多層膜モデルで解く「キューティクル・CMC・コルテックスへの薬剤浸透シミュレーション」
多層膜モデルで解く「キューティクル・CMC・コルテックスへの薬剤浸透シミュレーション」
こんにちは。美容専門学校2年の荒井利尚(としひさ)です。
これまでの記事では、
- 拡散係数 D による薬剤浸透
- 反応速度論(Kinetics)
- ORP・Nernst式・Pourbaix図
などを使って、**毛髪内部で起きている“見えない反応”**を解析してきました。
今回はさらに一歩進めて、
毛髪を「多層膜(キューティクル・CMC・コルテックス)」としてモデル化し、数値シミュレーションで薬剤浸透を追う
という、ほぼ研究室レベルの内容を紹介します。
■ 1. 毛髪は「三層構造の拡散フィルター」として考える
毛髪は大きく分けて、以下の3層構造です。
- キューティクル層(Cuticle)
- 疎水性・高密度
- 拡散係数 D が小さい(薬剤が通りにくい)
- CMC層(細胞膜複合体)
- 脂質+親水性成分
- 薬剤の通り道(ゲート)の役割
- D は中程度
- コルテックス層(Cortex)
- 毛髪の大部分を占める内部繊維
- 薬剤が最終的に作用して形状を変える場所
- D は比較的大きい(薬剤が入りやすい)
この3層を
「異なる拡散係数を持つ連続した膜」=多層膜モデル
として扱うのが今回のテーマです。
■ 2. 1次元モデルとしての設定
毛髪の半径方向(表面→内部)だけに注目し、1次元拡散とします。
x = 0 を毛髪表面、x = L を毛髪内部とすると、
- 0 〜 L₁:キューティクル
- L₁ 〜 L₂:CMC
- L₂ 〜 L:コルテックス
のような分割になります。
拡散方程式は各層で
∂C∂t=Di∂2C∂x2(i=1,2,3)\frac{\partial C}{\partial t} = D_i \frac{\partial^2 C}{\partial x^2} \quad (i = 1, 2, 3)∂t∂C=Di∂x2∂2C(i=1,2,3)
- C:薬剤濃度
- D₁, D₂, D₃:各層の拡散係数
■ 3. 層の境界条件(インターフェイス条件)
多層拡散で重要なのが、層と層の境界条件です。
境界位置を x = L₁, L₂ とすると:
- 濃度の連続性
C1(L1,t)=C2(L1,t)C_1(L_1, t) = C_2(L_1, t)C1(L1,t)=C2(L1,t) C2(L2,t)=C3(L2,t)C_2(L_2, t) = C_3(L_2, t)C2(L2,t)=C3(L2,t)
- フラックス(流束)の連続性
−D1∂C1∂x∣x=L1=−D2∂C2∂x∣x=L1-D_1 \left. \frac{\partial C_1}{\partial x} \right|_{x=L_1} = -D_2 \left. \frac{\partial C_2}{\partial x} \right|_{x=L_1}−D1∂x∂C1x=L1=−D2∂x∂C2x=L1 −D2∂C2∂x∣x=L2=−D3∂C3∂x∣x=L2-D_2 \left. \frac{\partial C_2}{\partial x} \right|_{x=L_2} = -D_3 \left. \frac{\partial C_3}{\partial x} \right|_{x=L_2}−D2∂x∂C2x=L2=−D3∂x∂C3x=L2
つまり、
- 濃度は“段差なく”つながっている
- 薬剤の流れ量も途切れない(保存則)
という条件を満たしながら、層ごとに違う D で拡散が進むことになります。
■ 4. 初期条件と外部濃度条件
シミュレーションのために、以下のような条件を置きます。
- 初期条件(t = 0):
毛髪内部に薬剤は存在しないと仮定
C(x,0)=0(0<x<L)C(x, 0) = 0 \quad (0 < x < L)C(x,0)=0(0<x<L)
- 表面条件(x = 0):
シャンプーボウルで薬剤を塗布している間は一定濃度 C₀
C(0,t)=C0C(0, t) = C_0C(0,t)=C0
- 内部境界(x = L):
毛髪中心部でフラックス0(内部に抜けない)
∂C∂x∣x=L=0\left. \frac{\partial C}{\partial x} \right|_{x=L} = 0∂x∂Cx=L=0
■ 5. 数値シミュレーション:有限差分法(Finite Difference)
