正解を選んだつもりだった①
【第1部|「ちゃんとしていれば安心できる」と思っていた頃】
私は宮城県の田んぼに囲まれたど田舎で育ちました。
夜になると街灯もほとんどなく窓の外はすぐ真っ暗、夏は遠くで虫の声だけが聞こえる。
家の中まで静けさが染み込んでくるような場所でした。
遊びに行く場所も少なく、友達と遊ぶ時は近所の公園で虫取りや鬼ごっこをするくらい。
家族で出かける場所も近所のスーパーか、たまにショッピングモールに行く程度。
人も少ない。中学生時代の部活動の選択肢はたったの3つ。
「これがやりたい」というより、消去法で選んでいました。
だから、大会への出場や良い功績を目指すような環境でもなく、
昔から強い競争心があるタイプではありませんでした。
かなり小さなコミュニティ。でも当時の私はその世界しか知らなかった。
だからちょっと広い世界に惹かれていた節もあります。
夕方のテレビには、いつも自分の知らない世界が映っていました。
高いビル、人がたくさんいる駅、美味しそうなご飯が並ぶおしゃれなお店。
空港でインタビューを受けながら「これから家族で海外旅行です」と笑っている人たち。
「都会っていいな」
「海外ってどんな場所なんだろう」
頭の片隅でそんなことをぼんやり考えていましたが、
でも、なんとなく口に出さなかった。自分とは関係ない世界な気がしていたからです。
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父は転職が多い人でした。
仕事はコロコロ変わるので、給料が上がることもない。
母もパートをしないと生活していけない。
もっと色んな経験や選択肢のある環境で暮らしたかった母は、
本当はせめて市内に住みたかったとよく口にしていました。
でも実家を出て暮らせるほどの余裕はなく、
結局、田んぼしかない母方の実家で暮らし続けていました。
我が家は貧乏というほどではありませんでしたが、贅沢とは無縁でした。
家族で外食も旅行も、行ったことなんて一度ない。
サンタさんに手紙を書いても、自分の欲しいものが枕元に届くことありませんでした。
そんなこんなで、母は父の転職に不満をこぼし、
父はそうやって言われることを嫌がっていた。
大きな喧嘩があるわけではなかったのに、
家の中には常にどこか重たい空気が流れていました。
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そんな環境で育ったからか、私は小さい頃からずっと、
「安定した平穏な人生を送りたい」 と思っていました。
父の頻回な転職。
家の中で何度も聞いた、余裕がないと物語るようなため息。
それを見てきたからこそ、親みたいな生活は送りたくない、
お金に困らずに生きていきたい。
その気持ちは人一倍強かったと思います。
だから、ちゃんと勉強して、進学して、就職する。
それが、自分の理想の人生を歩む上での"正解"だと思っていました。
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だから、学校では比較的ちゃんとやってきたつもりです。
遅刻はもちろん一度もしたことがない。提出物も期限通り。
担任の先生が、私の自主学習ノートを見本としてクラスで紹介してくれることくらいにはちゃんとやっていました。
運動会では校内アナウンス、騎馬戦で白組の大将をやる。意外と活動的な小学生時代を送りました。中学校の夏休みは、毎朝8kmの駅伝練習。その後に部活へ行く。オール5の通信簿をもらったこともあります。高校では生徒会長も務めていました。
当時は、いわゆる "まじめ" をずっとやっていました。
実際自分でも"正しい道"を歩いているつもりでした。
これだけやっていれば大丈夫だと。
少なくとも、親みたいに、ため息が日常の人生にはならなくて済むと。
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その一方で、キラキラした世界への憧れもありました。ちょっと抽象的ではありますが、
都会、
華やかな人たち、
自由に生きている人たち。
そういう雰囲気、そういう人生にも惹かれていた。でも「自分とは違う世界だ」と感じていました。 自分みたいな人間が、 そんな場所に行けるはずがない。
だから私は、大それた夢を追うわけでも、レールから外れる人生を選ぶわけでもなかった。分相応な選択をとり、普通に平和に生きていく。
それが、自分にとっての "現実的な幸せ"だと思っていました。
私は、人並みに困らない人生を歩むため、将来の安心安定を求めて大学進学を選択。
自分の社会的価値を見出せる
資格があれば就職には困らないし、どこでも働ける
家族や親戚からも評価される、
そんな理由で看護師を目指すことを決めました。
その頃の私は、この道の先に明るい未来があると信じていたから。
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