atama plus株式会社を立ち上げるまで
■■■経歴■■■
鹿児島県出身。2004年に東京大学教育学部総合教育科学科を卒業し、株式会社リクルートに入社。人事・営業部門を経験した後、リクルートホールディングス社長秘書を経て、リクルート中国社長、リクルートキャリア関西東海営業部長を歴任し、退社。2017年4月に大学時代の仲間とともにatama plus社を設立。
小学生の頃から将来の夢が“学校の先生”だったんですよね。何かきっかけがあったのですか?
毎日、暗くなるまで野山を駆け回って遊び、夏は真っ黒に日焼けしているような典型的な田舎の少年でした。でも、小学1年生の時の担任の先生に出会ったことで、自分の世界がぐんと広がったんです。それが教育に興味を持った原点です。
その先生は教科書の枠を超えて、まだ世の中を知らない僕たちに色んなことを教えてくれました。しかも子供一人ひとりに向き合って、個性を大切にしながら対話してくれるような先生でした。そのおかげで物事を納得いくまで調べたり、考えたりするのが楽しいなと思えるようになったんです。その先生への憧れで、自然と“学校の先生になりたい”と思うようになりましたね。
それは素晴らしい出会いですね。“学校の先生”を夢見る、絵にかいたような優等生が目に浮かびます。
いやいや、むしろ問題児だったと思いますよ(苦笑)。2年生以降は担任が変わり、授業がつまらなくて寝ていることが多かったです。なので、テストが100点でも悪い成績をつけられるということが度々ありました。音楽や図工はクラスで飛び抜けて苦手でしたし。
勉強以外のことも含めて、自分が疑問に思うことは積極的に発言したり、納得できるまで先生に聞くような子どもでした。それによって僕のことを生意気で面倒くさいヤツだと思っていた先生は多かったと思います。そんな時でも1年生の時の担任に会いに行くと「お前はお前のままでいいんだぞ。」と僕を励ましてくれました。
塾に行かずに学校の勉強だけで東大に合格したと聞きました。高校に入ってから優等生になったんですか?
いやいや、そんなことはなくて。中学校までは授業がつまらないと思って寝ていたんですが、高校に進学すると今度は授業が難しすぎて、やっぱり寝ていました(笑)。進学校ではありましたが、成績もごく普通でした。
東大を目指すことに決めたのは高校3年生で部活を引退してからですね。学校の先生になりたいという気持ちに変わりはなかったのですが、同時に没個性な教育に対する問題意識も持つようになっていました。受験ありきの詰め込み勉強も何か違う気がしたし、何の疑問も持たずに人と同じことを強要する先生にも辟易していたんです。でも、何の力もない自分がそんなことを訴えたって負け犬の遠吠えだなと。生徒にとっていいと思うこと実現できる教育者になりたい、そのためには日本で一番難しい教育学部に入るのが近道だなと思って、無謀にも東大へのチャレンジを決めました(笑)。人生は1回しかないし、やるだけやってみるのが自分らしいなと思ったんです。
受験の時に生まれて初めて東京に来たんですよ。自動改札、長すぎる山手線車両、スクランブル交差点の人混み、それら初体験のすべてに驚き、不合格だったら二度と東京に来ることもないかと思って東京タワーに上ってから帰りました。関東平野は広いなぁという受験生らしい感想を持ったことを覚えています(笑)。
東京の大学生活はどうでしたか?atama plus代表の稲田さんと出会ったのも大学ですよね?
入学早々、鹿児島弁が通じない言葉であることに衝撃を受け、標準語を話すのに苦労しましたね(笑)。高校時代には先生に煙たがられていたディスカッションが歓迎される環境にも驚きました。お互いの考えを理解してよりよい結論を出したいという気持ちで建設的な議論が出来るのがとても楽しかったです。
一方で地方と都会の教育格差も実感することが多かったです。僕にとっての勉強は受験のための詰め込みでしかなかったのですが、そうじゃない友人が結構いたんです。受験勉強を通じて学ぶことの楽しさに気づく機会があったり、本質的な学びの意味を知る機会があったり。そういう機会を得ている友人は都会育ちに多かったんですね。それで、自分が先生になって子供達に学びの面白さや大切さを伝えていくのも大事だけど、地方、都会を問わず日本中でそういう教育が受けられるような仕組みづくりがしてみたいと思うようになりました。
稲田とはテニスサークルで一緒だったのですが、とても仲が良くて、基本的には毎日一緒でしたね。彼は人生を一生懸命生きている感じがして、純粋なところがすごく信頼できて。「世の中に新しい価値を生み出す仕組みをつりたい」という考えをお互いに持っていたこともあって、「いつか一緒にそういうビジネスをしたいね」と話をしていました。
大学卒業後の進路が学校の先生や文科省ではなく、リクルートだったのがとても意外です。どういう心境の変化があったのですか?
専攻が学校教育学だったので、引き続き教育に対する思い入れはありました。ただ、いきなり公教育に飛び込むよりも、まずはビジネスの仕組みを知ったほうが本当の意味で生徒の役に立てると考えたんです。大学時代は“お金を稼ぐこと=悪い事”と捉えていたこともありますが、リクルートが会社説明会で「収益を上げながら世の中を変える」ことについて力説していたんです。リクルートは当時から、女性の社会進出や住宅情報の透明化など“世の中にある負を解消すること”をミッションに掲げていて、それらをビジネスを通して実現していました。その企業姿勢にとても共感し、入社を決めました。働いている人たちもとても魅力的で、この環境に身を置きたいと思ったのも理由の一つです。働いている一人ひとりが、自分の人生を楽しみ、自分らしく全力で生きている感じがとても魅力的でした。
リクルート時代の経験で印象に残っていることはありますか?
