SNS実験 03: 予言か、それとも無駄話か ——「共感優先」のSNSと創作の境界線
これはまだ何の実績も出していない一人のクリエイターによる、ただの「無駄話」かもしれません。
それでも、もし同じようにSNSと創作の間で静かに悩んでいる人がいるのだとしたら、これは、いつか辿り着く一つの「予感」にはなり得る気がしています。
この数週間、各プラットフォームを一通り運用してみて、一つ明確になったことがあります。
それは、どのSNSにおいても、「役に立つ情報」よりも「即時的な共感」の方が、圧倒的に強く、そして速く反応されるということです。
SNSを伸ばすためには、コンテンツの質そのものよりも、「どれだけ共感を引き出せるか」に重心を置く方が合理的である。
シンプルでありながら、創作者としてはどこか歪んだ結論に行き着きます。
目次
01「情報の価値」ではなく「変化のコスト」
02「迎合」ではなく「接点」の設計
03 クリエイターの生存戦略:境界線を見極める
01「情報の価値」ではなく「変化のコスト」
なぜ、この「共感優先」の仕組みが生まれるのでしょうか。
ユーザーがSNSを開く動機(情報収集、暇つぶし、鑑賞)を整理すると、ある共通する欲求が見えてきます。
・情報収集の場合、本来は内容の有用性が重要なはずですが、実際の運用では「一目で何が得られるか分かる投稿」が優先される。
・暇つぶしまたは鑑賞の目的においては、より明らかで、刺激の強い情報(色彩、言葉、感情の振れ幅)が選ばれやすい。
日常の延長ではなく、「少し逸脱した体験」が求められているように感じます。
ここで共通しているのは、「できるだけ短い時間で、何かしらの変化(感情や情報の獲得)を得たい」という欲求です。
言い換えると、
SNSで優先されるのは、「情報の絶対的な価値」ではなく、どれだけ低いコストで体験の変化に到達できるかではないか、ということです。
つまり、いかに短く早く変化を手に入れられるか。そしてその中で、「共感」は「理解」よりも速く発生する。
この視点で考えると、いくつかの現象が自然に説明できます。
・強い感情を伴う投稿が拡散されやすいこと。
・必ずしも完成度の高くないコンテンツでも、多くの人に届くこと。
・リールのような即時性の高い動画が、静的な画像よりも優先されやすいこと。
いずれも、「より短い時間で変化を感じられるか」という点で共通しています。
この流れで見ると、純粋な芸術作品がSNSで拡散されにくい理由も説明がつきます。
多くの場合、アート作品は深い体験を提供する一方で、受け手にとって「どこから鑑賞すればいいか」が分かりにくい。
つまり、初期アクセス(認知)のコストが高い状態にあると言えます。
02「迎合」ではなく「接点」の設計
この前提を踏まえると、創作者にとっての課題は、「世間に迎合するか、拒否するか」という二択ではなく、「作品と受け手の初期接点をどう設計するか」にあるのかもしれません。
この「低コストの接点」という言葉は、あとから無理やりつけたものですが、実際には、自分の使い方が少しずつ変わってきた結果でもあります。
例えば、
・Instagram(視覚の統一):
最近は投稿の頻度を下げて、その代わり、並んだときに違和感が出ないように、画面全体の印象を揃えることを意識しています。一瞬で「何者か」を直感させることで、離脱を防ぐ。
・Threads(文章の削ぎ落とし):
画像を切り離し、ほぼテキストのみにしています。
最初に一文だけ置き、「読むかどうか」をその場で判断できる形にする。
全文を読む人は減るかもしれませんが、その分、残る人ははっきりしてきます。
・小紅書(対話の深度):
投稿頻度は低いですが、コメントを通じた接触を重視しています。
先にどんな人がいるのかを見ることで、あとでちゃんと届く相手に近づける。
一方的な発信というより、双方向の対話に近い使い方です。
こうして並べるとアプローチはバラバラに見えますが、
やっていることはすべて、「最初にどこで引っかかるか(初期接点)」を調整しているだけなのかもしれません。
03 クリエイターの生存戦略:境界線を見極める
まだうまく言葉にできていませんが、少なくとも、「共感を取りにいく」というよりは、どこで繋がるのかを少しずつ探している感覚に近いです。
SNSの仕組みに適応しようとすると、どうしても「どうすれば見られるか」に意識が引っ張られます。
それを基準にし続けると、「自分は何のために作っているのか」という感覚が、少しずつ曖昧になっていきます。
見られることは確かに重要です。
ただ、創作は本来、外から与えられるものではなく、自分の内側にあるものだと思っています。
だからこそ、方法や運用は調整できても、その前提にある感覚までを変えてしまうと、長くは続かない。
ここまで考えていると、「創作とは何か」という話にも繋がってしまいそうですが、少なくとも今の自分にとって重要なのは、そこを定義することではなく、
どこまでなら変えていいのか
どこからは変えたくないのか
その境界線を見極めることこそが、SNSというノイズの多い環境の中で、自分の表現を保ちながら外と繋がるための、ひとつの現実的な生存戦略なのだと思っています。
そう考えると、まだ試行の途中にいるのだと思います。