決定されるものだと思っています。なので、直感的にわかりやすい衣食住などの生活にかかるものはエシカルな消費行動が結びつきやすいのではないでしょうか。食品、衣料、生活雑貨、電気など、直感的でわかりやすいものについては倫理観が表面的なコスパに勝ることもそれなりにあるわけです。
出展:エシカル消費 意識調査2022
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2022/0620-010527.html
他方、法人の場合はどうでしょうか。倫理観は消費行動の大きな意思決定要素になるのでしょうか。結論から言うと、よほど明確な理念やKPIがない限りは、わざわざコストが高いものを選ぶ理由はないと考えています。いくら担当者レベルでは倫理的な感性を軸に調達先を選定しようとしても、相見積や業績、評価の壁は非常に高く、複数人が合議をして利益を追求する意思決定の場面においては「まあ、いい材料なのかもしれないけどね」という倫理の残滓のような感想が最後に零れる程度、効果を感じにくい社会性という抽象的なモノは劣後してしまうのが常ではないでしょうか。相見積という慣習もあり、個人の消費とは違って法人の消費は価格偏重で非常にシビアです。
「それでも、あの会社に頼みたい」という閾値はどこにあるのか
缶業界に限らず、世の中のモノやサービスの品質が高止まりしている昨今では、同じような悩みを抱えている事業者さんも多いのではないでしょうか。人口減少に伴って全体の消費量が減り続ける中で、原材料の値上がり、中国企業の台頭などもあり、スケールメリットがなく価格優位性が低いポジションにある中小規模の会社は、相当な選ばれる理由がなければ存続していくことは難しい時代に来ていると思います。
僕らが選んだ道は、”価格で戦う”という退路を断つものです。”価格”という最強のカードを手放すことは表面的には非合理的な判断ですが、やはりそれを自分から手放すというリスクテイクをして退路を断たない限りは、それ以外の選ばれる理由を本腰を入れてつくりはじめることはできないものだと思っています。更に、ここで一番大切だと思うのは、自分たちが選ばれるようなムーブメントを自分たちが起こしていく必要があるということです。「やれることはやったのであとは選ばれるのを待つ」という受け身の姿勢では全く不十分で、缶自体の魅力を高めたり、エコへの意識を啓発したり、社会全体の文化を自らの手でつくっていかない限りは、永遠に他人軸に翻弄され続け、選ばれる会社になる日は来ないと思っています。
弊社ではこの数年間は特にですが、選ばれる会社づくりに努めてきたつもりではあります。どのお客様に対しても公平公正に対応すべく個別の値引きをやめたり、広報活動を通じて指名買いしていただけるように認知を高めたり、缶の魅力を高めるような自社商品を開発したり、今回の低CO2鋼材を利用した超エコ缶を開発したり。本業の製缶以外にも、自己申告型報酬制度を導入で新しい企業活動のあり方を示したり、老舗下請け中小企業のイメージを覆すような取り組みをしたり、働く人のウェルビーイングを追求したりというのもその一環です。こうした一つ一つの活動は啓蒙的な要素が大きく、直接的な受注や収益向上に結び付くかず、むしろ短期的には不利益を被ることも多々あります。ただ、目先の利益を劣後させてでも、こうした社会善とした取り組みを積み重ねていかない限り「それでも、あの会社に頼みたい」と言ってもらえる日はやってこないと思います。自分たちがリスクを背負って覚悟を証明して、それを世に問い続けることで初めて、世の中を変えるきっかけを作ることができるものだと信じています。
あとがき:100年経っても変わらない信念
側島製罐では2021年に「宝物を託される人になろう」というビジョンを全員で掲げました。缶屋としてのこれまでの歴史や、働いている人たちの想いの結晶であり、まさに”ビジョン”と呼ぶに相応しいものだと自負しています。
ところで最近、側島製罐の創業当初の資料が発掘されたんです。そこには、創業者の言語化された人生観が記されていて「商人は信用が財産」と書いてありました。僕らがビジョンを掲げたときにはこの文言は全く知らなかったわけなのですが、その意味の重なりを鑑みるに、創業者の言葉はそのまま語り継がれては来なかったものの、会社のDNAとして一世紀以上脈々と続いてきていて、今もこの会社で働く人たちの信念として受け継がれてきてるんだと確信しています。こうして創業からの想いを大事にしてきたからこそ側島製罐という会社は今まで事業を続けることができたんだと思いますし、これから先も僕らが軸足を置くべきはこの”信用”という財産を作り続けることなのだと信じて止みません。