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現在に至るまでの経緯(あるいは、どのように道に迷いながら歩いてきたか)

東京都出身。両親の離婚を機に、小学生のときに葛飾区から小平市に引っ越し。市内の小中学校に通う。

できるだけ自由な環境がいい(というか管理されるのはまっぴら)、これ以上制服を着たくない(必要性が理解できない)、どうせ狙うなら難しい方がいい(その方がかっこいい)、というやや中二病的な価値観に基づき、東京都立西高校を受験し、なんとか合格(運に恵まれました)。

もともと文系で文学部に行こうと思っていたのですが、高校3年生のときに付き合っていた彼女(念願、いや悲願でした。)と同じクラスになりたくて、選択科目をすべて同じにした結果、理系に転向することになりました。でも、どうしても物理学が理解できなかったため、工学系は諦めて生物学系の進路を選択することに。それ以上希望もなかったので、自宅から自転車で行けるところにあった東京農工大学農学部に行くことにしました。

大学ではあまり勉強はせず、サークル活動としてやっていたオーケストラで練習ばかりしていました(勉強の楽しさが当時はよくわかっていませんでした。いまは後悔しています)。その代わり、楽器はとても上達したので個人的には満足しています。音楽を通じて得たものは大きかったので。

4年生になって植物病理学研究室に配属され、そこで植物病原菌の交配についての研究を始めました。具体的には、特定の遺伝子を破壊した株を作り、その特徴を観察することで破壊した遺伝子の機能を推定する、という典型的なアプローチで、トマトの病原菌の交配に関する遺伝子の機能性を明らかにする、という研究内容でした。

特にやりたいことがなかったのと、とりあえず就職を先延ばしにしたい、という気持ちから大学院に進学することにしました。ただ、大学院に入ってから卒業までの2年間は朝から深夜まで研究室に入り浸っていたので、生活は結成楽ではありませんでした(今思うと恥ずかしくなるくらい非効率な進め方をしていたことが大きいのです…)

2年間研究漬けの毎日を過ごした結果、学術的な世界と肌が合わないと考え、進学を諦め、企業の研究所に行くことにしました。ただ、もともと友達も少なく、知らない人とのコミュニケーションが今以上に苦手だったので、研究室の机の前だけで活動する引きこもりスタイルで就活を実行。なんとか、ハウス食品株式会社から内定をもらうことができました。

ハウス食品では、研究開発職として研究所で約5年間勤務しました。3年目のときに担当した製品が業界内でヒット商品として話題になったのですが、自分が担当したにも関わらずそのことにあまり喜べない、ということがあり、仕事と自分の関係性になんとも言えない違和感を感じるようになりました。それがきっかけで、自分はこのままここにいたらダメになってしまうのではという思いに駆られ、「とにかう実力をつけられる環境に行こう、自信をつけよう」と決めて転職活動を行い、2社目のフィンチジャパンに転職しました。(このときの不安や焦りは本物だったとは思いますし、この決断について100%正しかったと思っていますが、このときの職場で実力をつけるという道もあったことは付記しておきます。その道を僕は選ばなかった/選べなかった、ということです。)

フィンチジャパンに入ってからの毎日は壮絶なものでした。主な業務は商品開発分野のコンサルティングだったのですが、ベンチャーだったこともあり、労働時間はひたすらに長く、土日も片方は仕事、という状況。それだけならまだいいのですが、自分が作った資料がことごとくダメ出しされ、入社半年はクライアントに自分の資料を出すことができませんでした。ハウス食品時代には自分は「それなりに仕事はできる方」と思っていましたが、それが完全な誤りであったことを体感しつつ、でもそれが認められず、でも認めざるを得ず、といった日々が続きました。「自分は仕事ができない」という事実を受け入れるのに半年、そこから学び直して、一人でクライアントに会いに行って自分が作った資料で仕事ができるようになるまでに3年かかりました。とにかく大変な毎日で記憶が曖昧なところも多々あります。ただ、コンサルタントとして超一流の上司の下で、また、ベンチャー企業の社長の側で日々仕事ができたこと、その生活を続けられたことは、自分の自信に繋がりましたし、実力をつけることもできたと思っています。そういう意味では最高の環境で、とても感謝しています(もう二度とやりたくはありませんが)。

5年ほど勤めていたときに、フィンチジャパンの業績の関係で経営体制や事業の方向性を大きく見直す、各自のキャリアについてはもう一度考えて決めてほしい、という話がありました。ショッキングな内容で正直かなり戸惑いましたが、ハードワークを4年間続けていてかなり疲弊していたこと、コンサルタントとしての事業への関わり方に物足りなさを感じていたこと、無理矢理育休を取ったものの当時0歳の長男と関わる時間を十分に取れていない実感があったこと、いろいろな状況を踏まえ、生き方を変える良いタイミングだと思い、転職を決意しました。せっかくならこれまでと違ったことをやろう、コンサルティングの仕事では得るのが難しかった事業を進めること、その結果として社会によいインパクトを与えること、そういった実感が得られるような仕事をやろう、と思い、NGOやNPOを探していたところ、認定NPO法人フローレンスに出会いました。ちょうどそのとき長男が待機児童になりかけていたので、フローレンスが取り扱う社会問題について当事者意識があったことも後押しして、ここでやってみよう思い立って応募した結果、採用して頂くことになりました。

フローレンスでは、代表室に配属され、代表直下の案件について実務責任者として関わっています。具体的には、事業部横断のような推進するのが難しい案件や、ノウハウや知見がない新規性の高い案件などのプロジェクトマネジメントを担当しています。その他、各事業部で解決の難しい案件を持ち込まれたり、突発的なトラブルの火消しをしたり、とにかくややこしい問題を引き受けて(あるいは状況を整理して、問題を設定して)、その解決をする、ということを日常的にやっています。

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