世界はのっぺりしたがっている
Photo by Ilse Orsel on Unsplash
ある日、エントロピーについて考え始めました。
きっかけは映画だったと思います。SFがずっと好きで、バック・トゥ・ザ・フューチャーに始まり、マトリックスやクリストファー・ノーラン作品が大好きです。なぜ好きなのかはわかりませんでしたが、今思うとどこかフィクションじゃない感じがワクワクさせてくれて好きだったのかもしれません。TENETに出てくる「エントロピーが増える」という言葉がずっと頭に残っていて、それが何を意味しているのか、ちゃんとわかっていない自分に気がつきました。
エントロピーとは「乱雑さの度合い」を表す物理の概念らしいです。熱いコーヒーを放っておくと冷める。インクを水に垂らすと全体に広がる。部屋は誰も手を入れなければ散らかっていく。どれもエントロピーが増える方向の現象で、自然界はこの方向にしか進みません。熱力学第二法則という、宇宙の基本ルールです。
つまり、世界は放っておくと「のっぺり」します。
温度の差はなくなり、濃淡は均一になり、あらゆる偏りが消えていく。最終的にはすべてが同じ温度、同じ密度の、何も起きない静寂に向かう。物理学ではこれを「熱的死」と呼ぶそうです。熱くも冷たくもない。明るくも暗くもない。どこを見ても同じ。完全にのっぺりした宇宙。
最初にこれを知ったとき、なんだか寂しいなと思いました。
でも、よく考えると不思議なことに気がつきます。世界がのっぺりに向かっているのなら、今この瞬間の豊かさは何なのか。星がある。海がある。山がある。隣の席に人がいる。渋谷の街はごちゃごちゃしていて、朝のコーヒーは熱い。全然のっぺりしていません。
それは、のっぺりに向かう途中だから、だそうです。
エントロピーが増えていく大きな流れの途中で、局所的にものすごく複雑で秩序だったものが生まれる。星、惑星、海、生命、都市、文化。全部、エントロピーが増大する過程で「一時的に」現れた構造なのだといいます。
たとえば生き物は、周囲のエントロピーを大量に増やす代わりに、自分の体の中だけ秩序を保っています。食べて、代謝して、熱を放出して、周囲をどんどんのっぺりにしながら、自分だけ精巧な構造を維持している。
生き物はのっぺりに向かう流れに逆らっているわけではありません。流れを利用しています。
帆船を想像してみてください。帆の角度を調整することで、風のエネルギーを自分の進みたい方向に変換する。風がなければ動けないし、帆がなくても動けない。流れと、流れを受け止める形の両方があって、初めて前に進めます。
生き物は、のっぺりに向かう宇宙の風を帆に受けて進んでいる帆船のようなものです。流れに逆らっているのではなく、流れがあるからこそ存在できている。
仕事をしていても似たことを感じる瞬間があります。放っておくと、組織はのっぺりします。創業時の熱量は冷め、理念は形骸化し、「うちの会社って何だっけ」という状態になる。メンバーが増え、事業が広がり、全体がなんとなく均一で、どこにも偏りのない、あたりさわりのない組織。社会における熱的死のようなものです。
しかし、この流れを利用している組織もあります。のっぺりに向かうエネルギーを、帆で受け止めて前に進んでいるような組織が。そういう組織には共通して、強い偏りがあります。偏りが帆の形を決めていて、風を受け止められるようになっている。帆のない船は風に吹かれるまま流されるだけですが、帆がある船は風を動力に変えられる。
エントロピーという概念に出会って、ひとつだけはっきりしたことがあります。世界がのっぺりに向かっているのだとしたら、
「偏っている」ということ自体に途方もない価値がある。
差があること、特徴があること、他と違うこと。それは流れに逆らう壁ではなく、流れを受け止めて進むための帆であると、世界の仕組みからブランディングの基本を理解できたような気がします。