XSHELLは多様な会社であると思います。
もちろん外国籍の方がいるとか(よく社内で英語が飛び交っています)、デザインできる社員が多い(美術・デザイン系の学校を出た社員が半分もいる!)といった、少し変わっているという点もあります。
しかし多様という言葉で言いたいのは、考え方や主義が多様という意味です。
大企業であればそれぞれの分野のスペシャリストがいて、スペシャリスト同士でチームを作って製品をブラッシュアップしていきます。もちろん主要製品であるisaaxは、海外のエンジニアの力も借りながらスペシャリストが作り上げています。しかし専門性が高くなればなるほど、専門外のことに疎くなるのは人間の認知の性質上、避けられないことでしょう。
しかし弊社では、システムディベロッパーがハードウェアエンジニアに意見を聞き、ハードウェアエンジニアがデザイナーと協議するといった領域の横断が非常に多いのです。この文章の書き手(私)は主に総務を担当していますが、isaaxのレビューをしたりもしています。
なぜターミナル上で迷子になるような私にレビューを求めるのか?
彼らはスペシャリストであるがゆえに、見えないことがあることをよく理解しているのです。中世の王族が必ず道化師を雇っていたのと同様に、ある専門性や権威、安定の座にある者ほど、そうではない他者の必要性をよく理解しているのです。
それに加えて弊社では「議論」が非常に多いと思います。もちろん、製品をよりよくするための会議という形もとりますが、日常的なコミュニケーションがすでに議論的なのです。議論的というのは、喧嘩腰であるという意味では全くありません。
私はこう思う、あなたはどう思うか?その理由はなぜか?なぜその方法が優れているのか?といった少しむずかしい言葉を使えば、弁証法的な会話が多いのです。Why?から問いがはじまり、Becauseで答える会話のような感じです。
たぶん、これが弊社の社風なのでしょう。
調和を重んじると言われる日本企業において、議論することは喧嘩に繋がりかねないと考えられがちですが、少なくとも弊社で意見を言うということは、issueとして扱われます。つまり異なったアスペクトを提示することとみなされ、そのアスペクトに対して他の社員が検討をするのです。
生きてきた道も世界もぜんぜん違う人間が一つの場所に集まって、一つの目標を達成しようとするとき、調和を重んじて団結することも考えられます。しかし弊社はそれぞれが個人として独立し、意見を言い、自分が正しいと思うことを試すことが重んじられます。
会社を一つの共同体として考えたとき、個々の特異性を互いに認めその上で議論をするのと、議論を避けて調和や空気を重んじるのとどちらがよいかなんて誰にも分かりません。
しかし弊社は個人を個人として扱い、議論をすることを重んじています。たぶんIoTの領域においてこういった個々の独自性を認め、専門領域を横断しながら議論し合うことは当然のことになるでしょう。少なくとも私はそう考えています。みなさんはどうお考えになりますか?
そのご回答はぜひ、弊社に面談にいらした時にお教えください。