経歴を見せると、だいたい同じことを聞かれます。
「なんで逆なんですか?」
普通は保育士から小学校へ、という順番を想像しますよね。私はその逆をやりました。小学校で5年間、学級担任をしたあと、保育園に移って6年。年齢をさかのぼる形で、現場を変えています。
今日はその理由を書きます。
「勉強を教えるのが好き」から始まった
大学は法学部でした。条文を読んで、判例を追って、根拠を積み上げる。そういう習慣を4年間受けました。
社会に出るとき、何を仕事にしようかと考えて、思い浮かんだのが「勉強を教えるのが好き」ということでした。正直、それくらいの軽い気持ちでした。
でも、ひとつ問題がありました。教職課程を取っていなかったんです。
法学部のまま卒業しても、小学校の教壇には立てません。だから卒業してから、通信教育課程に入り直しました。2年かかりました。
同級生が働き始めている横で、もう一度学生をやる。焦りはありました。でも、やらないと始まらない。そう思って、教育実習まで終えて免許を取りました。
必要だと思ったら、遠回りでも取りに行けばいい。 そのやり方を、このとき覚えました。
教壇に立った5年間
小学校では、学級担任を5年間やりました。
始めてみて、自分でも意外だったことがあります。「勉強を教えるのが好き」だったはずが、いつのまにか「子どもと話すこと」のほうが好きになっていました。
何かが苦手な子には、苦手なりに頑張ることを応援しました。励まして、できたときには一緒に喜んで。できる子には、いまより力が出せるように関わりました。そうするとメキメキ伸びていく。その姿に、毎回感動していました。
5年間で学んだことは、2つです。
一人ひとりに応じて接することの大切さ。 同じ言葉が、ある子には届いて、ある子には届きません。その子に合う形を探すことが、この仕事の本質でした。
誰でも成長できると信じて、それを貫くことの大事さ。 信じている大人が一人いるかどうかで、子どもの伸び方は本当に変わります。
気がつくと、軽い気持ちで始めた仕事が、一生やりたい仕事になっていました。
30歳で、自分のことがわかった
小学校で働いていた終盤、30歳のときに、自分自身がASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。
それまでうまくいかなかったことの理由が、急に線でつながった感覚がありました。
診断を受けた次の年度、私はそのことを打ち明けた状態で、学級担任を持ちました。
隠したまま続けることもできたと思います。でも、伝えたほうがいいと判断しました。
結果として、周囲の理解を得ることができました。そして、その一年は自分の力を十分に発揮して働けたんです。周りの人たちに感謝されることも増えました。
このときの経験が、私にとって決定的でした。
苦手があることが問題なのではない。自分の特性がわかっていて、環境が整えば、力は出せる。 頭で理解したのではなく、実際にやってみて実感しました。
だったら、力が出る場所へ
そのうえで、自分の適性もはっきり見えていました。
私が一番力を発揮できるのは、中学年までです。年齢が下がるほど、言葉になっていない子どもの意図を拾うのが得意になる。そういう手応えが、はっきりありました。
向いていない場所で耐えるのではなく、向いている場所に行く。
そう決めて、保育の現場に移りました。0歳から6歳まで、すべての年齢のクラス担任を、6年間やりました。
想像以上に、自分に合っていました。
まだ言葉でうまく説明できない子が、何に困っているのかを読み取る。「イヤだ」の裏にある理由を探す。そしてそれを、保護者にわかる言葉で伝える。この3つを、毎日やっていました。
小学校での5年間と合わせると、0歳から12歳まで。発達の段階を、途切れずに見てきたことになります。これは結果的に、大きな財産になりました。
一人の先生として、届く範囲
保育園で6年やって、感じたことがあります。
先生として影響を与えられる範囲には、限界がある。
目の前の保護者には、伝えられます。面談で時間をかけて話せば、伝わる人には伝わる。
でも、伝わらない人には全然伝わらないんです。話を聞く準備がない相手に、どれだけ言葉を尽くしても届かない。そのはがゆさが、ずっとありました。
そして、私が直接関われるのは、担任している十数人だけ。1年でそれだけ。11年で500人ほど。それが限界でした。
私が届けたかったのは、もっと単純なことです。
子育ては、楽しい。
大変なのは本当です。でも、その中に確かに楽しさがある。日々そう感じながら子どもと過ごしてほしい。それを、もっと多くの人に実感してもらいたかった。
面談の場では、どうしてもそこまで届きませんでした。
だから、書く仕事を選びました
11年いた現場を離れて、書くことを仕事にしました。
いまは子育て・教育の分野を専門に執筆しています。Kindleで書籍を5冊出版し、企画から構成、本文、表紙の指示まで、一冊まるごと一人で担当してきました。noteでも記事を書き続けています。
書くときに決めていることが、3つあります。
保護者がそのまま実践できる形にすること。 読んで終わる記事に、意味はないと思っています。
抽象論で終わらせないこと。 現場で実際に見てきた子どもの姿や、具体的な声かけの言葉まで落とし込みます。
根拠にあたること。 法律学で学んだ「主張には必ず根拠が必要だ」という姿勢は、いまも変わりません。
いま、できること
「調べてまとめた記事」なら、誰にでも書けます。
私が提供できるのは、11年間その場に立っていた人間にしか書けない記事です。
法学部から、通信で免許を取り、小学校に立ち、保育園に移り、そして書く仕事に来ました。ばらばらに見えるかもしれませんが、全部つながっています。子どもと、その親に関わるために、そのつど必要な場所へ動いてきただけです。
いまの場所は、文章です。
次は、その経験を必要としてくれるところで書きたいと思っています。