バスタブから見える、日本のお風呂という場
サインコサインでディレクターをしているこいづかです。
自分のディレクション力を鍛えるべく、日々の生活に紛れている「デザインされたアイデンティティたち」を見つけて、記していこうと思っています。
今回書きたくなったのは、お風呂の話です。
ヨーロッパのホテルを予約するとき、「シャワーのみ」という表記をよく見かけました。「バスタブなし」と書かれていると、つい「やはり湯船ないのか・・・」と少しがっかりしてしまう自分がいます。
一方で、日本の賃貸情報を眺めていると、バスタブのない部屋はかなりの少数派です。バス・トイレ別かどうかは気にしても、湯船があるかどうかを疑うことはあまりありません。
なぜ海外では、バスタブがなくても当たり前なのに、日本では湯船が標準装備になっているのか。お風呂という「場」を軸に、その背景を考えてみます。
海外でバスタブが「なくても困らない」理由
まずは、いわゆる「海外側」の前提から。
多くの欧米の都市では、入浴の目的は「サッと汚れを落とす」ことにあります。朝起きてシャワーを浴びてから仕事に行く。ジムで汗をかいた後にシャワーを浴びて帰る。生活のリズムの中で、シャワーは「オン/オフを切り替えるスイッチ」のような存在になっているとのこと。
湯船にゆっくり浸かるのは、どちらかというと特別なリラックスタイムや週末のご褒美に近い感覚。日本でいうところの、たまに行く温泉やスパに近い感覚のようです。
もう一つ大きいのが、水道代や光熱費、環境意識の話です。シャワーだけで済ませれば、水もエネルギーも少なくて済む。日本は水が豊富にある国ですが、そうではない、水やエネルギーのコストが高い国や、環境問題への意識も高い地域ほど、湯船から遠ざかります。
住宅事情もあるそうです。ヨーロッパの古い建物などは、もともとバスルームを想定していない間取りに後から水回りを足しているケースも多く、小さなスペースに収めるためにシャワーブースのみにしている家もたくさんあります。高齢化やバリアフリーの観点でも、段差の少ないシャワーの方が安全です。
こうした事情が重なって、
お風呂=ほぼシャワー
湯船=あったら嬉しいが、なくても生活は回る
という価値観になっている国が多いのだと感じます。
日本ではなぜ湯船が「標準装備」になったのか
一方で、日本の「お風呂」の前提はかなり違いました。
日本には温泉や銭湯の文化があり、昔から「湯に浸かる」ことが、体を清めることと同じくらい大事にされているようです。
もともと日本の家にはお風呂がないことも普通で、近所の銭湯に通う生活が長く続いていたようです。そこから高度経済成長期を通じて、自宅に風呂があることが豊かさの象徴になっていった、とのこと。
銭湯文化が先にあって、その体験が家に持ち込まれたので、お風呂付きの家といえば、湯船付きの家を意味するようになったそうです。
気候や暖房事情も、日本の湯船文化を支えています。冬の日本の家は、部屋ごとの暖房が多く、廊下や脱衣所はかなり冷えます。そんな環境では、夜に湯船に浸かって体の芯まで温め、そのまま布団に入るというのが、とても合理的でもあります。
こうした背景が重なって、
お風呂=湯船に浸かる時間も含めた一つの「場」
シャワー=その中の「洗う」工程の一部
という発想になっているのだと思います。
「汚れを落とす部屋」か、「一日の終わりの居場所」か
お風呂という空間を、「場」という視点で見直してみると、海外と日本の違いはとてもシンプルにも見えてきます。
海外のお風呂(シャワールーム)は、
・汚れを落とす
・体をリセットする
ための機能の部屋であることが多い。
一方で、日本のお風呂は、
・体を温める
・ぼーっとする
・考え事をする
ための「一日の終わりの居場所」でもある。
どんな時間をそこで過ごしてほしいのか。
何分くらいそこにいてほしいと思っているのか。
そういった「場の前提」が違うから、シャワーだけで十分な国と、湯船があることを疑いもしない国に分かれていくのだと思います。
同じ「浴室」という言葉でも、想定している体験がそもそも違う。それがそのまま、バスタブの有無という形で可視化されているのが、おもしろいところだなと感じました。
お仕事に活かしたい今回の学び
今回のお風呂の話を、ブランディングや場づくりの仕事に引き寄せると、こんな学びがあるように思います。
何をリセットする場なのかを決める
体だけなのか、心もなのか、人間関係もなのか。
日本のお風呂は、「汚れ」だけでなく「一日の疲れ」や「思考」までリセットする場として設計されている。自分たちがつくるオフィスや店舗、イベント会場も、「何をリセットしてもらう場なのか」をはっきりさせると、設計の軸がブレにくくなる。
「標準装備」には、その社会の価値観が埋め込まれている
日本の家に湯船がついているのは、「湯に浸かる時間は削れない」という前提があるから。プロダクトやサービスにおいても、「当たり前に入れている機能」は、そのブランドが手放したくない体験を可視化している。標準装備を見直すことは、自分たちの価値観を見直すことでもある。
同じ機能でも、「場としての役割」を定義できる
シャワーも湯船も、どちらも「体を洗う/温める」という機能を持っている。でも、「どんな時間を過ごす場にするのか」を決めた瞬間、設計も伝え方も変わってくる。会議室や受付、休憩スペースなど、日常にある場も、「ただの機能の部屋」にするのか、「そこで過ごす時間ごとデザインされた場」にするのかで、ブランドの印象は大きく変わるはず。
日本のお風呂という場にどっぷり浸かってきた自分が、たまに湯船のないシャワールームに立つと、「これでどうやって休まるのだろうか」と、少し心もとない気持ちにもなります。でもその違和感のおかげで、場の設計には、その社会のアイデンティティがにじんでいることを意識できるようになりました。また何か気づきがあったら、書こうと思います。