画面の中に整然と並ぶ数字やグラフを眺めていると、時々それが誰か別の人の人生のように思えてくることがあります。私たちは自分のキャリアを、あたかも一冊の完璧な図鑑のように美しくまとめ上げようと必死になります。いつ、どこで、何を成し遂げたか。その空白を埋めることに躍起になり、自分の価値を証明するための記号を積み上げていく。でも、本当にその人の本質が宿っているのは、そんな輝かしい実績の合間にこぼれ落ちた、名もなき時間の中にあるのではないでしょうか。私はある日、自分の経歴をすべて真っ白な霧の中に隠してしまいたいという、奇妙な衝動に駆られました。
ビジネスの現場では、いかに無駄を省き、最短距離で成果に辿り着くかが問われます。プロジェクトを円滑に進めるための設計図を描き、情報の迷路に明快な出口を用意する。それはプロとして当然の振る舞いです。しかし、あまりにも効率化され、摩擦の消えた世界には、誰も立ち止まってくれません。ただ通り過ぎるだけの景色は、どんなに美しくても記憶に残りません。私がデザインの仕事を通じて本当に作りたいのは、目的地へ導くための地図ではなく、思わず足を止めて深呼吸したくなるような、心地よい余白です。その余白があるからこそ、人はそこに自分の物語を重ね合わせることができるのです。
以前、ある古い劇場の舞台裏を見せてもらう機会がありました。表舞台の華やかさとは裏腹に、そこには使い込まれた道具や、誰かが走り書きしたメモ、そして何十年も積み重なった埃の匂いがありました。その混沌とした風景の中にこそ、劇場の命が宿っている。完璧に整えられた客席よりも、その雑多な裏側に私は強く惹かれました。仕事も同じではないでしょうか。スマートに解決した課題よりも、何度も壁にぶつかり、泥だらけになって格闘した跡にこそ、その人だけの独自の光が宿ります。私は、履歴書に書けるような成功体験よりも、誰にも話せなかった失敗の集積こそを誇りに思いたい。
最近は、あえて言葉にできない感覚を大切にしています。なぜこの色なのか、なぜこの配置なのか。論理的な説明はもちろん用意します。でも、その奥底にある「なんとなく、こちらの方が体温を感じるから」という直感。その説明不可能な一滴の想いが、結果として多くの人の心を動かす決定打になることがあります。効率や正解という言葉で自分を縛りすぎず、もっと自分の内側にある正体不明のワクワクに従ってみる。その不確かな一歩が、誰にも真似できない新しいキャリアの扉を開く鍵になるはずです。
もし、あなたが今、自分の実績が足りないと感じていたり、周囲の成功に焦りを感じていたりするなら、一度その図鑑を閉じてみてください。そして、霧の中に隠れた自分自身の不器用な情熱を、じっくりと観察してみてください。そこには、数字では決して測れない、あなただけの圧倒的な魅力が眠っています。私は、そんな目に見えない価値を面白がり、一緒に育てていける仲間を探しています。完成されたプロフェッショナルである必要はありません。常に未完成で、常に迷いながら、それでも自分だけの表現を模索し続ける。そんな人間くさい旅を、一緒に楽しんでいきたいのです。
真っ白な霧を抜けた先には、誰かが引いた線路ではない、あなただけの広大な荒野が広がっています。その場所で、自分らしい歩幅で歩き始めること。たとえそれが効率的ではなくても、その一歩一歩が最高のストーリーになっていきます。私は今日も、デジタルな画面の向こう側に、まだ誰も見たことのない温かな景色を設計し続けています。