3DPC勝俣です。私事ですが、姪っ子に描いてもらった似顔絵をアイコンに設定してみました♪
今回から複数回に渡って弊社CEOへのインタビューストーリーをお届けします!
社内で英語が流暢なスタッフに通訳をしてもらいながらの約2時間のインタビューを通し、奥様との馴れ初めや起業家マインドが生まれたタイミングなど・・・普段知らない側面を知ることができ有意義なインタビューになりました。
事前情報:
・CEO(Alex)は社内でAlexと呼ばれています。
・Alexはイタリア系アメリカ人
・奥様は日本人で、同じく3DPCの取締役
・3DPC設立は2016年山梨県甲府市
それでは参りましょう!
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一同:こんちには。今日はよろしくお願いします。
日本に来た理由
Q.では、早速ですが、Alexさんは日本に来たきっかけ何でしたか?
妻とはイタリアで出会ったんです。
それが日本とのつながりが出来た初めのきっかけでした。
彼女と出会ってからしばらくして、日本の山梨と東京へ旅行をしに行きました。
それまでは、日本と接点ができること、まして日本に来てビジネスを立ち上げるなんていうことは、
当時の私の人生にそんなことが起こるなんて想像もしていませんでした。
シードステージ/ビジネスの種
そして、その日本滞在中に、現在の3Dプリントビジネスのアイディアの種になるものに気が付きました。
実は日本に来る前数年間、中国で「タービンブレード」の産業に関わっていた時期があります。
その背景があるため、来日した時に、日本には3Dプリント技術を生かした産業が全くない(根付いていない)ことに気が付きました。
当時怖いもの知らずだった私は、「ないなら作ってしまおう!」と思い立ち、3Dプリントのビジネスをスタートさせました。
(立ち上げ当時Alexさんは20代。奥様との馴れ初めもインタビューしましたがここではナイショにします)
>>>Alexさんのビジネスへの考え方を知るために3DPCを立ち上げる前に経営していた中国でのビジネスについて深堀していきました。
中国でのビジネス
Q.中国を選んだ背景と経緯を教えていただけますか?
もちろん。当時も私は世間しらず、おそらく今よりももっと怖いものしらずでしたが(笑)私は機械やe-commerce、エネルギーやそれらに関連する新しい商業に常日頃から興味を持っていました。
当時の中国の深センは世界の中でも活気に満ち溢れ、とても速いスピードで成長をしていた都市なので、そこに目をつけ深センに引っ越してきてビジネスを始めようと決意しました。
深セン
当時の深センはいろいろなものが混沌としてごった返していて、社会それ自体が大きく動いていました。
混沌や喧噪の中だからこそ生まれるビジネスがあるんではないか、つまり、言い換えるとそこにはたくさんのチャンスがあるという意味です。
深センでの原体験から生まれたアントレプレナーシップ
今でも忘れないんですが、中国に到着してすぐ、デビットカードをスられてしまったんです。
カードが再発行されるまでの約2週間は、持っていた現金20~50ドルで何とか生き延びる必要に迫られていました。
現地には、頼れる友人も、もちろん家族も、財産もなく、言葉の分からない異国の地で極限状態を経験しました。そんな中、自分の中から「何かビジネスを始めなければいけない」「人々にとって価値ある何かを創造し提供する必要がある・・・!」とふつふつと熱い想いが湧き上がってきました。
[お腹いっぱい食べることが出来たり、快適な日々の生活を送ることが出来る]ことと、[逼迫し困窮した生活]との境界線が、実はとても薄い、ということに身をもって気づかされた、インパクトのある体験をしました。
------この経験が現在の3DPCのCEOになる過程へ続く一歩ですね。
この体験は、他にも大きな気づきを与えてくれました。
それは、現在のアメリカは(CEOの出身国がアメリカのため)、物に溢れた生活に慣れてしまっていて、多くの人が当たり前のことに感謝をすることを忘れがちになっている。
当たり前のことについては十分に評価をしなかったり、簡単な事柄には価値を見出そうとしなかったり。
自身を含め感謝を忘れた人々への教訓だと感じました。
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次回は新しいデビットカードを入手してからのストーリーです!
お楽しみに!