#会社の構造物語|第7話
〜右腕が飛ぶ編〜
「いつか、あの子たちを武道館に立たせたいんです!」
目を輝かせながら語るのは、地下アイドルグループをプロデュースするディレクター、通称D。
5人組のアイドルグループを立ち上げて3年。
定期ライブ、ファンミーティング、チェキ会、オリジナルグッズ販売。
活動は少しずつ広がり、熱心なファンも増えてきた。
Dはアイデアが豊富で、とにかく行動が早い。
ただし、ひとつ問題があった。
思いついた企画が、次々とスタッフの仕事になっていくのである。
夢が増えるたびに、仕事も増える
「次のライブ、新衣装でいこう!」
「先月発注した衣装、まだ届いてませんけど……」
「じゃあ、それは次回に回そう! あとファンミーティングもやりたいね!」
「先月の特典、まだ発送できてません」
「そうだ! 全国ツアーもいいな!」
「先月の遠征費、まだ精算できてません」
「あ! 新しいグッズも作ろうよ!」
「前のグッズの在庫、段ボール8箱あります」
「夢は大きく持たないと!」
「倉庫も大きくしてもらえますか?」
Dは聞こえなかったふりをした。
スタッフの田中は、静かにパソコンへ向き直った。
ライブ準備、会場予約、衣装発注、グッズ制作、特典発送、売上集計、経費精算、出演交渉、SNS告知。
仕事は増える一方だった。
Dは田中を信頼していた。
「田中がいれば大丈夫!」
それがDの口癖だった。
ある日、右腕が消えた
その日もDは、新しい企画を思いついていた。
「そうだ! 次のライブ、ファン参加型の企画にしよう!」
返事がない。
「田中ー? ちょっと相談したいんだけど!」
田中の席は空いていた。
そのとき、事務所の電話が鳴った。
「退職代行サービスの者です。田中様の退職のご意向について、ご連絡いたしました」
「……え?」
Dは固まった。
「いやいや、来週ライブあるんですけど!」
担当者は淡々と話を続けた。
「ご本人への直接のご連絡はお控えください」
「でも、グッズの発送が!」
「……」
「遠征の精算も!」
「……」
「来月の生誕祭も!」
電話を切ったDは、慌ててスタッフを集めた。
「田中がやってた仕事、誰か分かる?」
全員が首を横に振った。
「グッズの発注先は?」
「田中さんしか知りません」
「発送リストは?」
「田中さんが管理してました」
「イベントの収支は?」
「たぶん田中さんのパソコンに……」
「じゃあ開いて!」
「ログインできません」
Dは頭を抱えた。
「田中がいないと何もできないじゃないか!」
スタッフのひとりが、小さくつぶやいた。
「……だから、ずっと忙しいって言ってたんですけど」
「いっぱい」は管理単位じゃない
困り果てたDは、構造設計Pに相談した。
正式に業務改善を依頼されたPは、まず現状を確認することにした。
「今、一番困ってることは?」
「田中が突然辞めちゃって、何も分からないんです!」
「業務一覧は?」
「ありません!」
「引き継ぎ資料は?」
「ありません!」
「今動いてる企画は?」
「いっぱいあります!」
「……いっぱいは管理単位ちゃうでwww」
Pは、会社で確認できるメールや請求書、発注履歴、イベント予定を集めた。
直近のライブ。
未発送の特典。
未精算の経費。
発注済みの衣装。
大量に残ったグッズ。
そして、いつ決まったのかも分からない企画の数々。
「Dさん、田中さんの仕事って何種類ぐらいあったと思う?」
「5つぐらいですかね?」
「確認できただけで38種類あるで」
「……38?」
「しかも、誰が何を決めるかも曖昧やね」
Dは黙り込んだ。
「田中さん、引き継ぎする時間あったん?」
「いや、毎日忙しそうでしたけど……」
「その仕事、誰が増やしたん?」
「……僕です」
Pは、机に並べた資料を指さした。
「田中さんが辞めたことは、きっかけやね。でも、田中さんがいなくなっただけで全部止まる状態は、前からあったんよ」
「やりたい」と「やる」は違う