入社6年目で配属された社長秘書の経験が強烈でしたね。社長訪問先の会社の事前調べ、報告書作成や様々な会合の意見書の下書きや経営企画室業務などを担当していました。リクルートHR部門の年間TOP営業として表彰された直後に配属されたので、仕事に対して自信がついてきた時期でもあり、結果を出そうと意気込んでいたんです。でも、結果的に2年間満足できるようなアウトプットが全然出せず、自分の無力さを思い知る経験でした。でも、社長の考え方、立ち居振る舞い、周囲への気遣い、事業への思いなど、今までに見たことのない水準を近くで体験させてもらえる経験は本当に貴重でした。僕が気づける範囲なんてほんの少しだったと思うのですが、そこで感じたかっこいい大人への憧れは、今自分が目指す基準になっています。ちなみに、今でも当時の社長に何の価値も提供できなかったことを申し訳なく思っていて、将来何か役に立てるようになりたいと思ってます。
その後はリクルート中国で社長になったんですよね?その時の経験を聞かせてください。
2年間の社長秘書経験を終えた後、一番厳しい環境で経験を積みたいという思いで海外勤務を希望し、中国に赴任しました。すごく楽しかったけど、やはり苦労の連続でしたね。マネージャーとして配属された1年半後に中国全土の統括として社長に就任することになりました。人事、法務、財務、営業、企画など会社に関わるすべての最終決定が自分の責任だったので、その重みから思考が深くなったと思います。その後2年半くらい社長をつとめ、中国法人の社員は7拠点300人にまで成長し、事業も順調に拡大させることが出来ました。
ちなみに、せっかく中国にいるので中国をとことん知りたいと思って、公私ともに中国にどっぷり浸かっていました。最初は自分を基準として「異なる価値観も理解して、受け入れる努力をしよう」なんて偉そうに考えていたんですが、「自分が異なる価値観を持っている」という捉え方ができるようになってから、中国が楽しくて仕方なくなりましたね。
帰国の1年後に起業したんですね。教育関係でいずれは起業したいと準備をしていたんですか?
稲田がブラジルから帰任したタイミングと僕が中国から帰任したタイミングが同じだったので、頻繁に会って話をするようになり、起業するという決断に至りました。稲田の教育への強い思いに共感できたことと、“子ども達の個性に合わせて、学びの面白さや大切さを伝えていく新しい教育の仕組みづくり”は自分が昔からやりたいと思っていたことだったことが、起業を決断した大きな要因です。そこから二人で、マーケットにニーズはあるのか、人は集められるのか、どういう事業モデルにするかなど実行可能性を検証しました。
atama plusについて
ビジネスチームの仕事内容を教えてください。どんなところが魅力ですか?
atama plusのミッションは「教育を通じて、自分の力で夢を実現できる人が溢れる未来を創る。」ことです。そのためにまずは基礎学力の習得を最短化することが必要だと考えて、AI(人工知能)によって生徒一人ひとりの学習状況を分析し、「自分専用レッスン」を作成するシステムを作っています。システムを開発するのが開発チーム、それを塾に導入するのがビジネスチームの役割ですね。
塾への導入といっても単なる営業ではありません。「導入先の塾の事業設計」をお手伝いするというのがイメージに近いと思います。子供たちの成績を伸ばすことが最終目的ですが、そのためには導入先の塾が生徒に価値を感じてもらえて、さらに事業としても収益が上がる状態を作る必要があります。atama plusのシステムを使っての講座設計、事業展開、等について塾の経営層の方々をサポートしています。
何もないところに道を切り開いている状況なので、踏襲する前例や型があるわけではなく、更にスピードも求められる仕事です。そういった状況下でも塾、生徒、自分たち、三者のwinを妥協せずに追求するスタンスは忘れないようにしています。塾やそこに通う生徒さんがハッピーになるような状態が作れなければ、何も意味がないですからね。簡単に答えがでるような課題であれば、今まで誰かがやっている。それが難しいから僕らがチャレンジできると思うとやりがいを感じて楽しいです。こんなことをチームで行うことにワクワクする人がいたら、ぜひ仲間になってほしいです。今は戦略系コンサルティング出身者などが少しずつ仲間に加わってくれている状況ですが、今後はビジネスチームの厚みをもっと増していきます。
事業を立ち上げてから1年もたっていない会社なので、実際に塾に導入してからまだそれほど経っていないのですが、「勉強嫌いだったのに勉強が好きになった!」、「もっと勉強したいから他の科目も作ってほしい!」とわざわざ僕のところに言いに来てくれる生徒さんもいて、そういう時は本当にうれしいです。自分たちが理想とする新しい学び方が少しずつ世の中に広まっているなと日々実感しています。この先もっと広がっていけば世の中の学び方が変わるなという手ごたえも感じているので、やりがいがありますね。
今後について
atama plusの事業を通じてどんな世の中になったいいと思いますか?
個人が尊重された学び方が出来る世の中になったらいいですね。地方にいても都会にても、公立校でも私立校でも、勉強が得意でも苦手でも、どんな環境のどんな子どもでも自分に合った学習が出来たら良いと思うんです。できなかったことができるようになる、知らなかったことを知れる、という学ぶことの純粋な楽しさを知る子ども達が増えてほしい。さらに、自分に合った学習をすることで時間が効率化できれば、自分がやりたいことに熱中する時間ができ、気づかなかった新たな可能性も見つけられると思います。そうすれば、自分らしい人生を全力で生きる、キラキラした人たちが世の中に増えると思うんですよね。そういう世の中を目指して、全力で事業に取り組んでいます。