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わたし、椎木里佳はどういうこどもだったのか、起業の経緯。

こども時代を語るといっても、わたしただいま18歳。

未だこども時代のくくりに入るのではないかと思うが、今回は小学校までのおはなしを。

わたし椎木里佳は1997年11月21日に生まれた。

びっくりされるが、阪神淡路大震災のときも地下鉄サリン事件のときもまだ生まれてない時。

母は父がベトナム駐在の時にベトナムで私を身ごもった。

未だに父が私のことをベトナム仕込みといってくるのが本当にセクハラでしかないので早急にやめていただきたい。

かといって、私もネタにしているけど。

新宿の病院で生まれ、2歳まで文京区で過ごして、3歳の時に千代田区に越した。

父が起業したのがちょうど越したとき。

記憶は薄いが、オフィスがなかった父は、家で仕事をしていたので、毎日家にいるし、いつも楽しそうだなと感じたことは覚えている。

私はというと、赤ちゃんのときはまったく手のかからないこどもだったらしい。

泣かないし、うるさくないし、すぐ寝てくれるし。

3歳になり、千代田区立番町幼稚園に入園した。

1871年に創立された大変歴史が長く、記念式典などには、昭和天皇の時代から現在の皇太子も代々お迎えし、行っているそう。

ただ、そんな由緒正しき幼稚園なのに、いきたくない。

とにかく新学期、新年度、新しい環境がこのころから大の苦手。

新学期が始まるごとに泣く。馴染んでしまえばケロっとしているがとにかくファミコン。

5歳になったときにお受験をさせようと決意した親たちが、わたしをお受験塾に入れた。

ママパパビーヤピーヤと泣いていたわたしに先生たちは呆れ顔。

幼稚舎を受けることになったと先生に告げにいったら真顔で「やめたほうがいい」と。

父も幼稚舎受験には反対派。

父と、祖父だけ大学から慶應。慶應家系でもないし、泣き虫娘だし、望み薄と思ったらしく。

母は諦めず(なぜかこの子はいけるはずと思ったらしいサンキューママ)、受験させ、見事合格。

わたしは2004年に慶應義塾幼稚舎に入学した。

6年間同じクラス、同じ担任、ずっと変わらない生活。

大学までよくも悪くもぬるま湯に浸かれる環境下。

小学校低学年のときはずっとクラスで一番の成績、みんながドッヂボールしている間、

「ドッヂするやつとか馬鹿だな」、と思いながら、本を読んでいるような子だった。

あるとき、初めてニコラを読んで、ファッションに目覚めて、109に人生で初めていった。

ニコラを風呂場まで持っていって、シャワーしながら読んでいるという、どハマリっぷり。

そこから、父の会社にも遊びに行くようになり、「大人」とか「働くひと」にものすごい憧れるようになった。

小学4年当時、わたしはモデルさんになりたかった。

ただ父親的には、業界の厳しさを知っている分、いわゆる「使われる側」にはなってほしくなかったらしく、父親がCEOをしている、株式会社DLEが制作の番組のオーディションに連れて行かれた。

「審査する側」の立場で。

ニコラモデルや、当時憧れだったティーンモデルが続々と出て来る審査が終わり、

「この中から5人選ぼう」

と言われた。100人もモデルがいたのに。

そのときからわたしがモデルになりたいと思ったことは一度もない。

こんなに顔が小さくて足が長いひとたちに勝てるわけがない。

だったら、この人たちを巻き込んで、「使う側」として面白いことをしたい。

そう小4で決意し、夢がどんどん具体化していった。

脚本家、アイドルプロデューサー、映画監督、芸能事務所社長。

そして幼稚舎を卒業し、慶應中等部に入学。

思春期真っ只中。自分がなりたいひと、やりたいことを悩みまくったあげく、父に相談。

「やりたいことが多すぎる。」

つきたい職業がなかった、一つだけに決められなくて。

父から一言

「起業って知ってる?」

もちろん12歳中学1年生のわたしが知ってるはずもなく。

「起業したら、いろんなことが事業としてできるから、やりたいことを一つにしなくてもいい。」

そのとき嘘みたいに、脳みそスパークが起きて、起業する!!と思い立ち、

それが起業の最初のきっかけであり、運命を変えた瞬間でもあった。

これがわたしのこども時代。

まだまだクソガキと言われることも多いけど。

こども時代での経験が間違いなく、今の自分を形成していると、改めて思う。

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