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震災とともに産声を上げたあの時から。

私たちACミランアカデミー愛知が産声を上げたのは、2011年3月のことでした。

3月3日に、今もなお拠点である愛知県小牧市で開校記者会見を開催。クラブのレジェンドであるフランコ・バレージ氏が登壇しました。

クラブ黄金期に長く守備の要として活躍し、クラブだけでなくイタリア代表でもキャプテンを務めた世界のサッカー史に残る名選手の1人。そんなバレージが本当に日本にやってきたというだけでも衝撃的だったのですが、フォトセッションの最中にモデルの少年とボールを蹴り始めた瞬間、取材陣から「おぉ!」どよめきが聞こえてきたのも今となってはいい思い出です。



それから同年4月の開校を目指し準備していく上で、鍵となるのがACミランから派遣されてくるイタリア人コーチの存在でした。

厳密にはテクニカルディレクターという役回り。ACミランの育成メソッドが正しく浸透するようにディレクションをするのが大きな役割で、最前線で指導に携わる日本人コーチたちの発掘・育成をすることで組織の屋台骨となる存在です。

記者会見当時はこのポストに誰が来るのか未定の状態。来日してともに働くことになるイタリア人コーチとの顔合わせを目的に、私はイタリア行きの飛行機(今となっては懐かしいアリタリア航空)に飛び乗りました。これが3月10日のハナシ。

12時間ほどのフライトを終えてイタリア・ミラノへ。視察も兼ねて2週間ほどの滞在を見込んでいたので、融通の効く家族経営の小さなホテルを選びました。

とはいえ、仕事はたんまりとあるわけでパソコンをカタカタ叩きながら頑張ってみたのですが、長旅の疲労は色濃く、ベッドでパソコンを開いたまま寝落ちしておりました。

そして翌朝。私を眠りの世界から引っ張り出したのは、部屋のドアを叩く音でした。激しくノックされたことで飛び起きた私に、食ってかかるように大きな声で何かを伝えようとしているホテルのオーナー。当時イタリア語の習得がまだおぼつかなかったのですが、こう言っていることだけはわかった。

「お前の国がヤバいことになっている!」

時刻は3月11日午前7時すぎたところ。つまり日本時間は15:00すぎ。

私はイタリア・ミラノの小さなホテルの一室で東日本大震災の発生を知りました。



その日は外出する気も起こらず、ホテルの部屋に篭りきり。友人や親戚などの安否確認もしましたが、目に飛び込んでくるニュース映像を見てはショックを受け、ただただ頭を抱えるばかりでした。

翌日外出してみましたが、やはり気分が晴れるわけではありません。当たり前ですが地震の影響はイタリアでは皆無で、何ら変わりない日常が保たれている。日本から遠く離れているがために、自分自身が感じている恐怖感や焦燥感が、正しいものなのか分からなくなりました。

奇しくもちょうどカーニバルの時期。仮装した子どもたちがはしゃぐドゥオーモ広場に来て、「こんなところにいていいのか?」「帰るべきじゃないか?」と何度も考えました。

日本で準備を続ける同僚たちともたくさん議論を重ねました。

地震の影響を直接的に受けたわけではない愛知県が拠点とはいえ、社会機能がフリーズしかかっていて、未曾有の恐怖に晒されていた当時の日本において、「日本初!ACミランのアカデミーが愛知県で開校!」なんて明るいニュースが世間に受け入れられるのか。

当時は開校に向けた顧客向けの説明会を準備していた時期。顧客の反応など何も見えない状況下ではあったが「水面下でできる準備を進めよう」ということに。

原発事故が起こった後には帰国便のフライト無期限欠航が決定。他人事ではないぐらい心配しているのに帰れない。母国が遠くなっていくあの感覚はなかなかツラいものでした。


3月13日、それまで音沙汰がなかった当時のACミラン・アカデミープロジェクトマネージャーから1通のメールが届く。

「君たちの国が大変な事態に見舞われているこの悲しみに私たちは寄り添いたい」
「愛知県から東北地方までの距離はどれぐらいか、教えてほしい」

シンプルにこの2文。調べたこともなかった直線距離を調べて返信すると即返信。
「状況を見守るが、まずは3月22日にオフィスで待っている」とのこと。

当初の予定より数日後ろ倒しになったものの、頭の中で想定していた、「ACミランとしては開校を見送る」という通達はなくひと安心。とはいえ予断を許さない状況は続きます。



アポイントの日まで、ミラノ市内を中心にイタリア国内のACミランアカデミーを視察しながら日々。

プレーしている子どもたちの笑顔は世界共通、公園でボールを蹴るよちよち歩きの子もいるし、スポーツ新聞を開けばサッカーの話題ばかり。この国の文化にはサッカーが深く根付いていることを改めて実感しました。


