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【2018年から2019年にかけてのストーリー】

2018年は一言でいえば個人としての力がついた一年だった。もともと、起業を決心した理由の一つに「個人としての能力が低いのではないか?」という漠然とした不安感があった。サラリーマンでいる限り、常に身は会社に守られている。毎月決まった日に給料が入る。会社の名刺を出せば、社会的な信用も得られた。面倒な税金のことも経理部の人に任せることができた。なにも不自由がなかった。新卒から5年勤め担当する仕事もうまく回すことができるようになった。一方で、上述の漠然とした不安感にも苛まれるようにもなった。それを振り払いたいがためにグロービスの門を叩いた。レベルの高いクラスメイトと過ごした期間は貴重だった。しかし、そこで多くのことを学んでも不安は消えなかった。グロービス以上の、新しいチャレンジが必要性だったのだ。

2016年8月に島根に移住し、2年と4ヵ月が経過した。驚くほどに濃い時間を過ごしている。なにせ生きるために自分自身で動かないといけない。だれも守ってはくれない。ゼロから始めた農業と旅行業。常に苦難が伴った。お金の問題や生産の問題、営業の問題、色んな問題が次々に起きた。

2018年も夏の猛暑にやられ、生産量が減少した。同時期にはお金の問題も重なり、気持ちがどん底に落ちた日々が続いた。ハウスに入ってしばらくすると眠気に襲われ、仕事にならない日もあった。暑さや虫にやられた植物たちをみて絶望したためである。多くの地域が被害にあった豪雨もこの期間である。それでも出来ることをやり続けた。そうしていくうちに徐々に生産量も増え、色んな人のおかげで取引先も増えていった。

同時に夏からはレストランバスの事業が本格的にスタートした。企画から大変だった。設定コースが増えた分、色んな人との調整ごとも増えた。観光情報説明会での旅行会社との商談会、
チラシの原稿作成、コースの視察、バス会社さんとの打ち合わせ、テレビ撮影、ラジオ取材、お客様の予約受付、添乗、全体の経理。もう、ありとあらゆることをほぼ一人で行った。最初は一人では出来ないと思っていた。途中でパンクすると思っていた。実際途中で気持ちが落ちた時期もあった。それでも何とか運行期間を走り抜くことができた。農業だけでは苦しかった資金繰りも回復させることができた。

そんな激動の一年が2018年だった。多くのことがあった分、自分自身をパワーアップさせることができた。会社員時代に思っていた不安感も薄らいだ。なんとか自分の力でも出来る、そう思えるようになったことが2018年の一番の変化点である。

2019年も農業、旅行業をさらに発展させる。農業は月間で300kg出荷出来るように持っていきたい。旅行業についても依頼のある案件は積極的に受けていきたい。今年も沢山働く。

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