死なないために、東大・UCバークレーを中退して教育業界で起業しました。
お父さん、お母さん、親不孝でごめんなさい。
僕が生き続けるためには、この決断しかなかったんです。
実は、この決断は今まで、あまり公言してきませんでした。というのも、この話をするときには、必ず、僕という人間の歪んだ一面にも触れなければならないと考えているからです。
ただ生きているだけの自分を許せなかった
以下は、誇りというより、僕が生きるためにもがいた痕跡です。
東大寺学園中高(偏差値70超)で生徒会長。論文コンテストにて高校生で全国1位。東京大学文科三類に現役入学後、全額奨学金を獲得してカリフォルニア大学バークレー校(世界8位)に進学して教育科学を専攻。教育イノベーションの国際会議で最年少表彰。一般社団法人52Hzを共同創業し、のべ約2000万円の助成金獲得・教育プログラムの収益化を主導。複数のスタートアップで新規事業の立ち上げに従事。2025年中だけで講演・登壇を月1ペースでこなし、メディア掲載も多数。
経歴がキラキラだからこそ、親からは「新卒は外銀か戦コンに行ってくれ」と言われ続けてきました。大学1年生の頃は、僕自身も、何となくそうなると思っていました。
でも、22歳になろうとしている僕は今、大学を中退して、高卒です。有名企業に就職するどころか、なけなしの貯金を資本金にして去年10月に登記した、株式会社トキツカゼの代表取締役CEOをやっています。もちろん起業直後なので、役員報酬はゼロ。親とはほぼ絶縁状態です。それでも、「今しかない」とレールを踏み外す覚悟を決めました。
今日は少しだけ、歪んだ自我の話をさせてください。実は、僕の脳の片隅には、長い間「自殺」の2文字が居座っていました。
普段発信していると、よく「自分に自信がある」と思われます。でも実は、それは半分正解、半分不正解。というのも、確かに自己効力感(自分ならできるという感覚)は高いのですが、自己肯定感(自分には価値があるという感覚)はものすごく低いのです。
このメンタルモデルに気づいたのは、小学校低学年の頃でした。
友達と喋り、授業を受け、鬼ごっこをして遊ぶ。
僕が風邪で休もうが、読書に没頭していようが、同じ毎日が繰り返される小学校の世界。僕は「いてもいなくても世界は変わらないのに、自分という存在に意味はあるのか?」という疑念に襲われていました。それからずっと「自分はただ生きているだけでは存在価値がない人間だ。社会にインパクトを与えられないのであれば、死んだほうがマシだ」という価値観に支配されています。
だからこそ、中学受験は衝撃的な体験でした。勉強をすればするほど、偏差値が上がる。すなわち、塾というコミュニティに影響を与えることができる。そんな勉強での成功体験が起点となり、自己効力感は高まっていきます。高校時代に子育て支援の情報発信や研究開発を始めると、課題解決力・行動力・発信力などの自己効力感が伸びていきましたが、同時に、社会インパクトや目に見える成果を追求するしか、自らの存在価値を信じる拠り所がないことにも気づきます。
教育領域なら、自分が、この社会にインパクトを与えられるかもしれない。
そんな話を親にしたら、「少子高齢化だから教育業界は斜陽なのでやめて、大人しく理系に行ってくれ」と言われたのを覚えています。家族会議は紛糾しましたが、「教育をやるなら東大に入らないとダメ」という結論に。
高2の冬。教育領域で同世代から一目置かれる実績を持っていましたが、文化祭が終わって高校内で自分の役割がなくなると死にたくなってふらっと一人旅に行くくらいには、相変わらず、僕の自己肯定感は低いまま。そこで、自分の価値を真に認めてくれる環境を求めて、僕が目標にしたのは、全人的な評価が特徴のアメリカの大学入試です。
「アメリカに進学したい」そう親に言うと、またもや大ゲンカ。最終的に「海外大学なら、東大よりも上位の大学しか許さない。それも全額奨学金で行ってくれ」ということに。結果、トップ大学を30校受験。第一志望に落ちたとき、駅でしょぼくれたサラリーマンを見かけるたびに、「この人よりは流石に自分のほうが価値があるはず、まだ死んだらあかん」と自身に言い聞かせていたのはここだけの話です。
