海外での就業。
単身で、なんの伝手もないドイツで仕事を得たのは、奇跡だったかもしれない。
当時、まだポケベルからやっとPHSに変わったころ? 今のようにSNSも普及していなければ、Emailでさえも連絡手段の主ではなかった時代。
海外就職には、Cover letterとCVを書き、郵送で送るという地味な活動が必要だった。
海外就職を夢見ていたため、専門の国際ライセンスは大学院在籍中に取得していた。
交換留学でなじみのあったUSへ、その着地点を想定していた。
私は、大学病院へいくつもCVを郵送した。
しかし、USで細胞診断に従事するには、国際ライセンスだけでは足りず、US国内の資格が必要だとわかった。とはいえ、またMedical schoolに1年いく必要があり、費用や時間を考えると気乗りしなかった。せっかくとったこのライセンスで働けるところはないかな・・・
半ば可能性をあきらめかけていたころ、1通の便りが届く。
”ドイツに興味はありませんか?”
ベルリンで開業する産婦人科クリニックの院長からだった。
USへ送っていたCVが、人を伝わり、その人へと届いた。
彼は、ドイツ人の同資格のクオリティーがよくないと、海外に人を探していた。
医学界では、大学や研究室の伝手で、履歴書を彩るために決まった海外ルートにでることは珍しくないものの、コメディカルの資格で、実務に就くためにこうした就職活動をして仕事を得ることは、おそらく今の時代であってもかなり珍しい。
私は、このチャンスは無駄にできないと思った。
でも、相手がどんな人かもわからない・・・ ましてや、学生時代に立った1度、一人で友人を訪ねて行っただけ。でもそれも偶然に、ベルリンだった。
これを何かのご縁というのかもしれない。
私は、交渉を持ち掛けた。
1か月互いを見る時間をもうけませんか?
私は、無償で1か月働きます。
代わりに、食事付きの住まいを用意してください。
相思相愛になったら、契約するということで!
ドクターは、よろこんで!と応じてくれた。
私は、いい仕事ができた。
そして彼が正式に雇用を約束。
異端児日本人がドイツでこの職種に就くという、前例のない物語を始めた。
日本では、日本進出スタートアップのポジションである外資から内定ももらっていた。(現在、業界最大手)
給料はドイツマルクの時代!国際電話も、1分200円くらいしていた時代。
携帯もない。 英語を話せても、ドイツ語しか話してくれない陰気に満ちたベルリン。
給料は、外資のオファーされた金額の2/3程度。
それでも、行きたいと思った。
そして、ここまでのキャリアを築けたのも、あの一歩があったから。
出会いはやはり必然なのだろう。 To be contined