新しい家電を買ったとき、皆さんは真っ先に説明書を開きますか。僕は、できるだけ最後まで開かずにいたいタイプです。まず自分の手で触り、ボタンを押し、時には思いもよらない挙動に驚く。この、正解を教えてもらわずに手探りで進む時間のなかにこそ、人間が本来持っている純粋な発見の喜びが詰まっている気がするのです。もし説明書を完璧に読み込んでしまったら、その道具はただの便利な機械になりますが、手探りで付き合っている間、その機械は僕にとって未知の可能性を秘めた相棒になります。
ビジネスやデザインの世界でも、これと同じことが起きていると感じます。多くの企業が、成功のための説明書を求めて奔走しています。競合他社の事例を分析し、最新のマーケティング手法を学び、失敗しないための最短ルートをなぞろうとする。でも、誰かが書いた説明書通りに動いている限り、そこから生まれる成果もまた、誰かがすでに達成したことの焼き直しでしかありません。僕がフリーランスとして関わるプロジェクトでは、あえてその説明書を一度閉じることから提案を始めることがあります。
制作会社での七年間、僕は完璧な説明書を作る側の人間に近い存在でした。ユーザーが迷わないように、ミスをしないように、親切丁寧に道筋を整える。それはプロフェッショナルとして正しい姿ですが、独立して気づいたのは、親切すぎるデザインは時に、使う人の想像力を奪ってしまうということでした。少しだけ不親切で、少しだけ自分で考える余白がある。そんなデザインに触れたとき、ユーザーは単なる消費者ではなく、そのサービスの共創者になります。
例えば、あるアプリの操作画面をあえてシンプルにしすぎたことがあります。次に何をすべきか一目でわかるアイコンをあえて置かず、ユーザーの直感に委ねる形にしました。周囲からは、使いにくいのではないか、という懸念の声も上がりました。しかし、実際にリリースしてみると、ユーザーたちは僕たちが想像もしなかったような方法でその機能を使いこなし、自分たちなりのコミュニティを作り上げていきました。用意された正解がないからこそ、彼らは自分たちで正解を作り出す自由を手に入れたのです。
僕が提供したいのは、ゴールまで手を引いて連れて行くことではなく、クライアントが自分たちの足で未知の領域を歩き出すための、丈夫な靴をデザインすることです。売上を向上させるための戦略も、ロゴのデザインも、すべては目的ではなく手段に過ぎません。大切なのは、その道具を手にしたクライアントが、説明書には載っていないような驚きや感動を、自らの手で生み出せるようになることです。
今の社会は、あまりにも効率と正解を急ぎすぎています。でも、最短距離で辿り着いた場所に見える景色は、案外どこかで見たようなものばかりです。あえて遠回りをし、あえて説明書を無視し、自分の五感を使って世界と向き合う。その時に感じる、どうすればいいんだろう、という心地よい戸惑いこそが、新しい価値が生まれる瞬間の産声です。
完璧に整えられた世界は美しいけれど、どこか息苦しい。僕たちが本当に求めているのは、間違いが許され、偶然の発見が祝福されるような、余白のある場所ではないでしょうか。デザインの力を使って、僕はその余白を広げていきたい。誰かの決めたルールに従うのではなく、自分たちの手で新しい遊び方を見つけ出す。そんな自由な精神を持ったパートナーと共に、まだ誰も読んだことのない未来の説明書を、白紙の状態から書き進めていきたいと思っています。