Blanketで働くメンバーの声を届けるBlanketインタビュー、第8弾は2022年に入社した採用コンサルタントの太田 高貴さんです。東京都内に拠点をおくBlanketで、大阪在住の彼はフルリモートの有給メンバーとして働いています。
新卒で福祉・介護業界に入り、現場経験から採用部門まで、視点を変えながら業界と向き合ってきた太田さん。どのようにしてBlanketに出会い、ジョインする決断をしたのか。太田さんが見つめる福祉・介護業界への眼差しを聞きました。
太田 高貴
採用コンサルタント
1982年大阪府生まれ。同志社大学社会学部社会福祉学科卒。2004年に新卒として職員1,000人超の社会福祉法人に入職。特別養護老人ホームの介護職、地域包括支援センターの社会福祉士として実際に現場を経験した後、法人本部にて採用の責任者を務める。新卒・中途採用に加えて、ダイバーシティ採用にも注力し、実際の雇い入れから定着に至るまでの流れの仕組み化に成功。2022年に介護人材不足という社会課題解決の一翼を担うべく株式会社Blanketに入社する。
大阪からフルリモートで勤務。対面じゃないからこそ、“信頼”を積み重ねる
——太田さんは大阪在住で、フルリモートで働かれているとお伺いしました。どのようなお仕事をしているのでしょうか。
採用コンサルタントとして、全国各地の社会福祉法人や福祉・介護事業所の採用課題に伴走しています。具体的には、ご依頼いただいたクライアントの採用計画の立案や採用コンセプトの策定などゼロベースから携わることもありますし、採用ツールの制作としてサイト作りやパンフレット制作・ディレクションを担うこともありますね。最近では、行政から委託を受けた研修の講師を務めることも増えてきました。時には、対面で対応することもありますが、基本的にはリモートで仕事をしています。
——リモートワークは場所の制限がない一方で、業務内容を理解したり信頼関係を作ったりするのには難しさもあるかと思いますが、いかがですか?
おっしゃる通り、僕自身フルリモート勤務は未経験だったので最初は戸惑いました。ただ、入社を決めたときからリモートワークを前提としていたので、かけてもらった期待に応えていこうと覚悟を決めましたね。画面越しで信頼関係を積み上げるのは、社外はもちろん社内に対しても一筋縄ではいきません。
だからこそ、当たり前のことをきちっと遂行することを意識しています。社外に対しては、「一緒に良くしていきたい」という想いを対面以上に丁寧なコミュニケーションで伝えるようにしています。採用コンサルタントはあくまで外部の関わりなので、やり取りする担当者によっては、提案した内容を「できないです」と言われてしまうこともあります。もっといえば、決裁権がなく「予算を捻出できません」ということも。そうしたレスポンスへの対応が腕の見せ所でもあって、そうならないために一緒に資料を読み込んだり、上司への提案方法を模索したり、外部ではあるものの泥臭く一歩一歩進む関わりを大切にしています。
社内においては、見えるところで積まれる信頼を心がけています。例えば、1日の業務報告、案件の進捗共有、経費や休みの申請関連なども、顔が見えない分、決められたルールは期日も含めて常にきちっと守る。対面なら「あとでやろうと思っていました!」「忘れちゃってました!」と、状況や声のトーンで伝えられますが、テキストコミュニケーションが主軸のリモートワークはそうではありません。時間や場所に制限がなく自由な分、自分次第でいつでも簡単に手を抜くことができてしまう。そんな中で任せてもらっているからこそ、真摯に責任を果たすことを意識していますね。
自分の働きかけで誰かを助ける。福祉・介護の世界に携わる原点
——Blanketとは関西と関東で活動拠点が離れていますが、どのようにして出会ったのでしょうか?
