本質を見抜くこと——イドラ、火、そしてAIへの態度について
本質を見抜くこと——イドラ、火、そしてAIへの態度について|Wantedly Story
我々はいつも、物事の本質を見誤る
17世紀の哲学者フランシス・ベーコンは、人間が陥りがちな認識の歪みを「イドラ」と名付けた。
洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ——我々は生まれながらにして、バイアスと揺らぎの中に生きている。時代の空気、集団の空気、自分自身の経験と感情。それらが複雑に絡み合って、目の前にある物事の本質を曇らせる。
AIに対する態度を見ていると、まさにこれを感じる。
恐怖。「AIに仕事を奪われる」という言説が飛び交い、漠然とした不安が広がる。
信仰。「AIに聞けば何でも解決する」という過信が生まれ、出力をそのまま鵜呑みにする。
無関心。「自分には関係ない」と距離を置き、変化から目を背ける。
どれも、イドラだ。本質を見る前に、感情と先入観が判断を乗っ取っている。
大切なのは、疑い続ける真摯さだ
FAX自動化システムを作りながら、何度もこの問いに直面した。
「AIが生成したこのコードは、本当に正しいか」
「Notionの動的プロパティ設計は、本当に使いやすいか。3ヶ月後も使えるか」
「ノーコードツールで進めようとしているが、本当にそれが最善か」
答えはいつも、すぐには出なかった。ログを読み、試し、失敗し、また考えた。AIの出力を疑い、自分の判断を疑い、それでも前に進んだ。
本質を見抜くということは、一度正解を掴んだら終わりではない。常に対象を疑い、自らを疑い続ける態度そのものが、本質に近づく唯一の方法だと思う。
火に近づく、ということ
原始人が火を手に入れたとき、二つの選択肢があった。
恐れて遠ざかるか。盲目的に崇めるか。
どちらも間違いだ。彼らが実際にやったことは、適切な距離感を保ちながら、それでも火に近づき続けることだった。どこに置けば安全か。何を燃やせるか。どうすれば消えないか。試行錯誤しながら、火を「使える道具」に変えた。
AIも同じだ。
過度に恐れる必要はない。過度に信じる必要もない。ただ、適切な距離感を取りながら、火に近づいていく。AIが見落とす現実的な問題を人間の判断で補い、AIが持つ膨大な知を自分の文脈で信用できる形に翻訳する。
やることは、原始人と火のレベルから何も変わっていない。
自分にしかできない時間を作る
AIは確かに膨大な「知」を持っている。でもそれは、未整理のまま存在している。
それをこの文脈で、今、誰のために、何のために使うかを決めるのは人間だ。
波佐見焼の窯元という文脈、FAXというアナログな現実、「使う人に負担をかけない」という設計思想——AIはこれを知らない。持っているのは自分だけだ。
AIという未知の知を、信用できる形に翻訳して、その人にしか創出できない時間を作る。
それが、今という時代の仕事だと思っている。
技術は変わる。ツールは変わる。でも本質を見抜こうとする努力と、対象と自らを疑い続ける真摯さは、何万年経っても人間に求められるものだ。
開発したシステムのコードはGitHubで公開中。