兵働拓の人生年表
僕がどのように生きて何を感じたのか赤裸々に書いてます。過去はないものにならないし過去の経験から今の自分があると思っているので隠すより正直に伝えた方がより自分のことをわかってもらえると思って書くことにしました。大学時代は長くなってしまいましたがそのぐらい伝えたいことや書きたいことがありました。よろしくお願いします。
〜好きなことにはまっていた幼稚園時代〜
幼稚園の頃はいったん夢中になると帰る時間などそっちのでけでずっと遊び続けてしまっていました。その頃は泥だんご作りにハマっていて泥だんご名人に選ばれたりしました。とにかく自分のやりたいことにはまっていてそれをしているときはまわりもみえていない子供でした。
〜サッカーに魅了されていた小学校時代〜
親に急にサッカーか野球どちらがしたいと言われてサッカーでいいかと思いサッカーを一年生の6月頃には初めました。もともとやりたいと言って始めたわけではなかったので初日の練習も嫌々やって最初のアップのときに嫌すぎて泣いてしまった。グランドでサッカーをやるのが嫌すぎて遊戯王カードをやり初めてしまいました。
サッカーを見に行ったり、自分でゴールを決めたりする楽しさを知ってサッカーすることが大好きになって暇な時があればボールを蹴るようになりました。
学校ではとりあえず目立ちたがりだったし負けず嫌いで勝負ごとは誰にも負けたくなく何事にも一生懸命に取り組む子供でした。
〜サッカーで始めて挫折を味わった中学校時代〜
部活はサッカー部に入りました。私はそのサッカー部で初めて挫折というものを味わいました。今まで小学校の頃はクラブチームは人が少ないし小学校の部活ではサッカー経験者が少なくて試合に出るのが当たり前だったしその中ではうまい方だったので少し天狗だったのかもしれません。同学年の中でレギュラーとして出れないのがあまりにも悔しくて、試合に出たいと思い親にお願いしてキックの蹴り方のDVDを買ってもらいました。そこからは学校の部活が終わった後に近くの小学校で毎日キックの練習をしていました。結果としては試合に前より出られるようにはなったけど最後の試合では一回も出れることなく終わりました。とても悔しい思いをして絶対高校では試合に出てやると思いました。
勉強面では小学校よりも成績がげき落ちして行く私を心配して無理やりに塾に入られました。
塾で学んでいったら前よりも成績が上がりました。その中でも特に数学が上がって証明のテストではクラスの上位の点数が取ることができました。できないことができる楽しさとみんなに褒めてもらう嬉しさがありどんどん数学の勉強にのめり込んでいました。高校はどこか行きたいという気持ちはなく成績から選べるところを選びました。
〜当たり前のことに疑問を持つようになった高校時代〜
勉強では高校に行く前に中学校に通ってた塾の中学生の高校生体験講座に行きました。今から勉強すればどこでも大学に行ける!という言葉を信じて1年生から塾に通いました。憧れの先生が慶応に通っていたので自分も慶応目指して勉強を始めました。すごい軽い気持ちだったのですがやる気は満々でした。みんなはとりあえず、高校楽しい!みたいな感じに対して自分は絶対慶応に行くんだとという思いのギャップがあり、意識高い系だと思われてました。正直その時は勉強していない人は搾取されると思って下に見ていました。そうやって自分が上に立っていると優越感とそこのポジションを守るために必死に勉強していた気がします。いい大学に行くための勉強より、いつしか自分のプライドを守るために勉強していた気がします。部活を引退した時に自分に1つの疑問が浮かびます。自分は結局何を学びに大学に行くのか?。もしかしたらやらなくていい理由を探していたのかもしれません。そこから学部などを詳しく調べて見たけど絶対に行きたいという学部がなく、どうして自分は学びたいことがあるわけではないのにこんなに勉強しているんだろう。そんな思いが強くなっていき、塾にもいきたくなくなってサボるようになり勉強もしなくなり、家にこもるようになりました。面白いことをやることが好きなので芸人でもなろうかと思ったのですが結局勇気がなくやめました。親父に相談したらやりたいことがないなら大学で探せばいいと言われ、受験する大学も選んでもらいそれを受けるという選択肢を自分で選びました。本当にいろんな人に迷惑をかけてしまいました。でもこの経験で常識を疑うという考え方ができたことは今でも財産だと思っています。
