#会社の構造物語|第4話
〜前任者にいつまでも仕事さすな編〜
第一幕|退職したはずなのに
退職から3か月。
とある会社で事務員をしていた佐々木さんは、新しい職場で穏やかな日々を送っていた。
退職前には業務一覧を作成し、共有フォルダを整理し、後任者への引き継ぎも完了している。
会社の資料はすべて返却済み。
業務用アカウントからもログアウトした。
もう前の会社の仕事をすることはない。
……はずだった。
ある日の昼休み。
スマートフォンにメッセージが届いた。
後任者「お疲れさまです! ちょっと教えていただきたいことがありまして!」
後任者「社内システムの設定が変更できなくて。以前はどうしてましたか?」
佐々木さんは通知を確認した。
そして、スマートフォンを伏せた。
返信はしなかった。
退職時に、必要な資料はすべて会社に残している。
今の佐々木さんには、対応する理由がなかった。
数日後、また通知が届いた。
後任者「お忙しいところすみません! こちら確認いただけていますでしょうか?」
添付されていたのは、システムの管理画面のスクリーンショット。
佐々木さんは通知を消した。
もう会社の人間ではない自分に、社内の管理情報を送ってくること自体がおかしい。
それ以上、画面を開くことはなかった。
第二幕|前任者に聞いてください
一方、会社では後任者が困り果てていた。
後任者「社長、システムの管理者設定がわからないんですが……」
社長「佐々木さんに聞いてみた?」
後任者「連絡しましたが、お返事がなくて」
社長「困ったなあ。あの人が一番詳しいんだけど」
数日後。
取引先から、過去の契約条件について問い合わせが入った。
取引先「昨年度と条件が違うようですが、確認していただけますか?」
後任者「以前の担当者に確認していただけますか?」
取引先「……御社との契約ですよね?」
後任者「はい。ただ、当時のことは前任者が詳しくて……」
取引先は困惑した。
後任者は社長に報告した。
後任者「契約内容について問い合わせが来ています」
社長「前はどうしてたの?」
後任者「契約台帳には記載がありますが、当時の判断理由がわからなくて」
社長「佐々木さんに聞けばわかると思うよ」
後任者「……連絡が取れません」
社長「引き継ぎはしてもらったはずなのにねえ」
後任者は、返す言葉がなかった。
第三幕|会議にも出てもらおう
さらに数週間後。
取引先との定例会議が近づいていた。
社長「今度の会議、佐々木さんにも入ってもらおうか」
後任者「えっ、退職されていますよね?」
社長「うん。でも、これまでの経緯を説明してもらえれば話が早いから」
後任者「では、連絡してみます」
後任者は佐々木さんにメッセージを送った。
後任者「来週の会議にご参加いただけませんでしょうか?」
返信はなかった。
しかし社長は、会議の参加者一覧に佐々木さんの名前を加えた。
後任者「まだ参加のお返事をいただいていませんが……」
社長「まあ、予定だけ入れておいて」
当日。
会議が始まった。
当然、佐々木さんは現れなかった。
取引先「佐々木さんも参加されると伺っていたのですが?」
社長「ああ、ちょっと連絡が取れなくて……」
会議室に、気まずい沈黙が流れた。
第四幕|社長からのお願い
その夜。
佐々木さんのスマートフォンに、社長からメッセージが届いた。
社長「後任者が困っているみたいなんだけど、少しだけ教えてもらえないかな?」
佐々木さんは短く返信した。
佐々木さん「退職時に引き継ぎは完了しております。現在の業務については、社内でご対応ください」
社長「でも、あなたが引き継ぎしたんだから、後任者に教えてあげればいいじゃない」
佐々木さんは、そのメッセージを読んだ。
そして、画面を閉じた。
それが最後のやり取りになった。
翌朝、佐々木さんはいつもどおり新しい職場へ向かった。
第五幕|構造設計プロデューサー、現る
一方、会社では問い合わせ対応の遅れが目立ち始めていた。
社長は、知人の紹介で構造設計プロデューサーに相談した。
社長「前任者が退職してから、業務がうまく回らないんです」
構造設計P「引き継ぎ資料は残ってる?」
