ストーリー
生まれは茨城、育ちは千葉、本籍は東京というよく分からないことになっている。いつも心に若葉マークを信条に、知らないことは素直に受け入れるよう心がけています。
というわけで以下、私のストーリーです。
茨城の某所で生まれるが、すぐに千葉の総武線沿線の父方の実家にやってきてそこで育つ。小学校、中学校と下手にいい成績を記録したことで図に乗る。ちなみに中学時代の最高偏差値は、S台模試で国語が78。順位は全国107位。ただし、残念ながら数学は壊滅的だった。
高校は千葉でもトップクラスの進学校に入るが、残念ながら補欠合格。スライドで枠が空かなければ終了という残念な成績で入学。やはり数学が足を引っ張っていた。高校に入学し1年目の冬、語学研修という名のホームステイに参加し、ニュージーランドで少しすごした。課外活動やアクティビティには積極的に参加し、成績も抜群とは言わないがそこそこを保っていた。今思うと、文武両道の上に好きなことをやって遊んで、よくそんな時間やバイタリティがあったと思う。高校2年で今も付き合いのある無二の友人たちと出会う。今でもよく喫茶店で哲学思想等をよく語り合っている。高校3年ではスキー部の練習が実を結んだのか、県大会で入賞を果たした。ちなみに当時、練習のときに指を骨折してしまい、折れたままテーピングだけで固定して滑ったというのは余談だ。その期の大会は、全部骨折したまま出場した。
その後学習院大学のフランス語圏文化学科に入学。簡単に言えばフランス文学科だ。結局ニューカレドニアとかアフリカとかの仏語圏文化はやらなかった。そもそも扱っていなかった。なぜその名称にした。そこでも入学後すぐレーシングスキー部から名指しの勧誘があったが、止まれぬ諸事情で2ヶ月ほどで退部し、コンピュータ研究会に入る。それが今の人生を決定付けるものになった要因ではあると思う。最初はDTM(DeskTopMusic=作曲)班に加入しPCを使って作曲していたが、その後研究会のPC自作講習会に参加し、自作に手を出す。その後CGやプログラミングに軽く触れ、大学を卒業。在学中サーバやネットワーク周りは一切触っていなかった。
卒業後すぐ就職・・・・・・とはならず、フリーターをしていた。勤務先は千葉の湾岸沿いにある厨房機器販売店だった。そこで接客補助や商品陳列整理、バックヤードの仕事等をこなしているうちにひとつ社員から依頼を受けた。それが転機だった。その店舗にはPCに詳しいものが居らず私がPC周りの面倒を見ていたのだが、あるとき「このPCからあっちのPCも見れるようにしたい」というリクエストを貰った。それでいろいろ調べて何台かファイル共有し「意外と面白いかもしれない」と考え、自宅でサーバ等について少しずつ知識を仕入れ始めた。そして就職し、転職し、今の会社に入社した。