元競泳選手・飲食店シェフとして生きてきた自分が、マーケティングに出会うまで。
はやとは水泳選手になりなさい
母の口癖。祖父は元北海道水泳連盟役員、母は元スイマーという家庭で生まれる。
生後半年からコナミスポーツクラブ(旧ピープル)へ通い、今日・明日・来年・未来と何をするかは決められていた。生活の全ては水泳が中心、自分の人生を選択する自由はない。幼稚園年少組の時には、兄がはじめたからという理由で地元の野球チームにも所属した。市内1の弱小チームだったがメジャーという野球漫画の影響もあってか野球にどハマりし(弱小チーム所属は主人公と境遇が似ていた)、札幌市のオールスターにも選出された。自分は野球の方が好きだったが「はやとは水泳でしょ」という理由で小学校卒業と同時に水泳一本になる。野球を続けたかった思いや遊びたい盛り・反抗期の時期も相まって、水泳の練習はよくサボっていた。それでも根気よく自分を指導してくれて、水泳の楽しさを教えてくれた当時のコーチには頭が上がらない。
指導者と環境に恵まれ、水泳人生そのものは充実。中学2年で北海道のトップに立ち、高校2年で200m平泳ぎ全日本8位入賞(※コナミオープン)・北海道記録樹立。高校3年の時には北海道新聞に取材され、国民体育大会北海道代表、日本選手権出場といった戦績をおさめることができた。
水泳の引退、自分の人生を生きる喜び
高校卒業後も同じ師のもとで指導を仰ぐことが難しく、18年続けた水泳の引退を決めた。推薦をいただいていた大学で水泳を続けることもできたが、目的なく続けることは性に合わなかった。卒業後は代々木ゼミナール札幌校で浪人をはじめた。人生で初めて、自由な意思を持ち、自分の生きる道を「選び」とった瞬間だった。(英語の西きょうじ先生と日本史の土屋文明先生には感謝の言葉が尽きない。受験勉強以外にも、哲学や人間、文化、物事の複雑さなど多様なことを教わった。)
浪人生活は2年間・730日に及んだが、自分で選べる・自分の人生を生きることが、こんなにも幸せなことなのかと、その喜びを噛み締める毎日だった。
生きることの大変さ
大学入学後はかねてより志望していた料理人の道を究めるべく、飲食店に飛び込んだ。そこで、飲食店の厳しさを身を以て学んだ。最初にお世話になったお店も、その次にお世話になったお店も、集客に苦しみ自己破産という形で突然の廃業を味わった。
自己破産申請が受理されると、当月の従業員の給与は半年後に20-30%カットされた賃金で国から支給される。(実際の賃金規定は正確には異なると思うが、それぐらいの金額だったと思う。)
仕送りを貰わずに生活していた自分にとっては大問題で、3日で2食の生活をしていたこともあった。自分のやりたいことを形にしたり、新たな学びを得るのにも、お金がいる。マズローの欲求で言う所の、生理的欲求・安全の欲求が満たされている大前提があって初めて、自分の望む道を選んでいけるのだと思い知った。20年かけて得た、自分で選び・自分の人生を生きる喜びは簡単に崩壊した。
当たり前の日常を守りたい
時を同じくして、父がリストラに遭った。百貨店を主な販売チャネルとしていた寝具の製造・卸・小売業に勤務していたが、アマゾンをはじめとする購買環境の多様化によって百貨店は大きな打撃を受けていた。百貨店に出店している小売も当然その煽りを受け、事業縮小という判断だったようだ。「20年以上真面目に勤め上げてきたのにこの仕打ちか」と母は愚痴を漏らした。自分が経験したものは飲食業界だけの話ではなく、日本のビジネス環境を表していると思った。
今日の食にありつけないことは、本当にきつい。一家の大黒柱としての誇りを奪われた父の苦しみは、想像を絶する。こんな状況が誰にでも起こりうるのだとしたら、それを少しでも食い止めたいと思った。こんな思いをするのは自分だけでいいと、心から思った。
だから、売上をあげられる人材になりたいと思った。売上に困っている会社を助けたいと思った。会社が存続する仕組みや土台を作ることができれば、多くの人の日常を守れると思った。
マーケティングとの出会い
自分の目指すべき先が決まってからは早かった。世の中の仕事を知るべく、合説などの就活イベントに片っ端から参加した。イベントで人事の方と名刺交換をしておき、足りない情報はOB訪問として後日伺った。自分が仕事としたいものが現在存在しなければ、自分で作ればいいと思っていたが、意外にも答えはすぐに見つかった。それが広告・マーケティングという世界だった。大学2年の夏休みごろだったと思う。
アウトプットの形はその時々に応じて違えど、究極の目的はクライアントの売上に貢献するため、という事業は自分が形にしたい仕事そのものだった。戦略コンサルも選択肢にあったものの、より売上へのフォーカスという点と自分自身クリエイティブが好きだったという点で広告業界を志望した。
あとは現場を知り、学生のうちにやっておくべきことを明確にするだけだったので、秋にはcircusという総合広告代理店でインターンをした。インターンながら、某通信会社へのプランニングに一部参加させていただき非常に貴重な経験だった。
現在に至るまで
インターンの経験から、戦略立案のプロセスと組織の中で異なる強みを持つ人材をエンパワメントする術を学ぶ必要があると実感。【戦略とマネジメント】を専門とするゼミに所属し学問的アプローチからその基本を身につけた。学問をビジネス価値に変換するべく、大学を休学しアドテクベンチャーだった株式会社ヒトクセで初のフルタイムインターンとして就業。その後大学を中退し、サムライト株式会社の新卒として勤務。
クライアントの本質的な課題解決のためには、戦略レイヤーからマーケティングに携わる必要性を感じ、マーケティングエージェンシーのFICCに転職。資生堂エリクシールを主要クライアントとして、マーケティング戦略立案からブランディング・プロモーション施策のプランニング・ディレクションを担当。
ブランドの持続的な成長を目的に、市場創造・ブランドマネジメント・マーケティングマネジメント・データマネジメントを推進している。生活者の態度変容を促すコミュニケーション戦略・ストーリーテリング・クリエイティブディレクションと、複数ブランドでの実績による再現性の高さが強み。
余談
就活イベントで電通の人事の方に「なぜ新卒を採用するのか、スキルのある中途を採用した方が効率的では?」という趣旨の質問を行った際、その回答に甚く感銘したこともこの業界を目指す大きな要因になったと思う。
確かにその通りで、中途の採用も力を入れているよ。じゃあ、組織全体に目を向けてみよう。自分は学生時代、魚の習性について少し研究していたんだけど、水槽に魚を入れて真ん中で仕切りをしてしばらくその状態で生活させてみる。すると、その後仕切りを外しても魚たちは仕切りの向こう側には行けなくなるんだよね。でも不思議なことに新しい魚を連れてきて、その子が水槽全体で泳ぎだすとつられて全ての魚も泳げるようになる。山田くんのような新卒の子たちは、まさに新しい魚なんだよね。従来の枠組みや考えを超えて、新しい未来を創っていける可能性を秘めている。中途はスキルを用いて仕切りの中での動きを効率化できるけど、その先を突破するのは大きな壁が存在する。僕たちの仕事は答えのないことが多くて、クライアントへ価値を提供するためには常に新しい未来を創っていくことが必要なんだよね。だから、毎年大きなコストをかけて新卒を採用している。