社長「はい。でも、後任者がわからないことが多くて……」
構造設計P「今、社内で誰が管理してるん?」
社長「以前は佐々木さんが全部管理していました」
構造設計P「いや、今の話」
社長「…………」
構造設計プロデューサーは、ホワイトボードに書いた。
契約書・取引履歴・システム管理・問い合わせ窓口
構造設計P「これ、全部会社の情報資産やんな?」
社長「はい」
構造設計P「佐々木さんが退職するとき、会社に残してる?」
社長「残してもらっています」
構造設計P「ほな、なんで今も佐々木さんに聞いてるん?」
社長「一番詳しいので……」
構造設計P「社長、その取引先は佐々木さん個人と契約したんか?」
社長「いえ、うちの会社と契約しています」
構造設計P「ほな、なんで退職した人に対応させようとしてるん?」
社長「でも、ずっと担当していたので……」
構造設計P「なるほど。じゃあ仮に佐々木さん個人との契約やったとしたら、売上も全部その人に渡してあげんといかんよな?」
社長「いやいや! それは会社の売上ですから!」
構造設計P「そうやろ? 売上は会社のもの、取引先への責任も会社のもの。そこはセットなんよ」
社長は黙り込んだ。
構造設計P「あと、退職した人に会議へ出てもらおうとしたんやって?」
社長「はい。経緯を説明してもらえればと思って」
構造設計P「参加するって本人が言うたん?」
社長「いえ、まだです」
構造設計P「ほな、なんで参加者に入ってるん?」
社長「…………」
構造設計P「退職後の業務委託契約は?」
社長「ありません」
構造設計P「報酬は?」
社長「考えていませんでした」
構造設計P「社長、退職した人を、いつまで会社の組織図に入れとくつもりなん?」
社長は、返す言葉がなかった。
最終幕|会社に残すべきもの
構造設計プロデューサーは、社長と後任者に確認した。
契約書はどこにあるのか。
過去の承認履歴は残っているのか。
システムの管理者は誰なのか。
問い合わせは誰が受け、誰が判断するのか。
そして、退職者に連絡しなくても業務が進むよう、管理責任と確認手順を整理していった。
後任者「これなら、誰に確認すればいいかわかります」
社長「今まで、佐々木さんに頼りすぎていたんですね」
構造設計P「頼っていたこと自体が悪いわけじゃないよ。でも、退職した人に会社の仕事を続けてもらう前提では、組織は回らんからね」
社長「……はい」
構造設計P「退職した人が会社の情報を持っていないのは、むしろ正常な状態やで」
社長は、ようやく理解した。
佐々木さんがいなくなったことが問題なのではない。
佐々木さんがいなくなったあと、会社の情報と責任を誰が管理するのか、決めていなかったことが問題だったのだ。
その頃、佐々木さんは新しい職場で、いつもどおり仕事をしていた。
以前の会社がどうなったのかは、知らない。
そして、知る必要もなかった。
引き継ぎとは、前任者を呼び戻すことではない
ここまでのお話はフィクションです。
担当者が退職すると、業務の引き継ぎが必要になります。
しかし、引き継ぎとは単にマニュアルを渡すことではありません。
契約書、取引履歴、システムの管理権限、判断基準、問い合わせ窓口。
これらを会社として管理し、後任者が必要な情報にアクセスできる状態にすることが大切です。
また、前任者が詳しいからといって、退職後も対応する義務が当然に残るわけではありません。
退職後に支援を依頼したいのであれば、本人の合意を得て、業務内容や条件を明確にする必要があります。
会社と取引先の契約関係は、担当者の退職によって消えるものではありません。
「誰が知っているか」と「誰が対応する責任を持つか」は違います。
前任者がいなくても、会社が契約内容を確認できる。
後任者が迷ったとき、社内で判断を仰げる。
取引先が問い合わせたとき、会社として回答できる。
それが、引き継ぎ後に必要な状態です。
会社の組織図から名前は消えたのに、業務フローからは消えていない。
そんな状態を放置してはいけません。
引き継ぎとは、前任者がいつでも答えてくれる状態をつくることではない。
前任者がいなくても、会社が判断し、運営できる状態をつくることです。