この多層拡散方程式は解析解を求めるのが難しいため、
有限差分法による数値解が現実的です。
● 空間離散化
毛髪半径方向を N 分割し、
x = jΔx (j = 0, 1, 2, …, N) とします。
各格子点 j に対して、
濃度 Cᵢᵏ(i = 層番号, k = 時刻ステップ)を計算します。
● 時間方向の更新式(陽解法の例)
1次元拡散の差分近似:
Cjk+1=Cjk+DjΔt(Δx)2(Cj+1k−2Cjk+Cj−1k)C_j^{k+1} = C_j^k + D_j \frac{\Delta t}{(\Delta x)^2} \left( C_{j+1}^k - 2C_j^k + C_{j-1}^k \right)Cjk+1=Cjk+Dj(Δx)2Δt(Cj+1k−2Cjk+Cj−1k)
ここで
- j ごとに、その位置がキューティクル・CMC・コルテックスのどれかによって D_j を切り替える
- 境界の j = 0, j = N は先ほどの条件(C = C₀, 勾配0)を使って更新
これをパソコンで時間方向に繰り返し計算することで、
時間とともに毛髪内部のどこまで薬剤が浸透したかがシミュレーションできます。
■ 6. パラメータ例(ざっくりイメージ)
イメージしやすいように、拡散係数のオーダーだけ例を挙げます(単位は仮)。
- キューティクル:
D₁ ≈ 1×10⁻⁸ cm²/s - CMC:
D₂ ≈ 5×10⁻⁸ cm²/s - コルテックス:
D₃ ≈ 1×10⁻⁷ cm²/s
この場合、**同じ時間でも「表面〜数µm」と「内部数十µm」で濃度分布が全然違う」**という結果になります。
→ つまり、
表面はすぐ高濃度になる一方、
内部は時間をかけないと十分な薬剤濃度に到達しません。
これが、
- 「放置時間が短すぎると中がかからない」
- 「ただ時間を伸ばしても、√t なので限界がある」
という現場感覚の科学的裏づけになります。
■ 7. ダメージ毛を多層モデルに入れるとどうなるか?
ブリーチ毛・ハイダメージ毛では、
- キューティクルが薄い・欠損
- CMC脂質が流出
- 疎水バリアが崩壊
などが起こっています。
多層モデルに翻訳すると、
- キューティクル層の厚さ L₁ が小さくなる
- D₁(キューティクルの拡散係数)が大きくなる
- CMCの D₂ も増加
となり、シミュレーション上は
薬剤が異常に早く内部へ到達する毛髪になります。
その結果:
- 短時間でも内部濃度が急上昇 → 過剰還元・過剰酸化
- 薬剤の“効きすぎゾーン”と“効いてないゾーン”がくっきり分かれる
- ビビり毛やパサつきなどのリスクが劇的に増加
という挙動を、数値的に再現できるようになります。
■ 8. シミュレーションから見える「施術の示唆」
多層膜モデルのシミュレーション結果は、
実際の薬剤操作にそのままつながります。
▼ 示唆①:1剤は「内部に届くための設計」が最重要
- アルカリ性 → D を上げる
- 界面活性剤・溶媒設計 → CMCの通過性を調整
- ダメージ毛 → あえて D を下げる処方(低アルカリ・低膨潤)
▼ 示唆②:塗布量・時間・温度は「浸透プロファイル」を決める
- 厚塗り → 表面濃度 C₀ が高くなる → 全体の浸透が加速
- 加温 → D が増加 → 浸透深度が増加
- 放置時間 → √(Dt) 依存で効いてくるが、やりすぎても限界あり
▼ 示唆③:前処理・中間処理は“D と層厚さをコントロールする技術”
- 前処理トリートメントでキューティクルのギャップを埋める
- CMCを補修することで「薬剤の通り方」を安定させる
これは、数式で見ると
「異常に高くなっている D を適正値まで戻す」
という行為に相当します。
■ 9. まとめ
- 毛髪は「キューティクル・CMC・コルテックス」の多層膜としてモデル化できる
- 各層ごとに拡散係数 D が異なり、これが薬剤の浸透プロファイルを決定する
- Fickの拡散方程式を有限差分法で解くことで、
時間とともにどこまで薬剤が浸透したかを数値シミュレーションできる - ダメージ毛は D が異常に高く、浸透が“速すぎる毛髪”として再現される
- 施術の塗布量・時間・pH・温度・前処理は、すべて
D と層構造をコントロールするための「物理・化学操作」
美容技術をここまで数式で見ていくと、
「なんとなくの経験則」が
はっきりした“物理化学ルール” に変わります。
専門学生として、
これからも、毛髪内部の世界を「科学の言葉」で解説していきたいと思います。