そして迎えた3月22日。私はミラノ市内のクラブオフィスに初めて足を運びました。そして、アカデミーマネージャーから紹介されたのがこの男。

マッテオ・コント。クウェートアカデミーのテクニカルディレクターとして働いているコーチでした。(ちなみに、写真右は彼のお父さん)

なお、彼らとの出会いの場所はトロフィールーム。ご覧の通り7つのチャンピオンズリーグトロフィーなどが並ぶクラブの歴史が集約されたスペースです。

1人のサッカーファンとしては度肝を抜かれる場所ですが、この時はそんな感動に浸る余裕すらなく、私たちの未来を決めるミーティングのことで頭がいっぱいでした。



トロフィールームを出て、お父さんを交えて4人でのミーティングがスタートしました。

まず開口一番に言われたのが「クラブとして、開校する or 開校しないの判断はパートナーであるあなたたちに一任する」ということ。

日本に残るスタッフたちと社会情勢を見守りつつさまざまな議論を続けながら、「楽観視こそできないがやってみよう」という結論に至ったこと、順調な船出にはならないかもしれないがやってみたい!という思いを伝えました。

最も答えに困ったのが、マッテオのお父さんからの質問。

「日本は安全なのか?」

核心を突く問いだったので、自分の気持ちを正直に答えることにしました。

「残念ながら、今この瞬間は、日本が安全な国なのかどうか誰にも分からない状況です」
「ただ、あなたの息子さんにとって素晴らしい経験となる時間を作り上げるために、私たちは全力を尽くします」

黙ってうなずくお父さんを見て、マッテオが口を開いた。

「いつか日本に行きたいと思っていた。どんな状況であれこのチャンスは掴むべきだと思うからここにいる」

ありがたかった。

報道で伝わる映像や情報に触れれば、誰だって「NO」を突きつけてもおかしくない状況下にある。

彼の意思表示ひとつで、すべてがひっくりかえった可能性だってあったはず。
「一度きりのチャンス」と思ってくれたからには、腹を括って一緒に精いっぱい働こうと思いました。

2011年3月22日、すべてはここから始まったのです。




震災発生から2週間が過ぎた頃、徐々に日本行きのフライトが復旧。私はほぼ当初の予定どおり帰国することに。空席の目立つフライトだったことを今もよく覚えています。

私の帰国からおよそ1週間後のマッテオが来日。やはり空席だらけのフライトで、「唯一のイタリア人乗客だったよ」と笑っていました。
日本行きのフライトのチェックイン時には、空港職員から「あなたは神父なのか?本当に今、日本に行く必要があるのか?」と声をかけられたとのこと。震災直後の日本社会は、世界から見れば相当恐ろしかったということがよく分かりますね。

これも来日後に聞いたのですが、彼のお母さんは日本行きを泣きながら反対したとのことでした。

痛いほどその気持ちはよく分かる。しかしそんな彼女を説得し、息子の背中を押したのはいうまでもなくお父さん。

12年経った今も、このファミリーには感謝しかありません。マッテオの決心はもちろん、ご両親の理解なくして、わたしたちの第一歩は踏み出せなかったのだから。




日本初のACミランアカデミーということで、完全にゼロからのスタート。当初は「開校を軌道に乗せるまでの3ヶ月だけ」というつもりだったそうですが、本人の強い希望により1年、2年と滞在期間が伸びていきました。長い冒険の終わりを迎えたのは2021年6月のこと。

震災とともに産声を上げてからともに歩み過ごした年月は、およそ10年と3ヶ月。

思ってもみないほど、お互いに濃密な時を過ごすことになりました。ピッチ内外で、日本のあちこちでもイタリアでも、毎日が新しい挑戦の日々。

平均寿命3〜4年ともいわれる本アカデミープロジェクト。しかし、いつの間にか、ACミランにとっても世界で2番目に長い歴史を誇る海外アカデミーとなりました。組織としても10年にわたる冒険の結果、得られた経験値はとても膨大で貴重なモノ。

たくさんの子どもたちを無条件の愛で包みこみながら、指導に携わってくれたこと。


そして、ミランメソッドに心を動かされた指導者が多数育ち、各方面で活躍しているということも、組織として大きなレガシーです。
(仕事に関するバカ真面目な話も、他愛ないどうでもいい話も含めてたくさん会話を重ねてきた結果、私のイタリア語もかなり流暢になりました)


なお、現在は地元のセリエC(3部相当)のクラブで育成部門マネージャーとして活躍中。先日のイタリア遠征で再会することができました。

開校前に東日本大震災を乗り越えながら駆け抜け、2020年以降のコロナ禍社会とも何とか向き合ってきて今に至ります。

苦境にさらされた時こそ組織としての強さが試される時。再びいい流れを手繰り寄せ、スポーツの真価を世の中によりよく発信できる組織を目指して、私たちは日々前進を続けていきます。


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