とある司法の冤罪事情 時事雑感(47)
*この記事はnoteに投稿したものを転載したものです。
みなさん、こんにちは。
一度判決が確定した裁判でも、被告側が再審を求めることがあります。
ところが現行制度では、その再審開始の判断に対して、検察が「せっかく有罪にしたのだから簡単に覆すな」と言わんばかりに不服を申し立てる権利を持っています。
いま、この制度を維持したい検察側と、廃止を求める日弁連を中心とした弁護側が激しく対立し、連日ニュースを賑わせています。
少し複雑なテーマですが、とても重要な問題なので、自分の整理も兼ねて備忘録を残しておきたいと思います。
①再審不服申し立てに関する論点整理と法務省方針
(参照:読売新聞・朝日新聞 ほか)
現行法では、再審開始決定に対して検察による≪不服申し立て≫が認められています。
以下では、この制度をめぐる主要な論点について、検察側と弁護側の主張を整理します。
1.再審開始に対する不服申し立ての可否
- 検察側:現行制度を維持すべき。
- 弁護側:不服申し立ては認めず、禁止すべき。
2.証拠の扱い・再審の意義について
- 検察側:判決を覆す可能性があるため、再審開始は慎重に判断すべき。
- 弁護側:冤罪救済を迅速に行うことが重要。証拠開示の義務化は不可欠。
法務省方針は以下の通り(現時点、確定では有りません。)
- 不服申し立ては制限を加えつつも維持する方向
- 証拠開示義務の明文化する方向
- 早期冤罪救済を重視し再審制度全体の見直す方向
法務省は、検察の不服申し立て禁止までは踏み込まず、審理期間の制限や証拠開示義務の明文化といった「制度調整」にとどまる方向を示しています。
こうした姿勢については、報道でも「検察と日弁連の主張の中間を取った形」と説明されることが多いです。
ここからは、近年の裁判報道で印象に残っている事例も踏まえつつ、私自身の雑感を述べていきたいと思います。
②今日の雑感
大河原化工機事件や袴田事件では、再審開始の判断に対して検察が抗告し、手続きが長期化した点が大きな問題として報じられました。
裁判所が再審開始を決めても、検察が無罪判決を避けるかのように抵抗を続ける構図が繰り返され、その姿勢に対して「過度な抵抗ではないか」との指摘も出ています。
一方で、近年の報道を見ていると、裏金などの政治資金問題や兵庫県をはじめとした公的立場にある人物の不祥事が不起訴となるケースが目立つという印象を受けます。
率直に言って、一般庶民の感覚と著しく乖離しているように感じられます。
こうして並べてみると、
重大事件では検察が強硬に抗告し続ける一方で、公的権力者の不祥事では不起訴が相次ぐという、扱いの落差が際立って見えます。
表向きには「事件の性質が違う」という説明になるのでしょうが、一般の感覚からすると、司法の運用に「依怙贔屓」のような構造的偏りがあるのではないかと感じざるを得ません。
いずれにせよ、検察の姿勢が「結論ありきでルールの運用をねじ曲げるもの」だとすれば、それは望ましい状態とは言えません。検察は社会の秩序を維持するために、個人の自由を制限しうる強い権限を持つ組織です。その運用が作為的になれば、司法制度そのものへの信頼が揺らぎます。もし検察の在り方が、裁判の形だけを整えるための「舞台装置」に成り下がるのであれば、それは本来の役割から大きく逸脱してしまいます。
では、なぜこうした問題が是正されにくいのか。
法務省は、総理大臣を頂点とする行政組織における一省庁に過ぎません。
他国でも司法の独立が揺らぐ場面はありますが、日本の場合は司法制度そのものが行政の下部組織として設計されているため、行政からの独立性が構造的に弱いという特徴があります。
理念としては三権分立を掲げていても、制度の枠組みからして行政との距離が近く、公平性の担保が難しいという問題が残ります。
制度の独立性や透明性をどう確保するかは、今後も議論が続くテーマと言えるでしょう。
例に挙げた二件を見るにつけ、「社会規範」と「個人の権利」のバランスを保ちつつ、個々人の人生が不当に侵害されない制度であってほしいと願います。
つまらぬ面子にこだわらず、不毛な縄張り意識を払拭すれば、決して実現不可能ではないと思います。
ここまで読んでくださって有難うございます。
気が向いたらまた、ふらりと立ち寄ってください。