今回はBridg3事業部の中尾さんと人事総務部の北村さんのおふたりに「働き方」をテーマに対談いただきました。
― まずは、おふたりの自己紹介をお願いします。
Bridg3事業部 責任者 (ゼネラルマネージャー)
中尾 政史さん
中尾:私はもともと画像処理を専門とするソフトウェアエンジニアとしてキャリアを積んでいます。大学院(東京工業大学)ではアナログ集積回路を専攻し、石川県のEIZOで画像処理のデジタル集積回路の設計開発に従事、その後、キーエンス東京研究所にてFA(工場自動化)向けの画像処理装置の、主にアルゴリズム開発に10年間携わりました。お客様の現場の課題を解決する・営業も売りやすい商品の開発が如何に大事であるかを、この10年間で徹底的に学びました。現職は工作機械メーカーと業態は異なりますが、お客様の現場の負担を軽減する、より生産性を向上していただくための商品ということは共通していると感じています。
人事総務部 ゼネラルマネージャー
北村 一弘さん
北村:私は大学で機械工学を勉強していたのですが、自身の知識やスキルに自信が持てなくて、興味のあったファッション関係を仕事にしようとおもい、大手小売業の丸井に入社しました。丸井では、11年間仕事をしたのですが、販売、情報システム、人事、販売促進など多くの職種を経験させてもらいました。その中で経営にとって「人」の大切さを学びましたね。「人」に関する仕事して経営に貢献したいと考えたのです。その後はIT系、サービス系、大手製造業など複数の会社にて、人事をメイン業務とし管理系の仕事を行ってきました。
― 中村留に転職をしようと思った理由
中尾:私が転職した理由の一つは、もともと石川県で働いていたこともありますが、当社が地方で成長し続ける雰囲気のある会社だと感じたからです。
ちょうど私が入社する4月に、まるさん(現社長)が社長に就任されるタイミングでした。採用の面接の際に対談させていただき、まるさんが新しい考えを持ち、伝統のある会社でも新しい風を取り入れている姿勢が非常に印象的でした。そんな新しい空気を感じられる環境で働きたいと思ったからです。
北村:タイミングとして中尾さんが入社した1か月後に私も中村留に入社したのですが、まるさんが社長になるとは知らなくて・・・もちろんまるさんと面接をさせてもらったのですが。まるさんの社長就任は新聞で知りました(笑)。
私は30年近く東京の会社で働いていたのですが、いろんな考え方や経営に触れてみたいという思いと、地方の企業に何か役に立てないかなという思いがあり日本全国で会社を探していました。中村留に入社した理由は、伝統を大切にしつつ、多様な考え方を取り入れる、新しいことにチャレンジしていく、というまるさんの考えに共感したからです。
― 同じタイミングでの入社。お互いの印象は?
中尾:人事課の副部長で入社されたので、出来る方が入ってきたなという印象です。最初は話す機会がなかったですが、話すとやはり人事のことはもちろん、それ以外の仕事面でも経験豊富でいらっしゃって、私自身も触発されました。
北村:出来る方かはわかりませんが。。。仕事に対する考え方や方向性が同じで話が合う!と思いました。自分も入社したばかりで、この会社の人がどんな人たちで、どんな風土なのかがつかみきれないところもあったのですが、中尾さんとはいわゆる同士というか共感者として、一緒に仕事をしていけると感じたのを覚えています。
中尾:私自身もこの会社に入った時、一人だったとしたら、今の会社に馴染んでいるか、もしくは反発しているかのどちらかだったと思います。お互い、そういった点ではポジティブなことも、ネガティブなことも言えて、それが支えになった部分はあると思います。
― 東京から石川県へ・・不安や影響、家族の反応は。
中尾:私の子供が中学3年生もしくは高校生だったら転職はしていなかったですね。子供が中学2年生の時だったのがある意味、私にとっては転職のラストチャンスでもありました。縁あってこの会社に入りましたが、子供がこれまでの東京での生活と大きく環境が変わり、石川県でちゃんと過ごしていけるのか、それが1番心配していました。でも、子供に「友達はどこにいてもできるよ!」と、その言葉に救われたのを今でも覚えています。
北村:最初から地方の会社も視野に入れていましたので不安はありませんでした。九州の島にある会社にも応募していたくらいです。(笑)
奥さんも趣味を仕事に自立していましたし、子供たちももう大きくなっていたので快く送り出してくれました。
ーどのような働き方をしていますか?
