【石田大顕】エレベーターの閉ボタンを押さない修行
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高層ビルのエレベーターに乗り込んだとき、私たちは無意識のうちに閉まるボタンへ指を伸ばしてしまいます。一秒でも早く目的地に着きたい、一秒でも無駄を省きたいという効率への渇望。しかし、私はある時からあえてそのボタンを押さないという奇妙な修行を始めました。仕事で常に成果のスピードと精度を求められる日々の中で、この数秒間の空白をあえて受け入れることが、実はチームの呼吸を整え、誰も見たことのない景色へ辿り着くための最短ルートになるのではないかと直感したからです。扉が自然に閉まるのを待つ間、私たちの前には、合理性だけでは測れない豊かな時間が横たわっています。
ビジネスの現場では、空白は敵と見なされがちです。スケジュール帳の隙間を埋め尽くし、会議の沈黙を言葉で塞ぎ、即座に正解を出すことこそが優秀さの証明だと信じられています。しかし、エレベーターの扉が閉まるのを待つあの静かな数秒間、私たちは普段見過ごしている周囲の気配に気づくことができます。同僚のわずかな表情の変化や、オフィスのエントランスから漂う微かな空気の揺らぎ。その一瞬の余白にこそ、プロジェクトを根底から変えるような新しい問いが隠されていることがあります。ボタンを押して時間を短縮することよりも、時間を流れるままにさせておくことで得られる発見の方が、遥かに価値が高い場合があるのです。
私はかつて、誰よりも早く結果を出すことに執着していました。しかし、その過程で多くの大切な予兆を切り捨てていたことに気づきました。無理に扉を閉めようとする強引な姿勢は、知らず知らずのうちに周囲の自由な発想をも遮断していたのかもしれません。修行を始めてから、扉が開いている間の数秒間は、新しい仲間や偶然のアイデアが舞い込んでくるための招待状のようなものだと思えるようになりました。急いで扉を閉めて自分たちだけの空間に閉じこもるのではなく、外の世界と繋がったまま、訪れるべき変化を静かに待つ。その心の余裕が、結果として組織の器を大きく広げてくれるのです。
キャリアを築く過程でも、私たちは常に閉まるボタンを探しています。早く役職に就きたい、早く一人前になりたい。でも、あえてボタンを押さずに、今の場所に留まってじっくりと周囲を観察する時期があっても良いのではないでしょうか。扉が閉まるのを急がない姿勢は、不確実な未来を信じて待つという、ビジネスにおける最高の信頼の形でもあります。準備が整えば、世界は自然と動き出します。私たちが焦って指を動かさなくても、運命の扉は一番良いタイミングで静かに閉まり、あなたを次なるステージへと運び上げてくれるはずです。
もし明日、オフィスでエレベーターに乗ることがあれば、一度だけボタンから指を離してみてください。そして、自動的に扉が閉まるまでの数秒間に流れる沈黙を、全身で味わってみてください。そのとき、あなたの心には、効率化という波に呑まれて見失いかけていた、純粋な好奇心や他者への想像力が再び湧き上がってくるのを感じるはずです。世界をコントロールしようとするのをやめ、世界の一部としてそこに在ること。その小さな変革こそが、あなたの働き方をより本質的で、そして圧倒的に創造的なものへと進化させてくれるのです。数秒の空白を恐れない勇気が、明日のあなたの価値を劇的に変えていく。私はそう確信しながら、今日も静かに扉が閉まるのを待っています。