【写真家として、と、広告マンとしては通ずるものがあるという1つの理由について】
僕が初めて人物の写真を撮り始めたのは2013年の冬でした。
当時、僕は新卒で入った会社をやめて、「好きなことで生きて行く」為に今まで趣味であった写真で生計をたてようとしていたのです。
でも、何を撮影したらいいのかわかりませんでした。
僕は写真歴だけでいうと15歳の頃からカメラを持っていたので、今年で13年目になります。
アルバイトで始めたカメラ。高尾山で観光客の写真を撮り、販売する仕事を僕はしていました。
その時は目の前のことをやることに精一杯で技術も何もない状態でしたが、大学2年生の時初めて自分のカメラを買って以来、何かと風景や飲み会の写真を撮っていました。
「おかもっちゃんがいなかったら僕たちの思い出もなかったんだもんな、ありがとうね」
そう言われて写真は人に喜ばれるものだと知りました。
だからこそ、仕事をやめてから、僕は写真でご飯を食べたいと思ったものの、僕自身は経験からの成り上がりであって、他の人のように誰か写真家に師事をしていたわけでもなければ、専門学校だって通っていない、カメラマンとしてはとても「中途半端」なやつだったんだろうなぁと思います。
でも写真で人に喜んでもらいたくて。
その「ありがとう」から受け取ったお金で飯を食いたい。
僕はそう思い、カメラでご飯を食べていた人に声をかけて、色々な話を聞いた事を今でも覚えています。
その中の一人に、銀行マンからカメラマンに転職し、僕と同じようなスタイルでご飯を食べられている人を見つけました。
その人に「これから僕はどうすればいいのでしょうか」と聞いた時に、その人は一言言いました。
「とにかく撮ればいいんじゃないですかね」と。
そうすれば何か見つかると思いますよ。と言われて、確かにと思った僕は、Facebookを中心に「1ヶ月30人チャレンジ」という企画を作り、撮影に励みました。
テーマは簡単で、夢を追っている人にインタビューし、その夢をブログに書くというものです。
その時に僕は語っている写真を撮影して、それも添えて配信する事で、その人たちの夢の応援と僕の知名度のアップを狙ったのです。
時間をいただくということは、お金をいただくことよりも大事なことなんだと思いました。だから、お金を払えない、人脈で恩返しもできない僕なりの誠意だったと思います。
幸いなことに、10年間小説を書いていた僕は、文章が得意だったので、「得意×得意」なことで、時間をいただくことに対して恩返ししようと思ったわけです。
何を撮影したらいいかわからなかったけど、人を撮ることに恐れがあったけど、でもこれならある意味で大義名分ができるし、話しかけるきっかけにもなったので、この企画を作った時はとてもワクワクしました。
その企画を進めて行く中で、一人の女性を撮った時に僕の「写真家」としての人生は始まりました。
その人の夢はとても素敵なものでした。
その人の語っている時の顔は素晴らしいもので、とても綺麗だと思いました。
綺麗な人ならいくらでもいます。可愛いは化粧で作れます。中身のない人なんていくらでもいるなかで、僕は気がつきました。
「綺麗」って、見た目の事を言うのではなく、その人の芯を見つめた時に湧き上がる、その人の中身のことを形容する言葉なんだと。だからこそ、その人の写真を撮っている時に素直に「綺麗だな」って思ってしまったのでした。
でもそれを伝えると、「いやいや」とその人はそれを否定しました。
だから僕はその人の綺麗を撮りまくって、その人に見せました。
「写真の中だと綺麗に写るんですね」その人は言いました。
僕からするとファインダー越しに僕の世界を写したものがそれであって、それを綺麗と言うのならば、あなたは間違いなく綺麗なのだと思いました。そしてその人はさらに言いました。
「私ってこんな顔で笑えたんですね」
その時に、僕のテーマは決まりました。
僕は女性の中の綺麗を撮りたいんだなぁと。
その時から僕はプロフィール写真家として活動をすることを決めたのでした。
ただ、それから先撮り続ければ撮り続けるほど壁にぶつかります。
僕はその人の綺麗を引き出すことができる。でも、お金をいただいても僕はその人の利益に貢献することはできない。
いわば僕の写真は「コーチング」であり「カウンセリング」であることに気がついたのです。
僕にとってはその他大勢の商業カメラやスタジオのえらい写真家は、心底どうでもよかった。写真家として名誉を授かりたいとは1mmも思ったことがありません。
お金をいただいて、その人の利益に貢献できないことが心から悩んでいることでした。
そんな中で紆余曲折あって、広告業界に関わることになり、最初はバカにしていたリスティング広告にどハマりしてしまったのです。
写真では利益に貢献することはできないけれど、広告は、特にリスティング広告はユーザーの利益に直接的に貢献できるのだと。
僕はその時から写真でお金を作ろうとすることをやめました。今でも依頼が来ればお引き受けするものの、自分からの営業はしていません。そしてお金を媒介とした等価交換とSWAG(贈与循環)と言う名前の2つのビジネスモデルで活動をすることにしました。
具体的に飯を食う手段は広告であり、ただその中でもお客様の良いところ引き出して利益に貢献できると言う部分は絶対に曲げてはいけないことだと思っています。
写真でも広告でもやることは一緒なのだと思いました。
僕の中ではこのような役割で動いています。
写真家=本来僕の写真を提供すべき人に適切な価値で写真を提供する
広告=写真家としての新年を元に具体的に利益をもたらし僕もそれで飯を食う
写真家としての信念と広告はリンクするのだと思った瞬間でした。
そして広告においてもただビジネスをする集団ではなく、ユーザーファーストを心から考えているということを軸にして転職活動をし、今の場所にいます。
写真家として、広告マンとしてもポリシーは曲げたくない。
僕はその人の魅力を様々な意味で広く告げることのできる人でありたいと思います。