入社したのは2022年ですが、実は2017年頃から代表の秋本と関わりがありました。最初の出会いでいうと、副業として行っている「フクスタ」という活動の中でのトークイベントにゲストとして来てもらったことがきっかけですね。
——2017年頃から関わりがあったと。「フクスタ」も気になりますが、そもそも太田さんがこれまでどんなキャリアを歩んできたのか教えてください。
僕は生まれも育ちも、そして今も、ずっと大阪にいます。大学で社会福祉学科を専攻し、新卒で大阪府内でも規模感の大きな社会福祉法人に入職。特別養護老人ホームの介護職としてキャリアをスタートしました。その後、一度退職しましたが再雇用してもらい、地域包括支援センターの社会福祉士としてキャリアを再開。1年ほどで本部に異動となり、採用部門を8年ほど担当してから、キャリアアップのために訪問看護・介護を行う会社に転職し、今に至ります。
——1法人の中で介護職、社会福祉士、採用部門を担われたあと、1社の転職を経てBlanketに。大学で社会福祉学科を専攻されたとのことですが、どうしてこの業界を選ばれたのでしょうか。
原体験を思い返すと、小学生のときに特別支援学級の子たちと触れ合ったことが大きなきっかけですね。というのも、母が小学校の教員をしていて、特別支援学級を担当していた時期がありまして。夏休みになると母が勤務する小学校に連れて行ってもらい、知的障害のある子や身体障害のある子たちとよく遊んでいたんですよ。友達になって、一緒に遊べることが僕は嬉しかったし、楽しかった。僕にとっては、彼らの存在は友達として当たり前だったんですよね。
ただ、僕が通っていた小学校にも特別支援学級があったのですが、クラスメイトの中には幼さも相まって心無い言葉を向ける子もいました。当時の僕はそれがすごく嫌で、「なんでそんなことを言うんだろう」とモヤモヤ......。そうした経験もあり、障害のある方たちに対して自分ができることを学びたいと思い、大学の進路選択で「福祉を学ぼう」と思いましたね。
——新卒では高齢者介護の道に進まれましたが、何かターニングポイントが?
就職活動で自己分析をしたとき、僕は何かしら困りごとがある人・不都合を感じている人に対して、自分のアクションによって少しでもプラスの影響を与えることが好きなんだと気がついたからです。加えて、そうやって動ける自分も好きで、自己肯定感が高まるんですよね。思い返すと、中学生のときに成績が芳しくない友達と一緒に勉強して、彼の成績があがると僕も嬉しくなったことがあって。募金したり、道で困っているおばあちゃんを助けたり、そんな自分が「かっこいい」と感じていたんでしょうね。今も昔もヒーローや少年漫画が好きなので、主人公たちに憧れていたのかもしれません(笑)。
福祉・介護業界では、携わる分野や種別で就職活動を進めることが多いですが、僕は種別に捉われずに自分の想いが叶えられることを軸にし、新卒で入職した社会福祉法人に出会いました。いくつかの法人や企業を受けましたが、その中で唯一「経験を積んだら本部に来てほしい」と言われたことが決め手になりましたね。キャリアが広がる可能性も感じましたし、利用者・入居者への直接支援だけに留まらないアプローチができることに魅力を感じました。
目の前の人を助け切る先に、広がるものがある。そのために自分にできること
——その後、本部に行くまでに一度退職も経験されていますよね。
その期間は、法科大学院に3年通い、法律の勉強をしていました。
——法律の勉強を!どうしてでしょうか?
福祉を学び、仕事する中で気づいたのは、自分が働きかける、人に手を差し伸べるためには、自分自身が強くないといけないということ。強さというのは、心身の余裕もそうですし、知識も含めて。知識がなければ、労働力として不当な扱いを受ける可能性が僕を含めて周りのスタッフにもあるのではないかと思い、「ここで働く人たちのためにも強くなりたい」と感じました。そこで、すべての基礎である法律を学ぼうと決め、会社に相談。結果的に3年間法科大学院に通い、再雇用されるという特殊なルートを歩ませてもらいました。
——「人に手を差し伸べるためには自分が強くないといけない」は、その通りだなと感じます。手を差し伸べた結果、自分自身が苦しくなってしまったら本末転倒というか。
僕が好きな漫画の中に、「全員は救えないけれど、目の前にいる人たちだけは守る」という言葉があります。なんでもかんでも助けようとすると、結局中途半端になってしまって、最終的には誰も救えないという結末にもなりかねない。僕は自分の能力値やパワーを冷静に見て、目の前の人をきちんと助け切りたい。それによって手を差し伸べられる範囲は狭まるかもしれませんが、それが積み重なれば確実に大きな変化になるんじゃないかと思っていますね。
——そして、ついに本部へ異動したんですね。
