1ヶ月の日本生活で学んだ、速さより大切なこと
日本で一か月間過ごしてみて、韓国との最も大きな違いとして感じたのは、バリアフリーが日常の中に自然に溶け込んでいることだった。
街を歩いていると、付き添いなしで一人で移動する視覚障害者や車椅子利用者を、特別珍しいことではなく自然に見かけた。外国人観光客で賑わっていた屋外フェスティバルでも、バリアフリー案内のパンフレットや常駐スタッフが配置されていた。
寮や学校も同様だった。点字案内、シャトルバスの優先乗車や車椅子スペース、車椅子利用者向けの机が設置された教室、さらには学生サポーター制度まで整えられていた。加えて、学内で独自開発されたアプリにもバリアフリー機能が組み込まれていた。
こうした設計は、一朝一夕で生まれたものではないはずだ。AIやバイブコーディングによって数多くのサービスが高速で生まれ、そして消えていく今、その中で「共に生きること」を前提に設計されたサービスは、どれほど存在しているのだろうか。
すでに整備された道を、より速く進めるためのスピード重視の発想は確かに効率的だと思う。しかし、その道が後から続く誰かにとっても本当に開かれた道なのか、私たちは十分に問い直せているのだろうか。
サービスをデザインする立場で、この経験は自然と自分のキャリア観にもつながった。
「私は今、誰の日常を前提に設計しているのだろう。」
何度かの旅行を通して漠然と思い描いていた日本での暮らしは、この一か月を経て、より具体的な姿勢へと変わった。今の私にとって日本で働くことは、単なる目標ではなく、多様性を受け入れるために観察し、考え続けるプロセスそのものになっている。
たとえその思考のスピードが、今の社会で求められる基準より少し遅かったとしても、共に生きられる方向を考え続ける社会の一員でありたいと思う。