「にんじんしりしり」は、「人参の炒め物」ではない
「台湾で沖縄そばが、沖縄海鮮ラーメンと訳されることがあるんです。そもそもラーメンじゃ無いし、カツオ出汁だから海鮮ってのも…それならほとんどの味噌汁がシーフード味噌スープになっちゃいますよね?」
先日、食と文化のローカライズについて話していたとき、こんな笑い話のような、しかし根深い問題が話題にのぼりました。言葉を現地の感覚に合わせて翻訳する「ローカライズ」は、異文化理解の第一歩。しかし、一歩間違えれば、そのものの本質や作り手の想いを踏みにじかねない、デリケートな作業でもあります。
沖縄の「かりゆしウェア」が、台湾で「沖縄ハワイシャツ」という意味の中国語訳をされて販売されていたケースも同様です。「かりゆし」という言葉には、沖縄の気候や風土、そして「めでたい」という意味が込められています。それを単に「ハワイのシャツのようなもの」という説明的な名称に変えてしまうのは、その名前に宿る魂を軽視していると言わざるを得ません。そもそも、「アロハシャツ」も「ハワイシャツ」では無いですよね。「アロハ」というハワイの素敵な言葉が使われているのですから。
説明と名前は違うもの
この問題を、もっと身近な沖縄料理で考えてみましょう。沖縄の家庭料理「にんじんしりしり」。これをもし、「人参の炒め物」と呼んでしまったらどうでしょうか。
確かに、にんじんを細切り(しりしり)にして炒めているので、説明としては間違っていません。しかし、「にんじんしりしり」という名前だからこそ喚起される、あの独特の食感や家庭の温かみは、「人参の炒め物」という言葉からは残念ながら伝わってきません。「しりしり」という擬音語にこそ、この料理のアイデンティティがあるのです。
にんじんしりしり(引用元:だいどこログ)
宮崎県の郷土料理「冷や汁」もそうです。「冷たい味噌汁」と説明はできても、冷や汁として美味しくなるように考え抜かれた独自のレシピが存在し、「冷や汁」という一つの完成された料理なのです。これを英語で「Cold Miso Soup」と紹介したら、それはもう別物になってしまうでしょう。
宮崎県の郷土料理「冷や汁」(引用元:世田谷自然食品)
オリジナルネームへの敬意が文化を伝える
寿司が世界中で「Sushi」と呼ばれ、「Fish on Rice」などという無粋な名前で呼ばれないのはなぜでしょうか。それは、「Sushi」という言葉そのものが、独自の食文化を内包しているからです。
幸いなことに、日本では海外の料理名をそのまま取り入れることに比較的抵抗がないように感じます。「トムヤムクン」を「タイ風ピリ辛スープ」とは言わず、「トムヤムクン」として楽しみますし、「バインミー」も「ベトナムのサンドイッチ」という説明はあれど、「バインミー」としてメニューに並びます。「魯肉飯」を「台湾風そぼろご飯」というようなことも、ほとんど無くなりましたね。
これらの料理を食べる時、私たちは単に「酸っぱ辛いスープ」や「そぼろご飯」を食べているのではありません。その国の文化を味わい、背景にある歴史や人々の想いに触れているのです。それこそが食を通じた国際交流の素晴らしい側面であり、だからこそ、オリジナルの名前に敬意を払うことが大切なのではないでしょうか。
海外進出の際、現地の言葉に馴染みがないために、翻訳を現地の業者に任せきりにしてしまうケースもあるでしょう。しかし、言葉の感覚が雑な人に当たってしまった場合、先の「沖縄海鮮ラーメン」のような悲劇が起こり得ます。
言葉には魂が宿ります。特に、地域に根ざした料理や文化を伝える際には、その名前が持つ意味や響きを大切にしたいものです。「にんじんしりしり」は、やはり「にんじんしりしり」と呼ばれてこそ、その魅力が正しく伝わるのですから。食文化の相互理解は、まず、その名前を尊重することから始まるのかもしれません。