〇解離性同一性障害
‘解離性同一性障害’聞いた事ありますか?
いわば多重人格ってやつです。
自分がなった訳ではなく、姉がそうなんですが。
(真ん中自分、台湾の家族たち)
幼い頃から父が出張が多くて、母と自分と姉と3人で暮らしてました。
母は台湾から日本に越していて、母からしたら海外の日本で周りの友人も居ない中での子育て。
かなりの負担だったとは思います。
また、母方の家系は昔ながらというか、悪いことをしたら柱に縛られるみたいな、ご飯ひっくり返されて締め出されるみたいな、
そんな家系でした。
そのためか、子どものしつけ用の棒が台湾に売っていて、それを日本に持ち帰って悪いことをしたら叩かれる。
それが当たり前の家庭でした。
しつけ用の棒。固いゴム製の、棒の先にパーの形で広がって面がある。
軽く振るだけで、ブォンッと音が鳴るものでした。
そのお陰で、背中にはパーの跡が残る事もしばしば。
幼かった自分と姉にとっては、母が全ての世界で、どれだけ叩かれても、
本能的に母から愛情を貰う為に愛嬌を振りまいていたんだなと思います。
そんな日々が続いた結果、
姉は自律神経を乱し、解離が起きるようになりました。
急に倒れ込んで、意識が無くなっている状態だったり、
違う人格で、自分の知らない‘姉’が居たり。
〇自分はどうなったのか
本能って凄いなと思います。
ストレスに耐えきれなくなったら、違う人格を作り出すそうです。
自分も同じ環境下に居て、どうなったのかと言うと、
ストレスをストレスとして認識出来ない見たいです。
大学を出てからそういった兆しは現れなくなりましたが、
大学の頃に実習、部活、家庭、友人と恋愛、色んな悩みが重なったタイミングがありました。
その頃に、ストレスが限界を超えたのか、笑いながら泣いて、ほぼ奈良の大阪から大阪湾まで、
河川敷を約15時間くらい22:00~12:00まで、走って歩いて休んでってしていました。
〇姉の人生
まぁ自分はかなり耐えた方だなぁとつくづく思うのが、
姉は何度も自殺をしようとする人で、腕や足には自傷の跡。
中学と高校の時に、姉の机から遺書が見つかる。
遺書の中には20歳になったら死にます。そんな言葉が並べられた遺書を読んでいる自分は何の感情も動かなかったです。(この理由はまた別で書き出そうと思います。)
そんな姉ですが、今は隣で支えてくれる旦那も居て、ある程度落ち着いていますが。
時間が解決してくれる。そんな言葉もいつまで使うんだと。
今本人はもうすぐ30歳。
人生設計図より10年長生きしていて、生きる意味を見いだせないと嘆いてる。
そりゃそうだよなぁと思いますが、弟としては生きていてくれてありがとうと思えるし、
〇自分の目標に
姉に‘生きていて良かった’って思わせる。
口にさせる。
それが今の自分の目標にもなっています。
人に何かするためには自分がまず満たされていないと出来ない。
結局人の為に動くってカッコ良いけど、まずは自分と向き合って、自分が余裕を作らないと状況進まないなと。
‘親孝行したい’‘家族の為に何かしたい’そういう言葉が言葉だけにならないよう。
リマインドして日々頑張ります。