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それは一体誰の課題なのか。

ああ、あそこに座りたい。子供だけずるい。ほら1個空いてるし。住みたいむしろ。

煮詰まったら本屋が私の定番。シャレオツな本屋に行ってみたいが、子供と一緒だからフツーの本屋で我慢。

今日アドラーを教えて頂いた先生と話してて、育児にヒントをもらったんだけど、最近自分に起こった対人問題のほとんどに共通していることに気づいて、急いで帰って本を引っ張り出して勉強しなおしている時間。

アドラーは本当に奥が深いけど、学べば学ぶほど、自戒と育「自」の連続だなあ、とこれまた乗り越える壁が高いなぁ・・・とほほ・・・と凹みながらも心地よい成長痛に期待しながらやるのよ。逃げないことだけがとりえだろ、私。


いやー、人の課題が出てるときって、同じ事件が起こるのね。神様がやっぱり見ていて、「お前さんまだまだじゃぞ、これもこれも乗り越えるんじゃ、ほーれほれ、フォッフォッフォー」っていうのが、もう妄想で見えるもんね。神様!イケメンだから、もうやめて!


ちなみに、うちの子が自分判断で学童に行かなかったり、宿題他の子にやらせてたり、なんていうことがあって、先生と話してたんだけど、おい、上の子くん、お前もお母さんに似て色々やらかしてくれるね(笑)でも先生と話す機会くれてありがとうね。今となってはさ。


さて、私は、最近仕事でもプライベートでも育児でも同じトラブルに遭遇していた。


「行動の目的」と「課題の分離」ができていなかったがために。


子供の「行動の目的」を把握できていなかったり、大事な人との「課題の分離」ができなくて、土足で踏み込むようなことをしてしまった。


あることの「最終結末が誰に降りかかるか 」それが関わる相手ではなく、本人である場合、その課題は本人にしか解決ができない。他者との協力が必要な場合でも、まず課題を分けないといけない。その上で本人が共同解決を望めば、一緒に解決をしていく。

親が、子供の宿題やれやれ言っちゃうやつは、もうこれの典型的あるあるなわけでして。ママなんかはみんなやってるんだろうなー。


私が「自分の課題」と勘違いして、さらに共同解決お願いされる前から、そこにもっていこうとしてたことが多くって、本当バカだったな、とすべての事象で反省した。


ああ、時が戻るならもう一度やり直したい!ドラエもーん!!


私も大概、まだまだ承認欲求が強いから、こうなるんだろうな。ぐぅ・・・。欲求の強さからなのか「青山さんはプロセスが早すぎる」という指摘もたくさんの人から最近受けます・・・。いや、もうその通りです、ハイ。いつ死ぬかわからないし、とか言って突っ走ってると、知らない間に人を傷つけるかもしれないから、気をつける、本当。


ああ、ドラエもーん!!笑


アンガーマネジメントはちょっとだけできるようになってきたかな。怒りという第二次感情の前に、悲しいとか辛いとか悔しい、とかの第一次感情を自分が自分でしっかりと肯定してあげることでその場でキレることは少なくなってきたかも。ふー。


あんまり長期スパンで物事考えたことなかったんだけど、本気で、20年とか30年がかりで成し遂げたいことができて、アドラーでいうところの「共同体感覚」を磨いていきたい、わたくし。


「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」


人生はギブ&ギブで生きていきたいな。

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