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マレーシア生活1年生

はじめまして、色々書けないことを書いてみようと思い、日曜日の夕方にパソコンに向かってみました。今日はマレーシア生活について少し、振り返りも含め、感じたことをつらつらと書いてみようと思います。

私がマレーシアに来たのは2018年4月のことです。
大きなスーツケース一つで空港に降り立って。とカッコ良く言いたいところではありますが、性格的にそれは無理なので大きなスーツケース三個で乗り込んだマレーシア。最初の一週間は会社の傍にあるホテルで、そこから一か月は人生初の Airbnb でマレーシアでの生活を始めた日々が既に懐かしいと感じてしまう。飛行機から降りたその日には会社に出勤、次の日から業務開始と、ただひたすらに前だけ見てアグレッシブに働いてきました。

マレーシア生活に飛び込んでみてもうすぐ9か月。
私はすでに次に進むことを選ぼうとしています。そもそも、私がマレーシアに来た理由は「私という人が海外で何ができるか知りたかった」という小学生みたいな理由でした。

小さい頃から父の仕事の関係で海外生活と日本生活を交互に繰り返してきた私。私はこれをミルフィーユ人生と勝手に呼んでいるのですが、この人生が私の生き方にかなりの影響を及ぼしてきたのも事実です。
ただし、これはあくまで両親が私に用意してくれた道であって、私が選んできた道ではありません。それにも関わらず、海外生活をしてきたことをフューチャーされて自分が海外で仕事をして生活を立てたことがないままにその恩恵を受けることもしばしば。一方で「あぁ…帰国子女か…」なんていう心ない言葉をかけられる就職活動も経験しました。日本で働き続ける中で、常にどこかで海外で自分を試してみたいという気持ちを持って生き続けてきたというところでしょうか。

人生は一度切りしかない、行くなら今しかない。そう思って飛び込んだマレーシア。アグレッシブに成長し続ける様が目に見えて分かる街、首都、クアラルンプール。ショッピングモールは22時まで開いていて、日本で見ない欧州のハイブランドが軒を連ねています。オーストラリア、韓国や香港など、ほかのアジア近隣諸国、そしてヨーロッパからも毎月のように新しい商品や輸入され、日本よりも取扱商品という面ではバラエティーに富んでいます。街は常に忙しく、常にどこかで新しいビルが作られていて常に風景が変わっていきます。私が未だかつて感じたことがない速さで日々新しいものが増え、必要のないものが淘汰されていく。その速度がたまらなく刺激的です。

アメリカで生活していた高校時代。新しい物にというよりは、人が持つ宗教観や価値観に毎日衝撃を受けていました。自分の意見と違っても相手の意見はそれはそれで尊重する。人の性別や宗教、そして身体的特徴を揶揄しないことを徹底させる学校生活。何かがあればディテンション(罰則)が子どもでも余儀なくされ、自由なようで厳しい自己管理能力が求められた日々。私が今でも持つ、アメリカのイメージは徹底した自己管理で人生が上にも下にもなる、甘えが許されない中間がないといった印象です。

それに対しマレーシア生活では、自分が大人になったせいもあるかもしれませんが、宗教観や価値観にあまり大きな衝撃を受けるようなことはなく、むしろ昭和を想わせるような古い体制を貫く人々に少しイライラしてしまうことも正直あります。その一方で、家族を大切にし、祖父母や両親の面倒を見て、子どもを可愛がる国民性。そんな日本が失いつつある大切な当たり前のことを当たり前にできる情文化が残るマレーシアは、何か少し羨ましいような気にもなる。それが私が今知るマレーシア、クアラルンプールです。

海外で仕事をするということは、自分の知らない文化を持つ人たちと、一つの何かを一緒に作り上げていくということで、それは学生時代に学び舎を共にすることとは全く別の性質を持っていることを学びました。勉強をしない子を隣の机で目にしてイライラすることはありませんが、まったく理解のできない理由を堂々と主張して仕事をしない同僚を見てイライラすることはあります。

例えばインターネットの速度が遅いから今日は仕事はできないといった具合に。そして切り替えが悪く、一個できないとすべてができないと匙を投げがちで、楽しいことが大好き。楽しいことを優先するため、非効率なことが多く、3歩先を見据えながら仕事をすることが苦手(もしくはそのような考え方が存在していないのかな?)といった印象があります。その3歩先をみる大切さを何度説明してもわかってもらえない歯がゆさと、同じ目線を共有して、ある一つの物事を阿吽の呼吸で進めていけないもどかしさもあるのかもしれません。

特に現在は会社の中で私が唯一の日本人のため、相手方が常にマジョリティーであり、いくら日本人が作った会社だとはいえど、ローカルマインド優先で受け入れられにくい環境にあります。私が言っているやり方や行っていることが仮に効率が良く、上手くいくプロセスだと仮に分かっていたとしても、彼らがそれを面倒だなと煙たく思った時点で、急に話す言語を英語から中国語にスイッチしてワワワワーと何やら話し、勝手に彼らの中で納得し結束してしまうことも多々あります。

しかし、それで腹を立てていても仕方ないので、その場合は自分のやり方を変えることが必要になります。これは本当にアメリカ時代の経験が活きていると感謝しています。

例えば具体的なイメージを見せること。どちらかというと相手を魅せさせることに注力することのほうが効率的だったりもします。そして実際の成功体験を通じて、その成果を協力してくれたチームメンバーのものとして他のチームにも共有することで、その子たちが自信をつけ、次から自然とそれがルーティーンに組み込まれていくことが一番仕事の成果を得やすいと感じています。

物事を効率的に、そして効果的に行う。新しいやり方を模索・考察して、サイクルを回し続けるという意味では、まだまだ日本がマレーシアに勝る点はあることを知りました。私が日本人として海外で社会人生活ができると分かったことが何よりマレーシア生活を始めたことの大きな成果だったと思います。

マレーシア生活1年生。机上の空論ではなく、多くのことを感じられた。それが私の人生をまた新しいステージに連れて行ってくれたと思うと、この一年は学びの年でもあり、マレーシアで出会った皆さんに感謝しかありません。

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