部活動では中学で出れない悔しさを胸に一生懸命頑張って1年の秋からレギュラーになり、そこから副キャプテンとして活動しました。副キャプテンになってからは練習の意味だったりそれの伝え方について考えたりするスキルがつきました。
〜人生について考えた大学生時代〜
高校時代にあんだけ悩んだのにそんことも忘れて普通に大学生活を楽しんでいました。やっていることなどに疑問持たず、なにかスキルをつけるために努力などもしていませんでした。友達と飲むためとおしゃれな服買うためにバイト漬け毎日でした。
就活の時期になり、なんか普通に就職するのいやだなと思いました。だから就活以外の方法を探しました。起業しようと思ったけど特にやりたいことがないし、やり方もわからなくどうしようと思ったところに本にライン@登録で無料で方法を教えますというのがありそれに登録しました。そこは物販をやっているところでそれを35万円払えば教えてくれるというものでした。35万なんて持ってないしどうしようと思ってたところにクレジットを使えば前借りして払えるよ。稼げるようになったら返していけばいいという如何にも怪しそうなことを言われたのですがその時は新しいことをやれる高揚感と起業できるわくわく感に頭がいっぱいでそれがそのお金を払う価値があるかどうかなんて考えていませんでした。そこでは無在庫転売という物販をやっていました。その時の僕はキャッシュフローのことなんて全く考えてなくてどんどん売っていきました。2週間ほどで売り上げ10万の純利益6万ほど上げたのですがクレジットカードが限界にきてしまい、とりあえずそのお金口座に入れるまで何もできないという状況に陥りました。どうしていいかわからなくて聞いたらこのコンテツを売ればいいんだよと言われました。ここは月10万物販で稼ぐというコンセプトなのに自分は利益10万もなってないのにいいのかと思いました。でもやることがないのでひたすら思ってもないのに自由になれるなどの謳い文句などを発信したりフォロワーを増やすためのものなどに課金してどうにしかして売ろうとしていました。結局売れず借金がどんどん増えていくだけでした。やると決めたのに途中に逃げるなんて絶対にできない。しかし親にバレてすごい怒られてそれでもやりたかったのですが売り上げは出たけど結局実績として残ってるのは借金だけ。そんな自分には太刀打ちするすべもなく、就活をすることを条件に借金を肩代わりしてくれました。
そこからは地獄に落ちような気分でした。そもそも就活したくないからやったのにその結果、失敗して自分には何もない。こんな奴が就活をしても受かるはずがないと。親からのあんたは何にもできないんだから普通に生きなさい。普通という烙印を押されていきたい企業より受かりそうな企業ばかり受けていました。ただ早く就職活動を終わらせたいという気持ちだけで動いていました。6月頃に一回面接しただけで受かったNHKの集金の仕事がありましたが親にそんなところでいいのかと全否定され、もうやめたいのに受かったとこにも文句つけるのかよという気持ちがあり、そこで就活をやらなくなってしまい、家に閉じこもるようになります。軽いうつ状態になり薬などを飲みながら生活していました。
そんな時に大学の友達からビットコインのマイニング投資の話が来ました。多分僕が物販の情報商材をやってたことを知って声かけてきたんだなと思いました。どうせ詐欺みたいな話なんだろうと思いつつ、話だけは聞きに行きました。衝撃を受けました。これからお金という概念が変わるということも感じたしブロックチェーン技術のすごさを感じました。でもやっぱ親に迷惑かけてるし今はやれないと断りました。そこから時間があれば色々調べたりしてすごいし価格が上がっていくのをみて革命だと思いました。とりあえず就活を終わらせてもう一回話を聞きたいという思いが強かったのでもう一回就活を始めて9月の後半頃にitの会社に内定をもらいました。そこからもう一回話を聞きにいきやっぱりやりたい!こんなチャンス二度と来ないんじゃないかという思いになりました。でもネックはお金でした。一番安い投資で7万程度、ちゃんと投資として回すには20万ほど必要でした。もしかしたら自分に振ってきた最後のチャンスかもしれない。バイトしながら返せばすぐ返せるしそれで出た利益を親に返済に充ててけばいいかと。また自分はワクワクに勝てず10月から学生ローンを借りて投資することにしました。毎日入ってくる額をみてすごいなと思っていました。月利3〜4%ぐらいあってしかも価格があがって円換算すると10%くらいでていました。友達がなんで紹介してきたのかというとMLMの仕組みを使って紹介者にビットコインで報酬が入るからでした。