こんにちは!崔志遠です。
平日の午後にオフィス街を歩いていると、ときどき周囲のビルが巨大な氷炭のように見え、自分がその冷たい表面を這う蟻になったような感覚に襲われます。
私たちが「キャリアを積む」と表現するその行為は、実は崩れやすい砂の塔の頂上で、必死にバランスを取りながら新しい砂を盛り続ける作業に似ているのかもしれません。
仕事という営みは、しばしば霧の深い湖の上で、一艘のボートを漕ぎ続けるような不確かな手触りを伴います。
それでも私たちは、その霧の向こう側に、まだ見ぬ誰かの声や、語られるべき新しい物語の種があると信じて、オールを動かし続けます。
昨日、使い古したホッチキスの針を手のひらに乗せてみたら、それが小さな銀色のムカデに変わって、私の袖口から過去の記憶へと逃げ出していきました。
私たちが「合理性」という名の額縁に押し込めている毎日は、実は誰かが描きかけで放り出した、未完成のパズルのピースに過ぎないのかもしれません。
コンピュータの計算速度がどれほど極限に挑もうとも、真夜中にふと耳にする、古い水道管が鳴らす不規則なリズムの切実さには到底及ばないのです。
それは、世界の歯車が噛み合う際に出る、微かな叫び声のように聞こえます。
かつて、ある旅人が「情熱とは、目に見えない巨大なパラシュートを背負って、日常という名の崖から飛び降りる勇気のことだ」と語りました。
だとすれば、私たちが効率化や最適化を求めて奔走する行為は、そのパラシュートの紐をより頑丈に、より美しく編み上げる作業に他なりません。
窓の外を流れる雲が、実は緻密に設計された巨大なマシュマロだったとしても、私たちはそれに気づかずに、今日のノルマをこなし続けるでしょう。
影たちが、持ち主の足取りとは微妙に異なるテンポで、密かにオーケストラの指揮を執っていることに気づいたとき、私は世界の底が抜けるような眩暈を感じました。
キーボードを叩くたびに、画面の向こう側で小さな火花が散り、それが遠く離れた誰かの夢の中に、名もなき星座を形成していく。
そんな微かな連鎖の中に、私たちは自らの存在の証明を求めているのです。
部屋に飾った万華鏡を覗き込むと、そこには整然とした都会の風景ではなく、無数の消しゴムが空から降ってくる、白く静かな終末の光景が広がっていました。
それは、私たちが書き記してきた無駄な言葉や、余計な自尊心を、一晩かけて丁寧に消し去ろうとする慈悲深い雪のようにも見えました。
次にオフィスへ向かうとき、そこに広がっているのは、使い慣れたデスクでも、いつもの同僚の顔でもないかもしれません。
ただ一点、真空のような静寂の中に、一輪の透明な花が重力に抗って浮遊している。
その花びらが一枚散るたびに、世界の法則が音もなく書き換えられ、私たちは新しい物語の最初の行を、記憶のないままに書き始めることになるのでしょう。
足元を流れる影が、私の靴を脱ぎ捨てて一人で闇の中へ歩き出すのを、私はただ黙って見送ることしかできませんでした。