北村:東京に自宅がありますので、こちらに単身で来ました。会社のことを知る必要もありますし、仕事柄石川県の本社にいる必要もありましたので、本社を拠点に活動していました。過去からの流れで製造業はどの部門においても全般的に決まった時間で仕事を行うことが多いと思います。ただ、仕事の内容によっては、時間も場所もフレキシブルに対応できることに気が付きました。そこで新しい仕組みを導入したのです。テレワークとフレックスタイムの導入です。私の部署でも両方の仕組みをハイブリッド的に活用し、仕事の効率化を図っています。
中尾:その通りだと思います。自分もPJTに参加したのですが多様な働き方を導入できたことは非常に大きいことだと思います。
北村:自分の仕事も100%本社でなくてもできる体制を作りました。現在は月の3/4は本社で仕事をし、1/4の時間は東京に戻ってテレワークをしたり、新しい事業開拓のために様々な企業を回ったりしています。
中尾:とてもメリハリがある働き方でいいですね。
― 働くうえでのポリシー
中尾:自分がやっていることがどれだけ売り上げや利益に貢献しているかを常に気にしています。自分の手で動かしていることだけでなく、周りがそれをきちんと使ってくれているか、広くモデルとして活用されているかという点も重視しています。これは前の会社でも叩き込まれたことです。
私はもともと開発職としてキャリアをスタートしましたが、前職では、単に会社のルールに従うだけでなく、必要に応じてその枠組みを作ってきました。場合によっては採用面接を行う、経理に提言をする、別事業部との技術連携の場を作るなど、幅広いアクションをとってきていました。そのため、当社においても特定のフィールドにこだわることなく柔軟に取り組んできました。
この会社に入社してからは、1年目から企画やマーケティングの手法について実践し、開発のGMと一緒に日本や海外を回るなどの活動を行いました。また、新製品の市場調査にも積極的に参加し、周りのメンバーと協力しながら進めています。自分が詳しくない分野でも、チームと一緒に取り組むことで、これでいけるかどうかを判断していく姿勢を大切にしています。
今回新しく設立した事業部でも、自分たちで作ったものを市場調査しながら進めていくという取り組みが続いています。
この会社では、新しい挑戦に繋げていく姿勢が根付いてきています。例えば、社内の人事制度や多様な働き方の枠組みを整備する一環で、フレックス制度の導入にも関わりました。様々な分野で手広く活動させてもらっています。
北村:私は1社目を辞めた後から特に意識していることがあります。それは、人事や総務といった部門がいわゆるコストセンターと呼ばれる中で、どのように利益を上げていくかを常に念頭に置いていることです。特に管理部門にも共通する考えです。どの業務であっても、間接的であっても、どう利益を生み出すかを目標にし、そのために何をしなければならないかを意識して取り組んでいます。
―色んな経験を経て、今後の目標
北村:中村留を「永続的に存在する会社にしたい」と考えています。自分がいなくなった後も続いていくことが目標です。今後100年以上永続的に発展していくことが最も理想的です。そのために、自分の役割としては「人」の面が最も重要だと思っています。中村留で活躍できる人材をいかに採用し、その人たちをスキルや人間的な面を成長させていくことが、会社が続くための鍵だと考えています。
中尾:まさに今、そこに私は大きく助けられていますね。
私の目標としてはレイヤーに分けて大きく3つほどあります。
1つ目はプロダクトの成功です。現在、私たちは「Dr. Tool」という製品を開発しており、その成功を目指しています。
2つ目は事業部としての成功、具体的にはプロフィットセンターとしての成功です。大きな目標として、5年で30億円の売上を達成することを掲げています。
3つ目は文化として会社に根付かせたいものです。具体的には、ボトムアップの文化を育成し、私たちが指示しなくても自主的に行動できる環境を提供し、リーディングスタイルを普及させたいと思っています。この事業は、そのための挑戦事例として位置づけています。
この3つの目標は、中村留にとって新しいモデルケースになると考えています。キャリア採用で外部から入ってきた私にとって、これらの目標は非常に重要であり、達成に向けて全力を尽くしています。
― 最後にお二人が思うこれからの働き方
北村:多様性の観点から言えば、日本、海外からいろんな考え方を持った人を集めたいとと思っています。同じ考え方、指向性を持った人の集まりでは組織は永く続きません。多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まることで、より豊かな発想やアイデアが生まれると感じています。
中尾:働く場所や仕事の進め方も自分で決めることができる、そんな自由な環境にするベースが中村留にはあると思います。
今後もいろんな場所から多様な人材を迎え入れたいですね。