Pはホワイトボードに4つの項目を書いた。
思いついた/検討中/実行中/完了
「Dさん、アイデアを出すのは悪いことじゃない。むしろ強みやと思う」
「ありがとうございます!」
「でも、思いついた瞬間にスタッフの仕事になるのは違うんよ」
「どういうことですか?」
「例えば全国ツアー。やりたいと思うのは自由。でも開催するなら、会場費、交通費、宿泊費、集客見込み、スタッフの稼働を確認せなあかん」
「はい」
「それを決める前に『全国ツアーやるぞ!』って言ったら、田中さんは準備を始めてしまうやろ?」
Dはうなずいた。
「Dさんのひと言が、田中さんには業務命令になってたんよ。」
Dは初めて、自分の発言が持つ重さに気づいた。
企画は、開催したら終わりじゃない
Pは企画をひとつずつ整理した。
すぐに対応が必要なもの。
予算を確認するもの。
時期を変更するもの。
いったん保留にするもの。
そして、開催済みのイベントにも大量の未完了業務が残っていた。
「このファンミーティング、開催済みやね?」
「はい! 大成功でした!」
「売上と経費の精算は?」
「まだです」
「特典発送は?」
「まだです」
「参加者へのお礼は?」
「まだです」
Pは管理表の状態を「実行中」に戻した。
「イベントは開催したら終わり、じゃないんよ」
「えっ?」
「精算して、約束したものを届けて、必要な報告まで済ませて初めて完了やね」
Pは企画ごとに、目的・予算・担当者・期限・完了条件を設定した。
さらに、業務を分担し、判断が必要な事項はDが決裁するルールを作った。
新しい企画を始める前には、必ず既存業務の進捗とスタッフの稼働を確認する。
「これからは、アイデアを出しただけでは誰も動かない。実行するかどうかを決めてから仕事にしよう」
Dは深くうなずいた。
夢を小さくするためじゃない
数週間後。
事務所には、全員が確認できる企画管理表ができた。
今月実行する企画は3本。
保留中のアイデアは12本。
完了した企画には、精算と発送のチェックも付いている。
Dは管理表を眺めながら言った。
「なんだか、やりたいことが減ったみたいで寂しいですね」
Pは笑った。
「減ってないよ。順番を決めただけ」
「順番?」
「夢は何個持っててもええ。でも、全部を今日から始める必要はないやろ?」
Dはしばらく考え込んだ。
「確かに。今まで、始めることばかり考えてました」
「夢を叶えるには、終わらせる力も必要なんよ」
Dは、空いたままの田中の席を見た。
「田中には、本当に無理させてたんですね」
Pは答えた。
「次に働く人には、同じことを繰り返さんようにしよう」
そして、新たな夢が生まれる
「Pさん!」
Dが突然立ち上がった。
「僕、やっぱり武道館を目指したいです!」
「ええやん! その夢は大事にしよう」
「ありがとうございます!」
Dの目が輝いた。
「じゃあ早速、武道館限定グッズを作りましょう!」
「まだ武道館決まってへん!!www」
Dは慌ててパソコンを開いた。
企画管理表の「思いついた」に1件追加する。
『武道館限定グッズ(会場未定)』
今度は、誰も発注しなかった。
構造設計Pのひとこと
アイデアが豊富な人は、組織にとって大切な存在です。
しかし、企画を思いつくことと、実行を決定することは別です。
決裁者の何気ないひと言が、現場では業務命令として受け取られることがあります。
目的、予算、人員、期限、完了条件が曖昧なまま企画を増やせば、優秀なスタッフほど仕事を抱え込み、やがて組織そのものが立ち行かなくなります。
必要なのは、夢を諦めることではありません。
夢を実現できる順番と、誰かひとりに依存しない体制を作ること。
夢は無限大。
でも、予算と時間とスタッフは有限です。
だからこそ、仕組みが必要なのです。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・出来事は架空のものであり、組織運営に起こり得る課題を題材にしています。