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【...ストリートの片隅で...】②

Photo by Ben Wiens on Unsplash

※当記事は執筆者の個人の見解であり、弊社意思とは無関係です※

パート①にて
全く面白くもなんともない時代だったのである

と書いてしまい、一部の方の気分を害していないか少し気にしています。
どうもtomonoriです!

そんな面白くもなんともない時代を。自分の人生を。
面白くして行くにはどうすれば良いのか。
家庭や勉強や進路や内申書に縛られている僕らの
"自由"とは一体何なのか(尾崎豊さん風味でね)
※尾崎さんも大好きですw※

そんな事をやんわりふんわりと考え始めた15歳を少し過ぎたころ。
tomonori少年は"HIPHOP"という一つの文化に出会います。

いきなりですが!!
ここでプチ講義のお時間です。

70年代アメリカ→NYブルックリンの居住区。
黒人差別によって端に追いやられた黒人同士。
ただでさえ貧富の差が激しいアメリカでのスラムです。
どんな事が起きているのか、、、
この目にせずとも、どんな状況かを想像するのはたやすい筈です。
また移民の国故、あらゆる人種・文化が入り混じり更なるカオスを極めます。

貧困やドラッグ売買やギャング同士の争い。殺し合いが止まらず、
そんな負の連鎖を止める為に動いた一人の男が居ました。
その名は

"アフリカバンバータ"(本名ランス・テイラー氏)←wikipedia

彼は同士討ちに近い状況や死んでいく仲間たちの現状に危機感を覚え、
自身もギャングのボスとなり、周りを統治していく。
ナイフや銃で戦うならそれぞれが持っている文化的要素

↓4エレメンツ↓
①BBOYING(ブレイクダンス)
②MC(RAP)
③DJ
④Graffiti(7~80年代NYの列車は走るキャンパスでした)
で争う事を提唱し、またそれを現実のものとした。

皆さんの知っているヒップホップ=音楽のジャンルや習い事のダンスの一部かもしれません。
掘り下げると単なる"音楽のジャンル"で留まらず習い事の"ダンスのジャンル"でもないのです。

さて、本題に入りましょう→

僕自身、喧嘩をしたり、あてもなく街をブラついて絡まれたり絡んだり。
先輩が吸う為のシンナー売買に付き合わされたり、暴走族の真似事に参加させられたり。
↑については、ほぼ無理やりで、断ればもちろんヤキを入れられました。。。
こう振り返ると当時の私生活は本当に荒んでました→

と同時に"このままじゃ俺の人生本当におかしくなっちまう"
と言った恐怖心もあったのが本音ですし、
じゃあこれらの行動が面白かったのか?と言えば
答えはNOですね。面白くも楽しくもなんともなかった。
でも、当時はそこにしか僕の居場所は無かったんです。

"非行"欄にを書かれていた過去→当の本人は"非行だと思ってません"
何故ならそれは自己表現の場をうまく見つけられないが故の足掻き・焦りであり。
魂の叫びでもありました。

そして、いつもの様に遊びに出た春の週末。
横浜のビブレ横。そこで僕は出会ってしまったんです。


目の前で音に身を委ねて自由に飛び跳ね踊る大人達に。



その瞬間→身体全体に電気が走るとでも言えば良いでしょうか。
"虜"になるとはまさにこの事であり、彼らの自由に躍動する感覚は体を通して伝わってきました。

その時に直感で思ったのです。

これだ!!

これこそ自分が求めていた"自由"なのかもしれないと!!!!!

続く...

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