はい。採用部門に異動してから、福祉・介護業界に対する視野がぐっと広がりましたね。業界を知らない層へ、どう魅力を伝えるか、そもそも何が魅力になるのかを改めて考えるようになって。ですが、採用数は順調ではあったものの7年目あたりで「このままでは緩やかに行き詰っていく」とも感じるようになりました。自分たちだけが成功しても、業界全体で人手不足が続けば取り合いになる。であれば、他法人と採用ノウハウを共有し合ったり、話し合えたりする場が必要だと考え、いくつかの法人の人事担当者・採用担当者と協働する形で「フクスタ」が生まれました。フクスタは、「福祉の扉を開く」をミッションに、カフェなどのラフな場で合同説明会を開いたり、トークイベントを企画したりしていました。
そこからのご縁もあり、ある日Blanketの求人がたまたま僕のSNSに流れてきたんです。今でも覚えていますが、ちょうど休憩中のこと。求人を見て、僕の周りの人にも縁があればいいなと思い、秋本さんに採用エリアを確認する意味で「お久しぶりです!求人見たんですけど、東京ですよね?」とメッセージを送りました。すると数秒後、「関東で考えていましたが、太田さんなら考えてみます!」と。
最初は「ん?僕?僕なの?」状態(笑)。でも、そう言ってもらえたことで、「もしかして自分でもいいのか……!?」と自分事になり、ワクワクしました。Blanketは東京が拠点なので、無意識のうちに自分ではないと思い込んでいたんですよね。その後、オンラインで話す機会をもらい、とんとん拍子で入社を決めました。
——ご縁もあると思いますが、最終的には太田さんの決断があったと思います。決め手はなんだったのでしょうか。
人材を軸に、業界に対してよりコミットできると感じたのが大きな理由です。いち法人内では、どうしても自分がいるところの人材課題が最優先事項になります。だからこそ、業界全体の人材課題にコミットできるフクスタを副業として続けていたのですが、本業として取り組みたい気持ちがずっとありました。Blanketであれば、自分のやりたいこと、目指すことを仕事にできると感じたことが一番の決め手でしたね。
自らの志とエンジンを積み、手を差し伸べるフィールドを広げ続ける
——入社して3年が経ちますが、太田さんが感じる“Blanketらしさ”を教えてください。
まず第一に、メンバーがみんな明るい。そして、よく喋るかな(笑)。分からないことを分かり合おうとする社風が、らしさだと感じますね。
一方で、少数精鋭なので、業務において「何をすればいいか」は自分で考え動く必要があります。入社したてのときは、法人によって課題の大小が異なることや、採用知識に差があること、Blanketが関わるフェーズの違いに戸惑ったことを覚えていますね。それこそ、ツール制作のディレクションは経験がなかったので、クライアントへの提案はもちろん、制作する外部メンバーとの連携にも骨が折れました。振り返ると、なんとなくBlanketとしてのスタイル、型のようなものがあるのだと思い込み、小さくまとまってしまっていたなと。
ですが業務を重ねるなかで、目指すビジョン「すべての人が希望を語れる社会」と、バリューの行動指針が根本で共通しつつ、一人ひとりのスタイルで真摯に向き合っているのだとわかりました。“Blanketはこうする”という正解のスタイルはなく、任されている。Blanketとして大切にすることは胸に据えながら、自分らしいスタイルを確立するために、今まで以上に採用について勉強するなどインプットを欠かさないようになりました。
そういった意味でも、冒頭にも話した自由と責任のバランスが伴います。かけてくれる期待と信頼は大きいからこそ、目標を自分で設定し、自分で設定した目標に向かっていける方は合うと思いますね。
——最後に、これから仲間になる方にメッセージをお願いします!
僕はBlanketに入社してから、業界に対する使命感がより強くなりました。2025年問題と言われる本年を迎えた今、福祉・介護ニーズの高まりに反比例して、人材の少なさが加速していくことは明らかです。人口減少という社会課題も考えると、恐らくこれからの改善はより一層厳しくなっていく。変な話ですが、福祉・介護業界に人材を招く裏には、別業界からの流出があり、他業界の衰退を招きかねません。となると、福祉・介護業界だけでなく日本社会全体の話になってきますよね。
業界や会社の垣根を超えたインフルエンス力が、Blanketにはあります。その中で、何をするのか・何ができるのかという目的意識が、より鮮明になりました。仕事としては、採用計画を立てたり、サイト制作をしたりしますが、目の前の法人を良くしていくことの先に、業界のこと、引いては日本社会のことも紐づいているとひしひしと感じます。僕一人の力は小さいかもしれません。だけど、Blanketメンバー一人ひとりの助け切る範囲が重なっていけば、社会に大きな変化をもたらしていくはず。そんな場所で働けていることが、一番のやりがいになっています。