先月まいた種でラディッシュとチンゲンサイが収穫できた。
土ついた指で写真撮って照れた休日と、平日はAIとガチで向き合う日々。並べて書くと笑うけど、Lit Shipの僕はいまそのループを普通に生きてる。
そのうえで先日、家具も車もない賃貸一軒家を契約した。6月から本格の畑ライフ。いるのは奥さんとふたりだけ。
現地では「お兄さん、何しにきたんだい?」って耳にタコほど言われる。笑うけど刺さる。
里山みたいな景色を残したくて動いた。東京のいまのリアルを見てる人はそんなに多くない気もする。気づいた人からやる。的外れでも自分で決めた道は自分で正解にする覚悟はできてる。
歴史の話は短く終わるけど、戦後は仕事が都に寄って地方から東京へ人が動いた。そのあと生成AIが普通になって仕事の前提が揺れるいま、遅れて浮く問いがある気がする。本当に大事なものどこにあったっけ。モノだけじゃ埋まらない穴と、人とのつながりの見え方が静かに入れ替わっていく、みたいな。
だから僕は食と土地の話から逃げないように動き始めた。スーパーの野菜がきれいでも誰がどんな土で育てたか想像できなかった過去の自分へ照れる。オーガニックの話だけ聞くと無頓着さがバレるみたいでむかつくというか照れる。学校でも会社でも教わらなかった幸福を手足で試してる途中でもある。
それだけじゃなくて何かに呼ばれてる気がする直感もある。歴史や先人を学べば学ぶほどこの国のすごさが見えて、何かで力になりたい使命感も絡む。戦後の日本は政治的な背景もあって姿を大きく変えた。その流れを自分たちの代で止めたくないし繋げたい。里山みたいな美しい田畑も、高齢で手が届かず放棄されていく土地ばかりで、本当にそれだけの話。
そのうえでAIが台頭して、僕もガチで向き合ってる。ガチった結果見えてきたものがあって、人間が本来大事にすべきものを本能で選び直そうとしてる自分がいる。
東京ときがわ町を往復してると、メンバーやインターン生との将来の話に最近ちゃんと畑とか田舎が混ざる。正解ないのに真剣で、その横で僕もカッコつけられなくなる。
大事なものは頭で並べて終わらせたくない。見て触って翌朝また確認するまで分からない。種まきで心のなかで「元気に育ってね」って言った列の方が発芽が違って見えた。気持ちが乗ると手が変わるだけだと思う。そこでこれAIにできる?とも思う。知識の補助は強い。今日の土の手触りまで代理はできない。
若い頃過ごした街はこれからも強い。でも僕は競争だけじゃなく調和、和合の方向にも比重を置いて試してる。住む場所も経歴も違う仲間と同じ畝挟むと朝の所作だけ似てくる。
食料自給率とか耕作放棄地の話は重い。それでも蘇らせられる時間があるのは若い世代だろって話になるとき、誰かが全部決めるのを待つより自分たちが手足動かす前提の方が空気が軽くなる。ときがわ町では町長さん副町長さんとも座談いただいて、その感触が残ってる。
Lit Shipで浸透させたいのは派手な正しさじゃなく試す文化。画面の向こうだけで完結しないでほしい。現場に足運んでほしい。できれば仲間と笑いながら続けてほしい。このライフスタイルや価値観が若い子たちの会話に普通に増えていくならそれが一番うれしい。