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夢を白紙に戻したその後に

母校で講演をして欲しいと頼まれた。中学一年生に、働いている先輩のリアルな声を届けて欲しいのだという。「図書館でお金をもらう仕事をしながら、物を書いて生きていく」「図書館に関わるなら、最先端の情報でいつも磨かれていたい」「一つの場所にとどまるのは退屈だから、日本中を渡り歩いて働きたい」。10代の頃の夢は、つまりみな現実になったわけだ。


最後の質問で、「では、今の野原さんの夢は?」と訊かれて返答に詰まった。

少し前なら、「ベストセラーを書くこと」とか「ノーベル文学賞を取ること」とか答えていただろう。書いて生きていけるなら死んでもいいと思っていた。でもそれは、ただ有名になりたいだとか、賞を取りたいだとかいう虚栄心に過ぎなかったのではないか? 書きたいことの一つももっていない無いくせに。

しばらくの間、夢をリセットしていた。書かなくても生きていけるんじゃないか。求められた仕事をしていて、それが面白いのであるならば。「今の夢は?」という問いには、「明確に目指しているものはないけれど、求められて、流れ流れてここまできたので、もう少し流されてみようと思います」と答えた。

今の仕事は面白い。しかしもし、働かなくても充分生きていけるだけのお金があったら、おれはこの仕事を続けるだろうか。風呂の中で何度も問い直していた。得意で、好きで、喜ばれる仕事。でもおれは、いつもどこかに冷めている自分を感じている。

一方でやっぱり、書いている人にいつも嫉妬している。売れっ子作家にインタビューをしながら、おれがそちら側で話したいと思う。本をつくる仕事をしているオフィスの仲間を、とてもうらやましく思う。

朝日の差し込む風呂の中で、ふと天啓がおりてきた。

書くしかなんだろうな、やっぱり。

死んでもやりたいことは、それなんだろう。書きたいことがなくたって、駄文だって、読む人がいなくたって、たぶんずっと書くんだろう。それが小説なのかノンフィクションなのか、インタビューなのか解説なのかはわからないけれど、とにかくずっと書くんだろう。

iPhoneを新しくしたとき、ケースには虎の柄を選んだ。いつでも中島敦の「山月記」を思い出すように。おれは、李徴にはならない。

“己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。” ――中島敦『山月記』

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