株式会社アジラは、「犯罪や事故が起きてしまう世界から、未然に防ぐ世界へ」を理念に掲げ、行動認識AIを中核とした映像解析事業を運営する会社である。これまで「AsillaPose」や「違和感検知アノラ」など革新的な製品を社会へ送り届けているテックカンパニーだ。当社の歴史が2015年の創業からどのように辿ってきたか、これまでの6度の引っ越し経験を振り返りながら一挙に紹介する。
アジラ創業期 アジラVietnam(2015年 6月〜)
代表木村がアジラを始める前は、東証一部上場のWebサービス企業で、事業部のシステム統括・SEMを担当していた。そのオフショア開発の委託先でチームのプロジェクトマネージャーをしていたグエン・タイン・ハイと意気投合し「アジラ」を創業。こちらにアジラの「還剣湖の伝説」と呼ばれるストーリーがある。詳しくは以前まとめているこちらの記事をご覧いただきたい。https://pr.asilla.jp/entry/heisei_to_reiwa
話は戻り、アジラはベトナム首都ハノイ、アパートメントの一室から始まった。スタートアップらしいエネルギッシュなメンバーが集まり、6名のうちエンジニアが5名というテックカンパニーで、そこで、行動認識AIを研究開発したり、ビジネスモデルを検討したりした。このオフィスは、ある日、公安に踏み込まれ、引っ越しを余儀なくされることとなるが、その話は別の機会に。
アジラ創業期 アジラJapan(2015年 6月〜)
アジラベトナム拠点の創業と時を同じくして、アジラの日本オフィスはフリースペースから始まった。ここは東京町田市「新産業創造センター」、日本は営業拠点としてセールスなどのビジネスサイドのメンバーが働いていて、スタートアップならではの目まぐるしく変わる会社の変化に食らいついていた。
町田新産業創造センター 小個室時代(2016年〜)
しかし、フリースペースに限界はすぐ訪れた。GPUサーバ設置をするために自分たちの部屋が必要になったからだ。オフィスは今でもお世話になっている町田新産業創造センター内に3畳くらいの小部屋218号室を借りた。二人が入れば十分という部屋だった。この部屋にはGPUサーバが置かれており、その発熱により年中を通して蒸し暑い部屋になっていた。特に夏などは、サーバから放出される熱と戦いながら、契約書をまとめるという日々を送っていた。アジラの東京側営業拠点がサーバセンターを兼ねるという体制はこのときから出来上がっていた。
大手町 inspired.lab(2019年4月~)
この時期はシリーズAのエクイティファイナンスを実行し、ビジネス拠点を町田新産業創造センターと並行して、スタートアップが集う大手町へ移した。CFO皆川をはじめ各業界の凄腕メンバーのジョインが決まり、シード期の毎日をなんとか生き抜いていく感じから、基盤の固まった会社へと移りゆく雰囲気をだんだんと感じ取ることができた。この時期は違和感検知AIアノラの実証実験を行ったり、今のアジラの主力プロダクトが生まれてきた時期でもある。
町田新産業創造センター オフィスルーム時代(2021年1月〜)
増え続けるメンバーのデスク確保のため、町田新産業創造センター内のより大きなオフィスルームへ引っ越した。ここはほとんどのアジラ日本メンバーが馴染みのある部屋である。サーバールームも兼ねていて雑多な様子がわかる部屋だが、それでもメンバーがゆとりをもって作業スペースを確保することができていた。このころから社内で日本語以外の多言語(英語、ベトナム語、はて何語?)が飛び交っていたり、海外からの留学生がアジラでインターンを始めたりなどアジラ日本オフィスがグローバルな環境になった。
NoR町田北ビルへの追加オフィス増築時代(2021年 9月〜現在)
そして、現在はさらに追加オフィスを増築した体制となっている。拡大の背景は、GPUサーバー増加や、セールス・PM・マーケなどの組織規模拡大である。新たなオフィスではビジネスサイドのメンバーが集まりそれぞれの得意分野を発揮し、お互いを補完し合いながら、新しい価値の創造に取り組む、共創の場となっている。また、オフィスは2部屋体制になったものの徒歩ですぐ行ける距離であり、オフィス間は今後も以前同様活発に交流している。
そして次のステージへ
ご覧いただいたように、株式会社アジラはこの6年間で急速な成長を遂げてきた。しかしながら、この先も拡大を止めることは無く、さらに次のステージへ踏み出そうとしている。正直、アジラのメンバーですらどのような勢いで拡大していくのか見当もつかないが、そんな未開な地への冒険を楽しみ、アジラの新たなステージを一緒作ってくれるメンバーを大募集しています。