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10^4の向こう側にいるGod(メルマガ編集後記 過去記事3)

80年代、小学生だった私は、テレビ番組の中で何げなく始まった映像に釘付けになりました。どこか絵空事のような宇宙の話や原子の話、それが初めて具体的なスケール感で日常につながった衝撃的な映像でした。

当時、カール・セーガンの『COSMOS』がTVで放映されたり、『ニュートン』『ウータン』『オムニ』など一般向け科学雑誌がたて続けに刊行されたり、社会全体がちょっとした科学ブームだったように思います。私も中学生のお兄さんのいる早熟な友人達に啓発され、それらの番組や雑誌をみては、他愛もない宇宙論で盛り上がりました。そんな少年だった私にその映像は強烈な印象を刻みました。もう一度見たいと長年思っていたのですが、何というタイトルで誰が作ったものなのか、ずっと判らないでいたのです。

『Powers of Ten』その映像のタイトルを知ったのは、芸術系の大学を出てデザインを生業とするようになって数年経ってからのことでした。ある日、家具について調べものをしていて偶然知ったのです。

その出会いは、あの映像そのものではなく、ネット書店の本の紹介だったのですが、作ったのがEames Officeだったということにも驚きました。あのイームズチェアなどで有名な、デザイン事務所です。まさか、科学とは縁もゆかりもないデザインの仕事をしていて再会するとは夢にも思っていませんでした。

実は後で気づいたのですが、中学生ぐらいの時、一度ニアミスをしていました。坂根厳夫の『遊びの博物誌2』(朝日文庫)という本の中で、オランダの教育者キース・ブーケの著作『コズミック・ビュー ― 宇宙への40回のジャンプ』を紹介していて、その中で次のような一節があったのです。

“発行されたのは1957年。この作品はたちまち欧米で注目されて、人々のイメージをふくらませた。アメリカの映像作家チャールズ・イームズが、一本のズームレンズの目で、銀河系のかなたから原子の世界まで描いたフィルム『パワーズ・オブ・テン』をつくったのも、このキース・ブーケの〝目〟を借りたものだったし、カナダ国立映画局がつくった同様なフィルム『コズミック・ズーム』も、同じ構成からできてる。”

坂根の本には、残念ながら『Powers of Ten』の写真はなく、小さく3カットほどブーケの『コズミック・ビュー』の写真が掲載されているだけでした。地球は地図のようにイラストで描かれ、衛星写真を使ったあの映像とは、なかなか結びつかないものです。当時中学生の私はイームズも知りませんでしたし、ここで紹介されている『パワーズ・オブ・テン』があの時のフィルムだとは知る由もありませんでした。

その後、キース・ブーケの本は大学生になってから一度古書店で実物を見かけたことがありましたが、貧乏学生には手の出ない高価な洋書でそれっきりになりました。

今、ニアミスの後20年以上が経ち、デザイナーとして再会してからも数年は経ちます。私はデザイン事務所を辞め、今こうして深江化成の広報宣伝をしています。

昨年ぐらいから「プラスチック微細成形」の宣伝に改めて力を入れだしていて、スケールについて考えることが増えてきました。細胞の大きさと足場の話、マイクロ流路の話、SEMの話、可視光で見える限界の話、プラスチックで成形できる微細形状の限界の話などなど…

その度に、今どのくらいのスケールの話なのかと考えると、あの映像が頭に浮かぶのです。我々人間がひと目で見られるのは、視力のいい人でもせいぜい視野の1/10000程度です。

机上の作業で机の端から端まで約1m程度の距離感を視野に定めれば、0.1mmがだいたい裸眼で「点」や「線幅」としてギリギリ認識できる最小単位となります。(もちろん個人差はあります。時々スチール定規で1/2mmのメモリを切っているものがありますが、私の場合、黒くつぶれてよく見えません。)

今度は視線を遠くに移して100mを視野に入れれば1cmくらい、逆に顕微鏡で1mmの視野にすれば0.1μmくらいが最小「点」のスケールとなり、どんな器具を使っても視野の基準がスライドするだけで、人の目の 解像度が10^4であることは変わらないわけです。

目に見えない塩基配列(DNAの螺旋の直径は2nm)が生物の形態(数cmから数m)を決定づけるといった、10^9の隔絶を乗り越える影響力というのは、1mmのケシ粒ほどの変化が1000kmの事象に影響するというほどの感覚になるはずですが、それを一度に見渡せるとどんな感じになるのでしょう。

不可知の領域から我々の日常の領域に、小さすぎて見えないところから、あるいは大きすぎて見えないところから我々に作用する力には、実際どんなものがあるのでしょうか。どこからきたか判らないものが生えてくるとか、重力や気圧のようにその存在を意識せずに過ごしているとか、結構色々ありそうです。

全てのつながりを一度に感じることができるとすればどんな感じなのでしょうか。

「木を見て森を見ず」という言葉があります。発想や視野が狭いことを揶揄する言葉ですが、逆に素晴らしい仕事は、全体と部分、両方をうまく行き来することで成し遂げられているのかも知れません。

建築やインテリアの世界には『God is in the details.』という言葉があります。バウハウスの建築家ミースの言葉です。建築家の仕事は、全体から細部の収まりまで、それこそ数10mの全体像から、数ミリまでをデザインしきらなければならないという意味で、ひと目で見渡せる10^4の範囲ギリギリを攻めるような仕事だと考えていいでしょう。

ミース建築は全体的にシンプルに見えるものが多いです。『Less is more.』というのも彼の言葉ですが、それはつまり、「人間が建築設計で意識すべき10^4のスケールで起こること全てを制御するのは不可能だから、要素を減らして全体をシンプルにすることで、デザインすべきディテールの数を減らすべきだ、そうすれば、全体と細部を統合する方途が開けるだろう」と言っているのでしょう。

おそらく10^4の少し向こう側、制御可能と不可能の境目で見え隠れする存在をミースは「God」といったのだと思います。

スケールに限らず、生身の人間に認識できる掛け合わせの要素は4乗くらいが限界なのかもしれません。少なくとも、私のような2次元の表計算すらおぼつかない人間にとって5次元の要素が変化する事象を俯瞰するなどまさに神業です。

もし、より多くの解像度の感覚とそれらの情報をうまく処理する能力が与えられたなら、我々は今よりもっと、全能感を感じ、素晴らしい仕事を成しうるのでしょうか。それとも、仕事が増えて生き辛くなるだけでしょうか。

進化の方向が必ずしもそちらに向かうとは限らないにしても、気になるところです。

【参考】

『COSMOS』上・下 カール・セーガン 著、木村繁 翻訳 朝日選書

You Tube Eames Office 『Powers of Ten? (1977)』

『Powers of Ten with Japanese translation』

『パワーズ オブ テン―宇宙・人 ・素粒子をめぐる大きさの旅』 フィリス・モリソン、チャールズおよびレイ・イームズ事務所 著 村上陽一、村上公子 翻訳 、日本経済新聞出版社 1983年

『遊びの博物誌 2』 坂根厳夫 著 朝日文庫 1985年

『Cosmic View the Universe in Forty Jumps』 Kees Boeke 著 John Day Co 1957年

Wiki Pedia 長さの比

(2015年8月のメールマガジンの記事を改稿)

P. S.『プラスチックス』2017年4月号の『プラスチック微細加工が拓くライフサイエンスプラスチックの世界』はこの原稿が下敷きになっています。もしよろしければ是非読んでみてくださいね。


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