恩を仇で返し続けたドラ息子の恩送り。
「今めっちゃ良い感じのタイトル思いついたな~」と思いながら、深夜にこのnoteを書いております。
クサカタロウと申します。現在、渋谷にある組織コンサルティング会社の新卒1年目として、毎日仕事に情熱を注いでおります。最近の悩みは、「生産性が低すぎて、仕事がオンタイムで終らないこと」です。まあ、仕方ない。これからあげていくしかないね。
さて、ここから本題に入ります。
今回このnoteを書く目的は、「クサカタロウという人間を知ってもらうこと」です。もともと、学生時代に自己分析はほんとに誰にも負けないくらいやったので、その棚卸の機会にします。
また、大きく3部構成にしようかなと思います。「箱入り太郎」「ドラ太郎」「つよつよ太郎」と今、命名しました。絶望的なセンスのなさですね。でも、すごく自分が伝わるネーミングかなと思います。では早速、さっさと書き終えましょう!
箱入り太郎~何も考えずに過ごした幼少期から大学2年まで~
自分は、千葉の片田舎に生まれた1995年生まれの26歳です。父は早稲田政経卒→超大手広告代理店のCD(クリエイティブディレクター)のスーパーエリート頑固おやじ、母は学歴のようなわかりやすい物差しでは測り切れない世渡り上手なひょうきん者。そこに自分と妹を加えた4人家族です。今思えば、比較的裕福な家庭の生まれなんだと思います。
教育熱心な父のもと、昔からいろんなことを経験させてもらいました。習い事は、塾、水泳、サッカー、空手など。土日は、逆上がりにキャッチボールととにかく半ば強制でたくさんのことを経験させてもらいました。当時はほんとうに嫌でしたが(笑)
当時を振り返ると、「自分の意志でやりたい!」とお願いしたものって、中学の時に部活で経験した野球くらいしかなかったなと思います。この感じでやらされ半分でやっていて、物事がうまくいくほどタロウ少年は要領がよくありませんでした。中学入学から高校三年生まで連敗の人生です。中学受験全落ちから地元の公立中学に入学、部活も繰り上がりのレギュラー、定期テストも総合2位止まり。高校受験は滑り止めで受けた高校に入学、ケツから2番目の順位、友達とも上手くなじめず、何もしてない本当につまらない高校生活でした。
それが嫌すぎたからか高校3年の1年間は毎日10時間勉強して、何とか早稲田大学商学部に現役で合格することができたのですが、ここで満足してしまうのが、「箱入り太郎」の良くないところです。サークルの新勧で最初に行ったフットサルサークルの飲み会が面白すぎて、そこのサークルに入り、そこから大学2年までは「授業(睡眠)→サークル→バイト」の無限ループです。
年間120万の学費を親に出してもらいながら、何の価値も生み出さない。高校時代の自分と何も変わってない。この頃から「ドラ太郎」の片鱗を見せていたなと思います。ほんとに当時の自分をぶん殴ってやりたいくらいです。あ、ちなみにフットサルサークルに入ったことは一切後悔してないです。めちゃくちゃ楽しかったし、「THE大学生」を経験できたので(笑)。
ただ、もっと時間を有効活用できたという後悔がすごくあるなと思います。今大学1年生に戻ったら、やりたいことは山ほど思いつきますね。もし今、これを読んでいる大学生がいるとしたら、今この瞬間、このnoteを読むのを中断して、自分の時間の使い方を見直す時間に使って欲しいです。「Time is money」じゃありません。「Time is more than money」です。時間はお金なんかよりよっぽど大事ですから。
「箱入り太郎」→「ドラ太郎」への転換期
そんなタロウにいきなりですが、人生のターニングポイントが訪れます。結論から言うと、大学2年秋に受けた大学のゼミ選考に落ちました。「なんだよ、たかがゼミ選考に落ちたくらいで大げさな!」と思う方も多いかと思いますが、自分でもわかりません。とにかく自分の20年間の人生の薄っぺらさを痛感したんです。あれだけしっかり準備したにもかかわらず、ゼミ面接での最初の質問で頭が真っ白になりました。
なんか雑魚過ぎて、笑えてきました。おそらく人生初めての大きな挫折です。その悔しさから自分は、いわゆる「意識高い系大学生」へとシフトしていくのですが、それは自分にとって「修羅の道」への第一歩だったのかなと思います。漫画でよくある闇落ちする主人公のように、良い意味でも悪い意味でも周りが見えなくなっていくのです。
