2018年に日経新聞 私見卓見に応募した不採用記事
日本での生活にモヤモヤしたものを感じ、「取りあえず環境を変えてみるか」位の気持ちで、スーツケース1つで日本を飛び出したのが29歳、2012年の夏。それから足掛け6年。メキシコでの仕事が地に足についてきたかのかは自分では良くわからないが、それまで何をやっても長続きしなかったことを考えると、まずまず上手く行っているのではと感じている。当時、自分の決断を快く後押ししてくれた両親には、感謝してもしきれない。
そんな自分にとって、年に一度の日本帰国は何よりの楽しみでもある。日本に帰ると活字に飢えてしまう性なのか、書店を覘くのが好きだ。当地では、活字の文化が無く、今住む160万都市でも、書店の数は片指で数えられる程度。時々出張で出向くアメリカでも日本ほどには書籍が出回ってはおらず、改めて日本の活字文化の凄さを想う。
だが、同時に気になることもある。書店で出回る所謂ハウツー的な内容の本の存在だ。キャリアは勿論、ダイエット・食事療法、ファッション、生き方・・・と何から何まで模範回答を探そうとするのは、他人の目を意識し頑張り過ぎの日本人の性なのか、と考えてしまうのは、個人主義で「どちらかと言えばいい加減な国」に6年も居る結果なのだろうか?
新聞やテレビ、インターネットなどのメディアには、激動や変化と言った文字が日々歌われ、読者・視聴者は否応なくそれを目にしてしまう環境にあるが、「果たしてそれほどのことなのか?」と私は疑問を持つ。安泰の時代などは過去にも存在はせず、その時代をどのように生きるのかを考え、行動に移すのは個人個人の問題ではないだろうか。その点については、政治不信の強さも相俟ってメキシコの方が進んでいると思う。