【栗山和暉】「役に立たないアンテナ」を磨く理由
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深夜のオフィスで、誰にも見られないはずの画面の端っこを一ピクセルだけ動かす作業を続けていると、ふと我に返ることがあります。この小さなこだわりは、誰に気づかれるのだろうか。あるいは、ビジネスの数字にどれほどの影響を与えるのだろうか。効率や費用対効果という冷徹な物差しで測れば、私のしていることは無駄以外の何物でもないのかもしれません。しかし、私たちは機械ではなく人間です。完璧に計算し尽くされた正解よりも、誰かが一晩中悩んで、迷って、それでも最後に見出した「微かなゆらぎ」にこそ、心が震える瞬間があるのではないでしょうか。
私は設計の仕事をしていますが、最近はあえて「効率の悪い選択」を自分に課すようにしています。最短距離で答えを出すためのテンプレートを一度捨てて、あえて使いにくい道具を使ってみたり、全く関係のない分野の本を読み耽ったりする。一見するとキャリアの停滞に見えるその寄り道が、実は最も豊かなアイデアを運んできてくれます。情報はすぐに古くなりますが、その情報をどう料理し、どんな温度で届けるかという感性は、こうした日々の無駄な蓄積からしか生まれません。役に立つことばかりを追いかけていると、いつの間にか自分というアンテナが、一番大切な心の震えを感知できなくなってしまうような気がするのです。
以前、あるベテランの職人さんとお話しした際、彼が言った言葉が忘れられません。良い仕事とは、受け取り手がその労力に気づかないほど自然で、それでいて触れた瞬間に背筋が伸びるようなものだ、と。それはデジタルな世界でも同じです。ストレスなく操作できることは前提として、その先に、作り手の深い敬意や情熱が静かに漂っている。そんな目に見えない空気感を設計することこそが、プロとしての本当の贅沢なのだと思います。履歴書に書ける輝かしい経歴も大切ですが、それ以上に、自分が何に悩み、何を美しいと感じて生きてきたかという、数字にならない個人の輪郭を私は大切にしたいのです。
これから一緒に新しい景色を見にいく仲間に伝えたいのは、器用に立ち回るための技術よりも、自分の違和感を無視しない誠実さを持ってほしいということです。周囲が「これが正解だ」と指差す方向に疑問を持ち、自分だけの面白いを掘り下げていく。その孤独な作業の先に、まだ誰も見たことのない驚きが待っています。完成された歯車になる必要はありません。むしろ、少しだけ噛み合わせが悪いからこそ、新しい火花を散らせるような、そんな個性的な存在であってほしい。
私たちは、ただ消費されるためのプロダクトを作っているのではなく、誰かの日常を少しだけ新しくするための「きっかけ」を創り出しています。だからこそ、作り手である私たち自身が、誰よりも自由に、そして誰よりも不器用なほど情熱的でありたい。効率化が進む世界で、あえて立ち止まり、空を見上げる。そんな「役に立たない時間」を共に愛でながら、心に深く刻まれるような手ざわりのある仕事をしていきませんか。目的地へ辿り着くこと以上に、その道中でどれだけ多くの発見を共有できるか。そんな冒険のような日々を、私は心から楽しみにしています。