ドラ太郎~周りに迷惑をかけながらも自分探しにもがいた3年間~
「何もない自分を変えたい」「めちゃくちゃ頑張ったと胸を張って言える経験をしたい」と考えた自分はとにかく、様々な活動に手を伸ばしていきます。箇条書きでまとめるとこんな感じです。
・コーチング学ぶ
・完全成果型インターンで1日12時間飛び込み営業
・大学近くのタイ料理屋経営
・HRベンチャーで学生インターン組織立ち上げ
・仮想通貨メディアでライターインターン
・放課後等デイサービスで学習支援スタッフ
・銀座クラブの黒服
・夜職経験を持つ女性の就労移行支援事業
これでなぞかけしろと言われても絶対無理なくらい業界、職種バラバラですね(笑)
それでは、この経歴はなぜ「ドラ太郎」につながるのかというと、自分がこの経験を大学4年、大学5年、ニートの3年間で経験してるからです。自分は、【大卒+1留+1ニート】の25歳新卒1年目なんです。
しかも、自立しつつ、この経験をしているならまだしもこの頃まだ、親のすねをぼりぼりかじっています。親からしたら、「名のある企業に就職すると思って、留年期間の費用を出したのに、蓋開けてみたら、訳の分からないところをほっつき歩いているドラ息子」が完成してしまったのです。
ドラ太郎が失ったものと得たもの
ここで自分が大きなものを失っていました。「信用」です。大学時代の友達からは「太郎、変わったね」と冷たい目をされ、インターンなどでお世話になっていた方は急に連絡が取れなくなっていました。きっと「こいつと関わっていても、良いことがないな」と思われたんだと思います。
それでも自分が今、こうやって楽しく自分のやりたいことができているのが、家族が自分を見捨てなかったから。本当に家族には感謝しかありません。「何をするにも誰かに迷惑をかけることは絶対にしてはいけない」という大前提を知ることができました。
一方で、この期間で得られたものは、今の自分を形成しているかなり大部分を占めています。それは、「べき論に支配されない生き方」です。前の段落で箇条書きしたように、自分は3年間で本当に多くの方に出会いました。それはストレートに就職していたら、ほぼ確実に出会えなかったような方々です。
一般的に偏見を持たれるような世界で生きている方の中にも人生を全力で謳歌している方もたくさんいましたし、一般的に「勝ち組」とよばれるようなキャリアを歩んでいる方の中にも人生が楽しくなさそうな方もたくさんいました。つまるところ、「こうあるべきみたいなのって、あまりあてにならないな」ということに気づけたのです。
つよつよ太郎~人生最高に楽しい奴が目指す未来~
いきなり、ヘビーな話で大変恐縮ではございますが、自分は2020年2月に母を亡くしました。突然死だったので、最後にお別れを言うこともかないませんでした。さらに、3月に祖母、9月に祖父を亡くしています。特に、あれだけ迷惑をかけて、心配をかけてしまった母に、社会人としての晴れ姿を見せることができなかったのが、2020年唯一の後悔です。
しかし、自分の超絶ポジティブな性格は母譲りでして、母は自分が悔やむ姿をおそらく嫌がると思います。なんせ「前を向こう」が口癖の母ですから。つまり、自分がやるべきことが「恩返し」以上に「恩送り」だと考えています。母から、父から、家族から、今まで自分に関わってくれてすべての人がくれた「恩」を自分は、後世に届けたいです。
自分の夢は【10歳以下の子供に少しでも多くの選択肢を平等に提供できる世の中を作ること】です。子供のキャリアは、良くも悪くも親のキャリアの影響を大きく受けます。親の影響が偏り過ぎてしまうことで、肩身の狭い想いをしている子供が世の中には一定数います。そんな子供たちに少しでも多くの選択肢を見せてあげることが、クサカタロウという人間が心を熱く燃やせる使命であると強く願い、今を全力で生きていきます!!!
まとめ
ここまでで少しはクサカタロウという人間のことを知ってもらえたでしょうか??もし少しでも「面白い」と思っていただけたら、ぜひTwitterなどで絡んでください。将来について熱く語るのはもちろん、しょうもない話も自分得意ですので、どんどん多くの繋がりを作っていければ最高です!!ご覧いただきありがとうございました!!!!!!!!!!!!!