自分は物販の時に嫌な思いをしたので紹介はしないということで入りました。でも2ヶ月間やって報酬もよく、みんなお金のことで不幸せになるんだったらこれを一個の収入源にできれば世の中の人を幸せにできるんじゃないかと思い、自分も本気で紹介をやってみよう。バイトもやめてほとんど学校に行かず、ひたすら紹介することに集中して1ヶ月本気で動いたらその時の価格上昇と注目度もあってか約60万程度稼ぐことができました。完全にこの時に調子にのってしまい、学校とか就職する意味ないんじゃないか、これをやってけば生きていける。できた収入でまず親にお金を返すべきだったのに本気でやればすぐ稼げるからいいやとなってしまいました。美味しいものを食べたり、いいものを買うことに快感を覚えお金を散財していました。この時は完全に稼げる自分に酔っていました。その次の月も20万ほど稼いで正直、稼げるのに大学の卒論なんて書く気にならなくてもっと稼ぐためにはどうしたらいいか仮想通貨はどうなっていくかということばかり考えて一切卒論にてをつけていませんでした。そこで起きたのがコインチェック事件。まあ前もあったしなんとかなるかと思っていたが予想以上に下がってしまいました。それもあったのですが投資する人が増えればプールマイニングという仕組みを使っておりもらえる報酬も少なくなっていき月利1〜2パーセント程度に落ち込んでいきました。最初はそれでも可能性はすごく高いと思っていたので頑張っていたのですが結局、新しく人が入るということはその人よりも自分が得するだけで今から入ってくる人には正直全然いい投資ではなくなってしまいました。それでも投資を勧めているひとをみて違和感がありました。自分は人を幸せにできると思ってやっていたのにこれから新しく入ってくる人を幸せにすることは限りなく不可能に近いと思い、やることをやめました。結局、卒論に手をつけられずに卒業できませんでした。
また迷惑をかけてしまった。自分には個人で稼ぐ才能なんてないんだ。自分は自分の好きなことしかできないことで留年して迷惑かけた。こんな自分が就職できるのかと。条件としてこの1年のお金は返すことと就職することを条件に留年させてもらいました。受かっていた企業もそんなに行きたいわけではなかったので断らせてもらいました。留年して好き勝手やってた自分が働けるところなんてあるのか?もう一度頑張れる気がせずに家も出るのが嫌になり半引きこもり状態になります。週1回の学校と派遣のバイトだけはなんとか行くという状態になっていました。月に1回企業を見に行って嫌な気持ちになりまた一ヶ月くらいしてから説明会に行くみたいな感じだったと思います。母親から毎日、あんたのこの一年ほんとはなかったんだから家のこと手伝なさい。あとは何にもいいところないんだから資格取りなさい。努力をしなさいと怒られていました。母親の言うことはもっともなのですかその時は嫌すぎていうことなんて聞けませんでした。父はほんとは学校行きたくないんじゃないか?といつも心配してくれて俺がやりたいことや俺がやりたいようにやるように考えてくれていて本当に感謝しかないです。
9月ごろにいった派遣のバイトで毎回働いてる人がとても文句を言ってる姿をみて俺、こうやって文句を言ってる人になりたくないという思いが出てきてもう一度しっかり探そう。
〜現在〜
9月から就活を始めて自分から積極的に動くタイプなのでスタートアップやベンチャーの方が向いてるなと思いwantedlyに登録しました。最初は自分が情報系の学科ということでit系の企業を受けていたのですが、自分は社会的問題や自分のような経験をしてほしくないと言う思いが強いです。だから今はマーケティングの力をつけて社会的問題を解決したいと思いマーケティング会社を受けています。
〜最後に〜
最後まで読んでいただきありがとうございます。今の私があるのは父親や母親そして大学の友達、先生方のおかげです。こんな自分でも文句を言いながらみんな応援してくれています。お金面でも迷惑をかけた家族には今は何も言われずとも家事全般はやっています。毎日これを文句言わず母親はやってくてたのかと思うと本当感謝しかないです。まだ全然恩を返せてないのですが自分が息子で良かったって言われるように全力で頑張りたいです。まずは家族を幸せにしてそっから世の中の人を幸せにできる人になりたいと思います。拙い文章だったと思いますが最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。