半年間の東大生活でも、その後の2年間のUCバークレー生活でも、大学で教育学を学びながら、教育系のNPOやスタートアップでずっと仕事をしていました。特に、共同創業した(一社)52Hzと社長直下でBizDevをしていた(株)Schooには、留学生活の全てを費やしたといっても過言ではありません。ただ、今から振り返ると、日々の忙しさでモヤモヤに蓋をしていたようにも思います。
というのも、2024年末に(株)トキツカゼを共同創業することになる橘と出会い、仕事ついでに夜な夜な話し込む中で、焦燥感を抱くようになるのです。
僕は、このままではダメだ。このまま生きていても、僕という人間が本当に得なければいけないもの、すなわち、社会に対する本質的なバリューを発揮している実感は得られない。何となく大学を卒業して"良い会社"に就職しても、きっと生きる意味を見失う。
それは自分が、常にセーフティネットを張って、プランBを想定し、安牌を選び続けてきた、という現実を思い知らされたからでした。
第一志望に落ちた後、合格した第二志望ではなくUCバークレーに進学したのは、結局、受かった大学の中で最もランキングが高い"安牌"な選択肢だったから。インターンや業務委託で複数のNPO・スタートアップで複業していたのも、結局、どれかがうまくいかなくても逃げ場があるから。しかも、どの仕事も大学名を武器にして面接に臨んでいた時点で、日米トップ大学の虎の威を借りたセーフティネットをつくり、生身の自分で勝負してこなかった。それでも、なまじ人一倍能力が高い分、ある程度の成果や実績を出せてしまうのです。
でも、そのままでは若者は社会に本質的なインパクトを与えることはできない。今の社会で若者だけが持っているリソースは時間と体力。それをどこかのタイミングで1つのことに全て投入しなければ、圧倒的なインパクトを出すことはできない。真に社会を変えることはできない。そのことに、最近まで気づかなかった。いや、気づいていたけど、見ないふりをしていました。
21歳の誕生日をアメリカで迎えた2週間後、僕はUCバークレーを中途退学することを決めます。ちょうど留学生活2年目が終わるタイミングでした。
全力で何かに賭けることから、もはや逃げてはいられなかった
一方で、橘と議論を重ねて、少しずつ、自分たちが何をするべきかの輪郭が見えてきます。一度海外に出たからこそ、日本社会が秘めるポテンシャルに気づけた。日本社会をあるべき未来に導くためには、僕たちのような若者が教育からアプローチする以外に方法はない。一方で、NPOでは僕たちに必要なレベルの変化を社会に起こすことはおそらく不可能。Schooの社長室でIPOを経験したこともあり、スタートアップにしか成し遂げられないことがあると分かっている。
でも、人生を賭けて起業するからには、いくら手っ取り早かったとしても、留学経験者がやりがちな英語教育や留学支援のような、N=1の成功経験に依存したダサいビジネスを始めるなんて考えられない(52Hzは現役海外大学生が主導するから意味がある)。むしろ、これまで全く触れたことがない領域だとしても、起こすべき社会の変化から逆算して、事業領域とビジネスモデルを考えなければならないし、その上で自分たちが競合優位性を持てるような事業にしなくてはならない。
そうしてたどり着いたのが、明日2/1の18:00にリリースする事業です。弊社トキツカゼは、儲からないと思われている教育業界で、スタートアップとして社会的インパクトと経済合理性の両立を追求します。
僕たちは、「民間教育業界をアップデートする」をミッションに新時代の教育インフラを展開することで、2040年に日本の高校生のうち半数が自社の教え子になる世界を本気で目指しています。
これは少し前に橘から唐突に届いたメッセージですが、僕自身も、この挑戦の中で、ようやく「生きている実感」を取り戻しつつあります。レールを外れると決めた以上、この選択を、自分にとっても社会にとっても"正解"にし続ける覚悟で生きていきます。